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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(77)

 

 躊躇なく、大の男の体格で、走り込んで不意打ちで飛び蹴りなどすれば、やられた方はたまったものではない。その程度で済めばいいが、即病院か、運が悪ければ死んでしまうような攻撃だった。素人がやるのではない、ある程度、などと言うにはいささかやりすぎるまでに鍛えられた男の一撃なのだ。ひとたまりもないだろう。

 立てた音は、せいぜい走り寄る音だけだった。それも、一応は消して近寄ろうという意識がされたものだ。しかし、その音よりも先に修治が反応していたのを、坂下は見ていた。

 そちらを振り向くこともなく背中から襲って来た飛び蹴りを体を少しひねってよけると、そのまま相手の脚に腕をかけて、大きく放り投げる。

 鮮やかなものだった。坂下の受けよりは洗練されてはいないかもしれないが、より力強い。多少の不合理すら関係なく吹き飛ばすだけの力があればこそだ。

 修治に飛び蹴りをかけた男の身体は、大きく宙を舞った。飛び蹴りの勢いと修治の力まかせの投げの力が乗った身体は、三メートル近くの高さにも達しただろうか。走り高跳びの世界記録が二メートル半に届かないのだから、二人分の力が入ったとしても、常軌を逸した高さだ。

 というか、その高さまで飛んで地面に叩き付けられれば、本気で冗談では済まない。が、それは杞憂だった。飛び蹴りを放った男は、空中でバランスを取ると、滑るように地面に着地した。

 ちなみに、坂下はこのやりとりに、まったく驚くことはなかった。綾香と対等ぐらいまで行けば、正直命の一つや二つぐらい狙われていてもおかしくない、と自分のことを棚に上げて考えていたのだ。/P>

「……って」

 しかし、驚かなかったのは、飛び蹴りを放った男を確認するまでだった。何せ、修治に向かって飛び蹴りを放ったのは、自分もよく知っている御木本だったのだ。

 あれ、御木本、この人と知り合いなのか?

 まあ、どういういきさつがあるかは見ているだけでは分からないし、御木本だって十分格闘技にのめり込んでいる一人だ。修治と知り合いであるのは、何も不思議はないような気もするが。

 が、その予想も、修治の次の言葉で否定される。

「あー、俺も色々恨みを買うことはよくある話だが、すまんな、あんたの顔は覚えてないわ」

 多分、覚えられないぐらいは恨みを買ってそうなほどの強さなので、実際に覚えていないのだろう。それに、もしかすればマスカレイドの関係かもしれない、と坂下は考えた。であれば、あのバカっぽいマスクで顔は隠れている。坂下だって、見ただけでは違和感はあれど、御木本とは気付かなかったのだ。それにしたって、御木本だって十分強い。まったく意識に残らないほどではないのでは、とも思っていた。

「いいから好恵に近寄るんじゃねえよ」

 御木本の方は、まったく話し合う気はなさそうだった。歯をむき出しにして、威嚇しているようにすら見える。もともとおちゃらけた性格だが、御木本は戦いとなると性格が変わる。

「おいおい、いきなり襲ってきた理由を教えてくれよ」

 反対に、修治の方にはかなり余裕があった。それはそうだろう。多分、御木本相手では歯牙にもかけないぐらい強いだろうし、その強さは、いきなりいきり立つ相手がいてもおおらかになるだけの余裕を与えてくれるだろう。

「はっ、ナンパなら余所に行ってつり合いの取れる相手を探すんだな」

「……はぁ?」

 まさか、修治とはまったく面識がなくて、ナンパしに来たと思っている?

 そう言えば、昨日も御木本はナンパをしてくる男達に後ろからフライングボディアタックをしていた。素人相手にはいささか危険すぎる技だ。一応、手加減ぐらいはするだろうと坂下はたかをくくっていたわけなのだが。

 坂下は、なるほど経験以上に男女の間のことには、ある意味才能がある。だが、まさかこうまで御木本がまわりを見ないとは、正直思っていなかったのだ。それは、御木本の性格云々もあるし、実力を理解しているからこその認識だったのだが、それは買いかぶりすぎだったのだ。

 見知らぬ男と、坂下が、まあ友好的に会話をしているだけでも、それは御木本にとって敵であることを、坂下は理解していなかった。かっこ悪いかどうかは置いておいても、嫉妬に狂った男は始末が悪いのだ。

 とは言え、それを見誤った坂下を責めるのはさすがにお門違いだろう。御木本は決して頭も悪くなければ、空気を読まない訳でもないのだ。世慣れしている分、そういう部分は高校生離れしているとも言える。だからこそ、まさかこう来るとは思わないだろう。そして、さらに間の悪いことに。

「……誰がナンパ野郎だって?」

 さっきまでは苦笑して御木本の怒気を流していた修治の目が、いきなり鋭くなっていた。正直、御木本の必死でも笑いながら対処できるだけの実力を持っているだろう男にしては、あまりにも沸点が低すぎる。それとも何か逆鱗に触れるようなことでも言われたのか、と疑問に思うのも当然だった。

「お前に決まってるだろ、声かけるんなら、もっとレベル落として自分に合うヤツ見つけるんだな」

 まあ、坂下には多少自覚が少ないが、坂下はれっきとした美形である。でなければここまでの後輩からの人気はなかっただろうことも事実だ。男にしてみれば、これだけりりしい美形の女の子が、もし自分になびいて甘えて来たら、と想像するとたまらないぐらいの美形なのだ。その自覚が少ないのは、坂下の性格と、まわりに飛び抜けた美人がいたからだろう。

「誤解だ、と言いたいところだが、とりあえず少しばかり頭に来たんでな。少し遊んでやるよ」

 にぃっ、と修治は口元をつり上げた。顔は笑っているが、目は明らかに笑っていない。

「はっ、さっさと尻尾巻いて逃げた方が正解だったってすぐに分からせてやるよ」

 何でいきなり、と坂下は思ったが、修治を良く知っている人間なら分かり切っている話で、修治は決して温厚ではない。まったく温厚ではない、と言った方が正しい。女性に対しては甘くとも、男に対しては案外厳しい、などと軽く言えないほどに酷い。

 さらに、修治という男は、これで案外ナンパなことは嫌いなのだ。その点は、まったく素人もいいところだ。少し潔癖と言ってもいいのかもしれない。こういう手合いは、悲しいことに実際あまりもてない。まあ、もてないのは修治だってあきらめてはいるが、それを指摘されて腹を立てないほど、プライドを捨てている訳でもないのだ。

 まあ、確かに、この子と俺だとつり合わないだろうなあ、と修治自身も思うので、余計に腹が立つのだろう。おまけを言えば、そういう話は、今の修治には禁句だ。ふられて傷心旅行?の身なのだから。

 うさをはらす、という訳ではない。売られたケンカなのだから、買ってもこっちは悪くないだろ、という気分にもなろうというものだった。しかし、色々な意味で残念ながら、戦う前から、勝敗は決していると言って良かった。

 一回戦目、御木本VS修治の開始だ。

 

続く

 

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