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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(79)

 

 勝てるどころか、一矢報いることすらできない相手だと、御木本だってすぐに理解していたのだ。自分の不意打ちの飛び蹴りを避けられたその動きだけでも、坂下か、それ以上の実力者なのは疑うべくもなかったのだから。

 御木本は、例えば健介とは違う。健介は、御木本の目から見れば無謀過ぎる。実力が伴わないのに強者に戦いを挑めば、負けるのは分かっていることなのに、それを平然とする。御木本は違う、戦うべき場面は心得ているし、勝てないと思えばあっさりと引く。拘るのは、せいぜい坂下が関わるときだけだ。坂下が関わっても、そう簡単に無謀な戦いを挑むようなタイプではない。御木本は、強者と戦いたいという思いは、他の並み居る格闘バカと比べれば遙かに少ないのだ。

 だが、対峙するだけでも無謀と感じるような相手なのに、今の御木本には引く気がまったくなかった。それどころか、手ひどく地面に叩き付けられて、身動きが出来ないほどのダメージをうけているというに、這ってでも動こうとしていた。

 それもこれも、坂下の為だった。

 御木本は、修治とはまったく面識がない。そして、修治ほどの実力者がそこら中にいるものではないというのも分かっている。であれば、修治のような強者がここにいるのは何かしらの理由がある、と思うのは自然な考えだった。

 そして、御木本には一つ、確かに懸念していたことがあった。怪我をした坂下を狙おうとしている輩がいることを、御木本も赤目から聞いていたのだ。坂下にケンカを売れるような根性を通り越して無謀なヤツはいない、とその場は鼻で笑ったが、この合宿中、御木本は気を抜く気はなかった。でなければ、何で練習のランニングで陸上部員の長距離選手並のタイムで走って来るだろうか。もちろん、昨日は坂下の水着姿を見たかった、というのは嘘ではないが。

 坂下がただナンパをされているだけならば、相手の方は後からボコるとしても、その程度で済む。しかし、坂下を狙っている輩がいると思うと、御木本の攻撃はどうしても手加減具合が減ってしまうのは仕方のない話だった。そう、いつもの御木本ならば、不意打ちでフライングボディアタックなり飛び蹴りなりをしかける、というのはありえないことなのだ。攻撃的なものを喉の奥に隠していても、御木本は慎重なタイプで、むやみに腕力に訴えたりはしないのだ。

 坂下が狙われているという噂があり、ナンパとは思えない見知らぬ男が一人、坂下に話しかけている、この状況を見て、御木本はそれが坂下の知り合いだと思うよりも、危険だと判断したのだ。まして、その実力を察知してからは、本当に必死だった。御木本一人では、いや、空手部全員でかかっても、どうこうできるかどうか怪しいほどの強者を目の前に、それが坂下の前にいるのが偶然とは、とても思えなかった。

 それでも坂下ならば、とは思うが、坂下はまだ怪我が治っていないし、完調であっても、もしものこと、というのはある。御木本が必死になるのは当然だった。

 まあ、修治にしてみれば、正直完全に間が悪かった、としか言い様がない。御木本の状況を説明されれば、修治もまあしぶしぶながら納得しただろう。ナンパ呼ばわりされたのは心外だが、御木本が必死になる気持ちを理解できない訳でもなかったし、そういうのには実のところ、すでにけっこう知れ渡っているような気もするが、この男は弱い。

 が、状況も分からずに攻撃された上に、ナンパ呼ばわりされた修治は、決して仏のような心で御木本を許そう、などとは考えなかった。それに、誰も状況を修治に説明できないのだから仕方ない。

「おお、まだ動くか」

 這ってでも修治に手を伸ばした御木本を見て、修治は少し楽しそうに、実際楽しくなったのだろう、足を持ち上げた。どう見ても、とどめを刺そうとしているようにしか見えない。いや、事実そうであるのだから弁解のしようもない。

 その足を止めたのは、修治が坂下に遠慮した、という訳ではまったくなかった。それが誤解であろうがちゃんとした理由があろうが関係ない、戦いとなれば容赦はしないのが修治の流儀だ。

 まさに地面をすべる様に、としか言えない動きでそれは修治との距離を詰めていた。海がすぐそこであるこの場は地面は砂で覆われており、それは動きを阻害するだろうに、まったくそれを感じさせない、ついでに言えば長いランニングの疲労もまったく見受けられなかった。

「ゼイッ!!」

 ただ、不意を突くつもりなど毛ほどもなかったのだろう、気配満々で距離を詰めたそれは、気合いの声を入れながら、修治に向かって前蹴りを放っていた。いつもの修治ならば、前蹴り程度は手ではじくのだが、片足を上げていたのと、その前蹴りがなかなかの、実際素人が受ければ悶絶必死の威力が込められていることを察知し、後ろに下がってその前蹴りを避ける。

 猫足立ちから繰り出された前蹴りを放った後も、まったく油断なく修治に構えを取ったままだった。それは相手を最大限に警戒しているから、ではない。

「はっはっはっはっは、なかなか楽しそうなことをしてますな、御木本さん。俺も混ぜてもらってもいいですかね?」

 倒れている御木本を見てもまったく動じていない、というかどうしてそうなったのかすらまったく気にしていない心の底まで格闘バカな寺町は、それはもう楽しそうに笑いながら、視線がまったく修治からぶれない。獲物を狙う獣の目、というよりも、楽しそうなおもちゃを見る子供の目にしか見えない。

「……」

 御木本は少しだけ顔をあげて口を動かしたようだったが、そこで力尽きたように動かなくなった。まあ、修治に地面に力一杯叩き付けられてよく意識を今まで保っていたものとも言える。

 いいですかね、と言いながらも、寺町はもう当たり前のように修治と戦うつもりだろう。御木本とは違い、寺町は回避できる戦いを回避するようなことをしない。それどころか、回避できる戦いに喜々として挑むのは間違いないだろう。その点だけ言えば、寺町は御木本が今まで感じたことがないぐらい頼もしかった。実力をどうこうまで言うつもりはないが、少なくとも、動けない御木本よりはよほど戦力になる。

 それでも、御木本は気絶するつもりはなかったのだろうが、正直身体の方は限界だったのだろう。切れるように御木本は動かなくなった。

 ただ、御木本の心中察するものもある。いくら戦いを喜んでする男とは言え、寺町に後を任せねばならない不安はいかほどのものだったかと。まあ、それを心配しないでいられるのは、世界中探しても、寺町にぞっこんな鉢尾ぐらいなものなのだろうが。

「……これは同意と受け取っていいですな」

 御木本が気絶して返事がないのをいいことに、寺町はそう勝手に解釈した。というかそもそも、何を言われたところで止まることなどなかっただろう。

「いやいや、坂下さんも怪我で、藤田さんも全然相手してくれないところで、まさかこんな相手と戦えるとは、俺は運がいい」

 ニコニコと破顔する寺町の口元は誰が見たところで凶相そのものにしか見えないが、本人はいたくご満悦そうだった。例えこれが本当に坂下を狙う人間相手だったとしても、同じほど強そうな相手ならば、まったく態度が変わらなかっただろう。

 修治は、まあ相手はするだろうが、それも軽くだろう、ともうどうでもいいやと思いながら見ている坂下などは思っていたのだが、バカみたいにはしゃぐ寺町を前に、修治が口元を歪ませるのを見て、おや? とやや疑問に思ったときだった。

「……ああ、俺も、少しばかり興味があるな」

 驚く言葉が、修治からもれた。

 

続く

 

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