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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(74)

 

 絶望的な状況、と言って嘆いていても話は始まらない。浩之は、砂浜で葵と打撃ので戦うという想定で、策を練る。

 まあ、できる対応なんてないよなあ。

 スピードでは到底追いつけないしリーチもこの足場ではうまく使うことができない。そもそもの実力差から言っても無理難題なのに、場所の悪条件も加わってはどうしようもない。唯一の救いが本当に殴り合いをする訳ではないので痛みがないということぐらいか。まあ、それもこうも無酸素運動を続けるぐらなら、大人しく殴られてKOされる方が楽なぐらいだが。

 それでも今回避が間に合っているのは、葵の動きが落ちて来たのと、浩之もそこそこ慣れだした結果だ。実戦ではそうはいかないだろうが、プレッシャーのないのがいいように作用しているようだった。

 この状況を打破する練習は、確かに意味がある。右を見ても左を見ても浩之よりも強い相手しかいない、とは言え、強敵と戦うのはいつでも練習になる。しかもこういう策を練らない限りどうにもできないという状況は、むしろ浩之向きだ。

 向き、と言うが、浩之が得意としている、という訳ではなく、あくまで浩之が成長すべき部分という意味なのだが。

 対応できない、これは動かし様のない事実として、であればどうするのか?

 対応しなければいいのだ。フェイントに反応しないという意味ではなく、フェイント自体をさせないという意味で。

 攻撃だ、守りを捨てて攻撃するしかない。

 がんばって逃げていればもう少しはもつかもしれないが、粘っても駄目なものは駄目なのだ。十回やって十回負けていたのではお話にもならない。十回の内九回は惨敗でも、一回は勝たねばならないのだ。勝負は水物。勝率ではなく、勝機を目指すべきなのだ。まして、浩之が目指している場所は、百回やって百回負けるような相手に勝とうというのだから、惨敗する恐怖に怯えていたのでは、勝機は逃げていく一方だ。

 言ったように、勝負は水物で、粘っていれば勝機が訪れることもある、むしろそちらの方が部がいいぐらいだが、残念ながら、すでにそこまで耐えられるほど、浩之は体力を残していない。

 自分の現状を見て、一番正しい道を選ぶ。勝つ負けるは結果論でしかないが、それまでの道で、どれほど正しい道を選んできたかは、意味がある。

 それは、綾香が浩之に覚えて欲しい技術の一つだ。相手と自分の戦力を読み、一番正しい方法を取る。正しい、と言っても勝敗は結果論なのだからはっきり言えるものではない。しかし、それでも正しい方法を選ぶだけの強さがないのならば、実力で勝る相手に勝てる道理などない。

 綾香にしてみれば、どちらかと言えばいらない技術。何故なら、綾香は例えどんな相手であろうとも、実力でそれを追い越すから。小手先の作戦などむしろその実力を邪魔するものでしかない。真っ正面からの力押し、これが綾香にとっての最善の手なのだ。

 まあ、綾香としては、本当は自分の技術の中では、相手の「意」の隙間を突く動きを覚えて欲しいのだが、それはさすがに酷と言うものだろう。綾香だって言葉では説明できないし、その動きは、本当の意味で達人のそれなのだ。いくら浩之が天才と言っても、限度がある。

 重心のフェイント? それこそ浩之を買いかぶりすぎだ。綾香に出来ても坂下には出来ないような高等技術、一生かけても体得できない可能性も高い。

 まあ、その程度かそれと同程度ほどはできないと、綾香と対等に渡り合うなど不可能だろうが。

 今は、今の浩之に出来る全力だ。

 方向さえ決めてしまえば、後はそれに意識を合わせていくだけだ。

 まず、動きを変えてはならない。今のところ、浩之はほとんど防戦一方になっている。そうしたかった訳ではないが、防戦に回っている以上、動きを変えれば葵に察知されてしまう。

 もちろん葵だって浩之の攻撃に対処して来るだろうが、少しでも有利に事を進める為に、浩之はなめらかに今までの防戦一方を続ける。その演技力はほめてもいいぐらいだ。こういう小手先の技の方が浩之は得意なのだから何も不思議がることはない。器用貧乏とまわりから揶揄されたこともけっこうある器用さは、その名に恥ずべきことに、酷く器用だ。

 対峙している葵が変化に気付かないほどの演技だ。それこそ、多分人間とは違う次元に生きている寺町ぐらいしかそれを看過するのは不可能かもしれない。綾香だって、浩之が何かしてくるだろう、というのはそろそろそのタイミングだろうと思っているだけで、浩之の様子から理解した訳ではないのだ。

 そうやって、浩之はチャンスを、長くない間待つ。残念ながら、どれほど待っても、浩之が攻めることができるような隙はないのだ。チャンス、と言っても、それはもう浩之側の問題でしかない。

 仕掛けるに、最適な距離になるのを待っていただけだ。近すぎず遠すぎる、浩之の手が届かなければ意味がないが、近すぎればそれはそれで処理しきれない。それは遠距離でも葵とそれなりに技術で対応しえるという浩之の驚異的な成長をも意味していた。まさに、意味不明なほどの成長具合だ。

 そして、浩之のもう一つ優れた場所、それを発揮する場面だった。

 誰かに背を押してもらわなければ、前に進むこともできない葵やランとは、まったく別の生物。浩之を、その才能を生かす為に作為的に持たされたのでは、と疑いたくなるほどの、最後の一手。

 度胸。

 目測では可能で、葵が前に出ようとしており、自分は体勢が万全、まさに浩之の狙ったタイミング、それを察知した瞬間に、浩之はまったく躊躇せずに動いていた。

 葵は、浩之の動きを察知するのが、一瞬遅れた。まさか、あそこから浩之が自分に向かって来るとは思っていなかったのだ。

 低く構えた浩之の身体が、葵の横を通過する。前に出ていた葵は対応が遅れ、浩之を通過させてしまう。それは、葵が思う以上に、浩之が速く動いたからだ。

 雄三には一応教えは受けていた。そして今日、何もできないまでも、何度も二人の動きを見ていた。浩之が覚えるには、まあ十分と言ってもいい量だった。

 相手に察知されない為の、溜めのない歩法。すり足の動きを、見た目だけではなく、本質の意味でも真似た浩之は、葵に察知されることなく葵との距離をつめたのだ。

 それが、浩之の天才と言われる最初の理由だ。恐ろしいほどの学習能力と器用さ。相手の動きを真似ることを、浩之は自分の武器だとちゃんと理解していた。そして、ぶっつけ本番で見よう見まねの技を使うだけの度胸があった。

 その先は、浩之のオリジナルだ。葵が自分の右側に動こうとしているのを察知した浩之は、右肩を前に出す動き、つまり左回りの動きを葵に見せた。

 右側に回り込まれるときに右側を前に出せば、簡単に後ろを取られてしまう。だから、葵は前に出た 。例え、自分が横に回られても、左回りをしている浩之は振り向かなければならない分、時間がかかる。だからこそ、横を取られても問題にはならない。

 結局、背中の布に手が届かないことには、負けはしないのだ。背中には腕が回せない以上、振り向くしかないのだ。

 そこまで一瞬で判断していることは素直に凄いが、浩之はそれをさらに逆手に取った。左回りから右回りにするから時間がかかるのだ。だったら、最初から最後まで左回りにしてしまえばいい。距離は伸びるが、勢いは衰えないからよほど速いし、最初からそれを狙っているのだから、何も問題ない。

 何より、背中に腕を回す動きは、葵の予想を超えるものだ。丁度素人に対する後ろ回し蹴りのようなものだ。そう来ると思っていない動きは、効果が高い。

 迷いなく、動く前から葵の動く位置まで予測していたように、浩之は背中ごしに葵の布に手を伸ばす。

「あっ!?」

「くっ!?」

 浩之の手は空を切った。葵が、腰を曲げて何とか浩之の手から逃れたのだ。あの一瞬で自分の失敗を察知した葵は、浩之の次の一手すら読んで避けたのだ。

 が、まだ浩之には右の手が残っていた。左回りに振り向き様、葵の方に倒れるように右手を伸ばす。

 しかし、これも空を切る。葵が、その不安定な体勢からくるりと回転したのだ。背中にある布は葵の背中に隠され、かわりに葵の胴が浩之の行く手に現れる。

 完全に、浩之の負けだった。

 どちらも体勢が崩れているから、ここから負けることはないが、立ち上がれば振り出しだ。今度は、葵は決めさせてくれないだろう。一度見せた未完成な技ほど意味のないものもない。標的にされるだけ……

 と、ここまではまあまだ良かったのだが。

 ふに

「あ」

「お」

 浩之の手は、布を取ることは失敗した。葵が身体を回転させて布を後ろに隠したからだ。つまり、胴体の前面で浩之の手を遮る形となる。そう考えれば起こらない事故ではない。

 大きさの割に、と言うと怒られそうだが、言葉通りの胸は、想像以上に柔らかかった。

「き……」

 浩之の広い視界の端、葵の脚が跳ね上がるのが見えた。残念なこそに、浩之は完璧に体勢を崩している。それを言うと、葵だって完全に体勢が崩れているはずなのだが。

 葵の悲鳴が、響いた。

 

続く

 

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