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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(81)

 

「お前、北条のおっさんの弟子になったんだってな」

 え、そっち? と坂下は思わずつっこみそうになったが、しかし、修治の表情を見て、言葉が出なかった。

 坂下だって、並の戦いを繰り広げて来た訳ではない。これはもう普通の人生から言えば不幸と言うしかないのだが、目指すものに、自分よりも遙かに才能に優れ、そして実力も優れた、そしてそれだけではなく、余すところなく全てが凶悪な綾香が、近くにいたことは、格段に坂下の人生経験を豊富にさせたのだ。

 だから、かなり異常なことであろうとも、恐怖を感じたりはしない。まして、それが自分に対してではないとなれば、恐れる必要すらない。まあ、自分に向けられた場合は、それこそ坂下は恐れはしないのだが。坂下が片鱗でも怖いと思う相手、それは綾香だけなのだ。

 しかし、その坂下が、自分に向けられたものでもないのに、修治の笑い顔を、怖いと感じた。それは、おそらくは怪物のそれではない。坂下には分かる。その壮絶な笑みは、自信と実力がブレンドされて作り出されたものではないことを、坂下は悟った。何故なら、修治の笑みは、どちらかと言えば、坂下に近しいものだったから。

 元来、笑みとは威嚇の意味があった、などというもう使い古された言葉を使うまでもない。それは威嚇ではない、ただ気持ちが、顔にこぼれているだけだ。胸の奥のものは、そんなものだけでは表現など出来ない。

 そんなものを向けられているというのに、当たり前のように寺町はそれを喜んで受ける。まあ、この男は、社会的な感覚どころか、色々なものがぶっ壊れているので、身の危険とかそういうものに非常に敏感だが、危険とは考えないのだろう。

「はっはっはっは、弟子になればいつでも戦ってくれるというので喜んで弟子になりましたよ」

 あー、それは何となく言わなくても理解できるかも。

 寺町は、とにかく強い相手と戦うのが好きで好きでたまらないのだ。鬼の拳、生きる伝説と言われる北条鬼一と戦えるのならば、他のことなどどうでもいいと考えてもおかしくない、というか絶対に実行する。

 坂下だってそういう気持ちはないでもないが、寺町ほどは徹底していない。というよりも、坂下には色々と捨てれないものがある。部活のこともあるし、それ以外にだって色々ある。綾香と戦って、命を落とすことになっても後悔しないのは、例外中の例外だ。自分を作り上げるもっともたるものとの、自分の原風景を背にしての戦いだ。退く訳にはいかなかった。

 だが、寺町はもっと軽い気持ちで、全てを捨てるだろう。今修治と戦えば命を落とすと聞いても、まったく躊躇しない、それはすでに生物としては色々壊れている。しかし、それだけの覚悟を、すでに済ませているのだ。

 色恋は本人の所為とは言え、さすがの坂下も鉢尾に少し同情した。こんな男を好きになれば、気苦労どころの話ではないだろう。立場的には、好きな人が戦争に行っているぐらいか。いや、死ぬ確率はそれよりも遙かに少ないとは言え、この場合、その好きな相手はまったく生きて返ろうという気持ちを持っていないのだから、余計に苦しいかもしれない。まして、そんな姿が好きなのでは、そのジレンマはどれほどのものだろう?

「おいおい、お前程度が北条のおっさんの相手が出来るわけねえだろ」

「いやいや、おっしゃる通り、これがまた強いの何の。まったく歯が立たなくて嬉しくなってしまいますよ」

 修治の、寺町に対する態度は、どこを見ても友好的には見えない。事実、修治が初対面の相手にこんな態度を取ることは少ない。礼儀を重んじるタイプではないが、それでも寺町と比べれば、遙かに常識があるのだ。だが、見下している、という訳ではないと思う。それは、どうなのだろう、嫉妬というものに近いのかもしれない、と坂下は感じていた。

 分からないでも、ないのだ。坂下も同じような経験をしているのだから。

 どうしても勝てない綾香、戦う価値なしと見切られ、可愛がっていた葵は、その綾香を目指して、やはり坂下をないがしろにした。いや、坂下から見ればそうでも、実際のところ葵は坂下をないがしろにするつもりはなかったというのは坂下だって分かっているが、それでも許せなかった。葵が、ではない、色々なものが、だ。そして何よりも許せなかった。

 自分が。自分のふがいなさが、自分の弱さが、どうしても許せなかった。人はそれを許してしまって弱くなると同時に成長するのだが、坂下はそうはしなかった。それを許さなかった。だから強くあるために成長したのだ。

 修治を見ていると、坂下は、何故かそれを思い出した。思い出すだけでも、胸のどこからか酸素が吸い出されるように締め付けられる。いつまで経ったところで、それを克服などできない。いつまで経っても消えないそれが坂下の原動力になっていることを、坂下自身苦々しく思いながらも認めている。

 修治の目の前に立って、修治のその凶悪な笑みを向けられているのは寺町であるが、明らかに、修治は寺町を見ていない。寺町の奥の、誰かを見ている。それが寺町の師匠となった北条鬼一に向けられているのか、もっと別の誰かに向けられているのかまでは、坂下には分からない。

 ただ、どうだろう? 坂下は、こうも思うのだ。

 実力的には、彼我の差。だからと言って、見ないでいい相手ではないと思うのだが。

 ないがしろにされることを何より嫌う坂下の、それは感傷みたいなものだったのだろか。修治と寺町との差は、ぶっちゃければ話にならないほどある。寺町だってちゃんと成長していても、まだまだその差は勝負すらできないレベルだ。

 その点では、理論的な意見とは言えない。

 しかし、こうも言えるだろう。

 実に自然に、寺町は拳を上に構えた。鬼の拳にはまったく届かないのだろう、不良の間で一角などという大層な名前で呼ばれようとも、そんなもの子供だましだ。生ける伝説と比べると、おもちゃみたいなものだ。

 不意打ち? いやいや、その拳はあからさま過ぎる。不意を打つには、予備動作も構えも大きすぎる。しかし、不意を突いた、というのならば、それは寺町の動きの素晴らしさこそを褒めるべきだろう。

「!?」

 上に構えられた拳が、真っ直ぐ一直線に、修治の顔面に打ち下ろされる。繰り出す本人には美意識の欠片もない癖に、その打ち下ろしの正拳には、美しさすら感じられた。

 まったく自然な動きから、まったく無駄のない動きで繰り出された高速の打ち下ろしの正拳を、修治がギリギリで横に避けた。反撃がなかったのは、余裕の現れではないだろう。寺町が、反撃を許さなかったのだ。

 理論的、その言葉は、寺町にはそれはもう、似合わない。そうとしか、言えない。

 修治が目を見張るのを、坂下は少しだけ楽しい気持ちで見てみた。

 

続く

 

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