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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(82)

 

 相手の意の隙を突く、という技術がある。どんなに熟達した者であろうとも、集中力というのは時間に均等に振り分けられるものではなく、どうしても意識と意識の間に隙が生まれてしまうのだ。もちろん、これもさらに熟達すればほとんどを消すこもできる。

 しかし、実際はそんなことを考えずとも、相手の意の隙を突くなどという芸当のできる人間自体が極端に少ない。いや、そんなファンタジーはないとすら言い切ってもいい。意識してそれを行えるのは、せいぜい綾香ぐらいなのだ。

 だが、先ほどの寺町の動きは、それに近かった。もっと言えば、相手に察知されないように構え、意の隙に拳をねじ込んだのだ。多分、それを天然でしているのだろうところが寺町の恐ろしいところだが、いつも出来る訳ではないので、先ほどの打撃は、まさに会心の一撃だった、とも言える。

 そんな打撃を放った寺町を褒めるべきなのだろう。だが、その打撃は空を切った。修治が、避けたからだ。並でなくとも、あんなもの打たれれば、一撃で勝敗が決まるだろう。少なくとも、浩之程度ならば一撃だ、と実力の面で言えばそう思うのだが、いかんせん浩之も色々な意味で並どころではないので、坂下にも言い切ることもできないのだが。

 ただ、少なくとも寺町には一切の手加減はなく、当てて一撃で倒そうとしていたのは明らかだった。乾坤一擲という言葉もあるが、寺町の一撃はまさにそれだ。そして、これが凄いことなのだが、その会心の一撃を避けられても、寺町には崩れた様子がまったくないことだ。むしろ、楽しそうにすら見える。というか、笑みが顔から完全にもれている。不意打ちにも近い会心の一撃を持ってすら倒せない相手が、目の前にいると思えば、格闘バカの寺町にはたまらないのだろう。

「ちっ」

 修治は、いらだたしげに舌打ちをしていた。柄が悪い、という訳ではないが、人格者、という風ではない。ただ、不意打ちをされたことを怒るようなタイプには見えなかったので、坂下は多少まゆをひそめた。御木本は何か気に障ることを言ったようだが、少なくとも不意打ちに関してはそう怒っているようには見えなかったからだ。

「ああ、くそったれ。腹が立つぜ」

「おや、攻撃してはまずかったですか? もう戦うのは了解しているものとばかり思っていたのですが」

 構えをまったく解く様子もなく、寺町はいけしゃあしゃあとそう言ってのける。寺町にはその気はなくとも、これだけの強者なのだから、不意打ちや先制攻撃ぐらいで目くじらをたてるな、と言っているようにすら聞こえるのだ。さすが、天然で相手の神経を逆撫ですることに関しては天才的である。坂下だって修治と同じ立場であればむっとしただろう。

「それはかまわねえよ。どう見たって友好的に話し合おうって様子じゃねえしな」

「いや、それは嬉しい。ますますやる気が出てくるというものです」

 会話が成り立っているようで成り立ってないようでやっぱり少しだけ成り立っているような、この歯がゆい会話。やはり寺町は天才と言わざるを得ないだろう。ただ、正負、どちらのベクトルか、という意味では完璧にマイナスなのだが。

「いや、ほんと、腹が立つぐらいだぜ。さすがは北条のおっさんが弟子に取るだけはあるな。浩之とどっちが上かってところだな」

「ふむ、藤田君ですか、彼も楽しい相手ですよ。師匠を除けば、ここ最近では一番、と言えるかもしれませんね」

「勘違いするな」

 修治は吐き捨てるように言った。

「実力の話をしてるんじゃねえんだよ。浩之とてめえ、俺から見ればどっちもどんぐりの背比べだ。実力的に言えば、もっと上のやつなんていくらでもいる。俺が言っているのは」

 ここで、修治は本当に苦々しい顔をした。心底、嫌がっているようにすら見える。ただ、それは怒りとは、微妙にずれているように坂下には見えた。

「才能の話だ。ほんとに、近頃の若い奴はどうなってるんだ。浩之がうちに来たのは単なる偶然だが、それは指導者としては、才能あるやつを選ぶよな」

 坂下も、そこは同意見だ。いつだって、指導者は坂下ではなく、綾香を選ぼうとした。それはそうだ、誰の目にも、才能の差は明らかだからだ。というよりも、綾香よりも才能に恵まれた人間など、競技人口の少なさとか色々な条件を無視してもいるとは思えない。

 ただ、才能ある人間が、結果を出せるかどうかはまた別の話だ。指導者にとってみれば、才能がある教え子というのは、才能のない教え子よりも扱い難いものなのだ。結果が出ないだけならばまだいいが、才能に溢れても成長しない、というのは何も珍しい話ではないのだ。

「ふむ……才能というものにはあまり興味はないですが、楽しみとは別でしょう」

「ああ、そうだな。気にするな、俺が不機嫌なのは比べたときの自分の才能のなさにだ。才能ない男の嫉妬だと思って無視してくれ」

 それは、坂下にも分かる。実にかっこ悪いことだが、その嫉妬を、坂下は痛いほど理解出来る。どれほど強くなれても、それが消えることはないだろう。それほどに、才能にめぐまれなかった人間には、才能というものはまぶしい。

 しかし、才能に恵まれなかったという人間を前にして、才能に恵まれている格闘バカは、首を横に振った。

「いやいやいや」

 にかっ、と寺町は、格好いいとはまったく言えないが、それ以上にまったく暗さのない笑みで、言い切った。

「その実力以外に、ここで大切なものはないでしょう?」

「……」

 それには、修治も坂下も反応できなかった。理解しろ、とは言わない。才能ある人間には、才能のない人間のことなど理解できない。

 だが、寺町はその上を行く。才能あるかないだと知ったことはなく、今目の前にある実力だけが、この男にとっての楽しみで、他は知らない、と。自分勝手に、実に明るい笑みで笑いながら。

 何事も、笑顔のままで楽しむだけの、バカさを寺町は持っており、そこには暗さの一点もない。

 バカだバカだ、と言われながらも、寺町が後輩からの信頼を得ているのは、この点に尽きる。暗さを持たない。それこそ、社会不適応者だからこそ持つ、底抜けの明るさ。まあ、バカであろうと、突き抜けてしまえば、それはもう一種の武器だ。

 ただ、坂下としては、回りで何が起こっても気付かないほどに完璧に見惚れている鉢尾にはどうだろう、と思うのだ。人間的には魅力だとは思うが、異性としての魅力は、さてまったく感じないのだが。

「……お前、バカだろ」

「はっはっはっは、よく言われますが、自分としては、ただ戦えることが楽しみで仕方がないだけなんですがねえ」

「ははは、なるほど、これは才能云々の話じゃねえな。お前、北条のおっさんと息があうだろ」

 ぐぐっ、と修治は、右腕を持ち上げる。ただ片腕を引きつけただけだ、なのに、坂下は肌で、ぴりぴりとした圧力を感じていた。無意識に、坂下は身体が反応して、受けを取る重心になる。今から来るのが、坂下への攻撃でないと分かっていてもだ。

「師匠とは、たしかに馬があいますね」

 修治から発せられる圧力に、寺町の顔が、大好きなおやつを目の前にした子供かという顔になっている。今時、おやつ程度で目を輝かせる子供はいないかもしれないので、それ以上だろうか。

 気の弱い人ならば、それだけで動けなくなりそうな圧力が、修治から発せられているというのに、寺町は実に楽しそうだった。

「これは俺からのサービスだ」

 そして、修治も、楽しそうだった。

「受けるか避けるかしろよ。直撃だと、死ぬぞ」

 

続く

 

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