「あの、いつもはお二人は、食事とかどうしているんですか?」
「……食事、ですか?」
「はい」
口を開くのに、よほど勇気を必要としたように見えたのですが、鉢尾さんの言葉は、まったく何でもない、単なる世間話でした。これには、さすがに私も拍子抜けしました。今見ていても、鉢尾さんの目には並々ならぬ決意が見て取れているので、まさか怖じ気づいてまったく関係ないことを口にしたようにも思えません。
私は、疑問を顔には出さずに、柔らかく笑ったまま、単なる世間話のようなので、軽く返しました。
「弟から聞いているかもしれませんが、うちの両親はほとんど家にはいませんから。どうしても外食が多くなりますね。というよりも、ほとんど外食ですね。このご時世ですから、食べるところには困りませんけれど、子供のときはけっこう困ったものです」
この街にも有名なチェーン店が入って、夜に一人で食事をするのにも困らなくなってきましたが、小学生のころはけっこう困りました。さすがに、毎日コンビニでは飽きますし、栄養の問題もありますし、小学生が一人で夜に外を出歩くというのもまずかったので、何件かのお店で出前をローテーションしていました。栄養のバランスはお店の人にもけっこう気にしていただきましたが、それでも太らなかったのは運動量が多かったからでしょう。
まあ、チェーン店のお味はお値段程度であるので、私としては昔ながらのお店を使いたいところです。少し年寄り臭いとも言えますが、自分が料理がうまくない以上、外にそれを求めるのは当然のことでしょう。
「先輩がずっと学食なのは、やっぱりそういう理由なんですね」
「ええ、遠慮せずにお弁当なり作ってやって下さい。それでお金を取っても弟には文句はありませんよ」
そもそも、マスカレイドで戦っていた私にはそれの賞金もありますが、でなくとも、高校生が扱うにはどうかと思うほどの金額を親からもらっています。私も愚弟も無駄遣いをするタイプではありませんし、愚弟に限っては放っておくと食費以外何も使わないことすらあります。お昼代ぐらい何でもないでしょう。というか、あの愚弟にお弁当を作ってあげたのならば、ぼったくる程度が丁度いいとも言えます。
「えっと、たまには作らせてもらっているんですが……」
「その様子では、お金の徴収はしていないようですね。いいんですよ、ちゃんと食材代と調理代ぐらいは取っていただかないと、こちらも心苦しいですし。一食五千円ほど取っても弟にはもったいないぐらいです」
いえ、五千円はちょっと……と、さすがに鉢尾さんは引いています。私が冗談ではなく本気で言っていると知れば、引くどころではないでしょうが。学校に行く日だけでも考えて、一ヶ月十万。まあ妥当な額だと考えるのは、いささか私の感覚がおかしい、というのは認めざるを得ないところであります。
「でも、栄養は大丈夫なんですか?」
「どうでしょうね。私は昔からそこの部分には気をつけてきましたが、弟は気にしなければならないことにも無頓着ですから。これを見て分かるように、私も料理はあまりうまい方ではないので、弟の分を作るということもないですし」
酷く不格好に切った野菜をつまんで私はおどけます。
ごくたまに一緒になる食事で、愚弟に好き嫌いがあった試しはありません。好き嫌いがない、と言えば聞こえはいいですが、愚弟としてはおそらく腹にたまれば何でもいいのでしょう。繊細な味を気にする愚弟、というのはいささかを通り越して非常に不気味ですし。
これで、弟のことを過保護に思う姉ならば、この子に弟を頼むのでしょうが、私達は肉親の情はあれど、保護などという言葉とはまったく無縁の家族です。親のそれも、育てているというよりは養ってやるから勝手に育て、という感じですし、直に同じようなことは言われています。
「栄養は身体の資本ですし、先輩は気をつけるべきだと思うんです。エクストリームに出るということは、プロってことですよね? だったら、やっぱりちゃんとそのあたりも気にすべきだと思います」
「確かに、そうかもしれませんね」
エクストリームは何位まで行けば賞金が出るかなど、興味もなかったので調べていませんが、私の現状を鑑みて、少なくともお金をもらうことがプロだとは思いません。と言っても、鉢尾さんが言うのも何も間違ってはいないので、私は適当に答えを返しました。後から思えば、これはあまり良い手ではありませんでした。
「でも、先輩はそういうことを気にしないですし、それが先輩らしいですよね」
らしいとは、物は言い様です。まるでそれが美点だと言わんばかりの鉢尾さんを見て、正直申しまして、私はこの子を侮っていたのかもしれない、と思いました。恋する乙女は、私の想像以上に盲目なのかもしれません。それは、なかなか興味のあることではあります。
「……まあ、そんなに弟のことを良く言う必要はないかもしれませんが、弟らしいと言えばらしいですね」
「その程度のことは、まわりの人が気をつけてあげればいいだけですし、先輩は先輩らしく他のことに集中して欲しいですね」
愚弟はもっと細かいことを気にした方がいいと思います。しかし、愚弟が思うようにした方が、まわりの被害は少なくて済むような気もするので面倒なところではあります。似合わないことをすればろくなことは起きないでしょう。
「弟の面倒を見ることは、私にはできないことですから、鉢尾さんにまかせましょうか?」
私は、消極的な同意、という気持ちで、そんな冗談を口にした。まあ、場を濁す冗談以上の意味はありませんでした。
「はい、私でよければ!! それで、あの……先輩の家に、お邪魔してもかまいませんか?」
「……」
私は、不覚にも、しばらく固まってしまいました。
鉢尾さんの、よく考えると当たり前と言えば当たり前の返答、いえ、当たり前なはずがありません。私の人を見る目がどうとは言いませんが、まさか、そう返って来るとは思っていなかったのです。そこまで積極的にはなれない子だと、私は鉢尾さんのことを評価していたのです。
ランちゃんのときもそうでしたが、私の予想が外れるときは、大概、誰か別の人の意志が入っています。ランちゃんのときは浩之さんでしたし、この鉢尾さんの場合は。
私は、とっさに坂下さんの方を見ました。多少、目つきが鋭くなっていたのは隠しようがありません。鉢尾さんには見とがめられなかったでしょうが、坂下さんには確実に伝わったはずです。
案の定、坂下さんは我関せず、という表情でそっぽを向いています。間違いありません、鉢尾さんが一人でこんなことを考えるとは思えない以上、誰かが入れ知恵をしたのは確実で、それは坂下さんに違いありません。
入れ知恵ぐらいならば、私も目くじらをたてたりはしません。しかし、愚弟本人にならともかく、私を使うというのはいただけません。なるほど、愚弟は私には逆らえませんし、私を引き入れるのは、戦術的には正しい行為です。
ですが、私としては、愚弟のことで煩わさせないで欲しい、というのが正直なところです。
「駄目……ですか?」
しかし、いくら私でも、断り辛いのは事実です。ここまで不安そうな顔をされれば、断れば私が悪者です。鉢尾さんに興味はなくとも、同じように悪意もないのです。
それに、正直申しまして、少しばかりこの子にも興味が沸いて来ました。
いくら坂下さんに入れ知恵をされたからと言って、好きな男性の家に入るのにその姉に許可を取る、その方が確実だと分かっていても、なかなか出来るものではありません。いくら入れ知恵されたからと言って、人間出来ることと出来ないことがあります。
まして、先ほど、私が状況を分かっていなかったとは言え、うまく会話を誘導されたのは事実です。多少強引であっても、私の口から弟の面倒を見て欲しいと言わせたのですから、十分及第点でしょう。
私の目が節穴だった、と認める他なさそうです。この子は、なかなか興味が持てます。
「ええ、かまいませんよ。弟の面倒など見ずに、私とお茶をしに来ていただいてもかまいませんし」
「は、はい、一生懸命やらせてもらいます!!」
よほど無理をしていたのでしょう、鉢尾さんは私の言葉もあまり聞いていないようです。まあ、それはそれで少し楽しいので悪くはありません。
とは言え、けじめはつけておくべきです。私は、坂下さんにそっと耳打ちをしました。
「坂下さん、このお礼は、今度ちゃんといたしますね?」
「あー、寺町に全部つけておいて」
やわらかい私の言葉を、坂下さんには苦笑して答えていただきました。
続く