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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(83)

 

 さて、この状態で、くだんのお話の初期に戻るのだが。

 修治は、受けるか避けるかしろと言った。でなければ死ぬとも言った。冗談、ではないだろう。修治ほどの猛者が死ぬと言えば死ぬだけの威力があるということだ。坂下自身が生死の境をさまよったから言うわけではないが、そもそも、素手で人を殺すのは思ったよりも難しくない。修治の攻撃は、人間が普通に耐えられる範囲を逸脱しているのは見なくとも分かる。

 まあ、それを言うと、明らかに人の範囲を逸脱した攻撃を受けて、坂下は死ななかったのだから、むしろ人というのは頑丈なのかもしれないが。

 にも関わらず、寺町は、防御の構えなど取らなかった。腹の奥から息を吐き出し、いつもの、右腕を天に向ける構えを取る。死を恐れないというよりは、ただ死というものに頓着していないとも取れるほどの、無謀だった。

「おいおい、それは守りの構えじゃないだろ」

 余裕の顔で、修治は言い放つ。まあ、実際実力から言えば、修治にとっては寺町は敵ではないのだから、余裕なのは当然なのだが。むしろ気になるのは、先ほどまでは少なからず悪感情があったようにも見えたが、構えを取った瞬間に、それがさっぱり消えていることだ。構える前と構えた後では、まるで人が違うようだった。

 そして、何よりも坂下を驚かせるのは。

 構えが、見えないのだ。

 言っていることがわかりにくいだろうが、坂下にはそうとしか言えない。修治は、確かに構えている。しかし、その構えが、うまく捉えることができない。いや、そこまではまだ理解できるのだ。重心が完璧に制御されている構えからは、隙というものがなくなる。

 相手の構えを見るだけでも、かなりの情報が手に入る格闘技の世界において、相手に構えを理解させない、というのはなかなかに効果のある技だ。そして、重心にブレがなければ、坂下も受けをするのが難しくなってくる。なるほど、実力に見合った構えだ、と坂下も納得できる。

 だが、それだけではない。寺町よりはよほど低く、しかし攻撃の為に引きつけられているはずの、修治の右腕を、坂下は見失いそうになっていた。

 確かに、修治は右腕のみ身体に引きつけ、攻撃の構えを取っているのだ。だが、そこからは攻撃の意志どころか、攻撃の為に構えられているはずの腕も、何故かうまく捉えることができない。目には入っているのに、ともすれば見失いそうになる。

 修治という男の存在感はそこに健在であるのに、そこにいるのは拳を持つ男には見えない、別の何かとしか思えない。

 構え一つから言っても、常軌を逸している。まさに、怪物。

 そんな相手を前にして、寺町はまったく臆することなく構えを取るのだから、胆力というかバカさ加減はもしかしたら知り合いの中では一番なのかもしれない、とそれこそ常軌を逸した知り合いを持つ坂下は思った。坂下がそう思うぐらいだから、寺町はもう流石というかいい加減にした方がいいかもしれない。そのうち命に関わりそうだ。

 いや、まあすでに命に関わっているようにも見える訳だが。

「はっはっは、防御の方はあまり得意ではないんですよ、見逃して下さい」

 大嘘だ。寺町は、十分に相手の攻撃を裁くだけの技術を持っている。下段に弱いという弱点も、当然のように空手部で狙われ続けて、あまり弱点とも言えなくなってきている。修治を相手するには致命的だろうが、少なくとも下手なレベルではない。

 しかし、当の寺町は、嘘をついている気はないだろう。寺町にとってみれば、攻撃に比べれば、防御の方はそう執着するほどのものではないのかもしれない。いや、それでもちゃんと防御の練習もしているのは、ただ何も考えていないのか、天然で強くなる為のことをしているのか、坂下はどっちが理由でもさして驚かない。寺町はバカだが、寺町の身体はなかなか頭が良いのだ、少なくとも宿主よりはよほど。筋肉で考えた方が賢そうなのは、坂下の知り合いの中でも流石に寺町ぐらいだ。

「というか、攻撃する余裕があるとでも思っているのか?」

「と言って構えを取らない理由にはならないでしょう?」

 本当に疑問に思ったのか、修治が尋ねると、まったく理由にもならない言葉で返される。まあ、寺町とまともに会話をしようとするのにあまり意味があるとも思えない。

 寺町は、それはもう楽しそうに笑いながら言う。

「それに、大技を繰り出すと相手が言っているのに、それを静かに見守るなんていう礼儀知らずは、俺にはできませんよ」

 それは礼儀なのか? と坂下は思うのだが、まあ、所詮は寺町だ。ただただ戦いを楽しみたいだけで、口から出る言葉には気にするだけ無駄だ。まあ、頭を働かせているようには見えないのに、けっこうな率で本質を突いてくるのだから、天然というのは空恐ろしい。はた迷惑とも言う。

 迷惑が二つの拳と服をつけて歩いているような寺町は、坂下にそんな風に見られていることに気付いているのか気付いていないのか、まったく気にした様子はなかった。というか、今の寺町に、修治以外のものが写っているようには見えない。

「さあさあ、どこからでも来て下さい。俺の、全力で相対しますよ」

 冗談でもなく当たれば死ぬと言っている攻撃を繰り出そうとしている相手を前に、寺町は喜び過ぎだった。実に寺町らしく、うざいことこの上ない。

 寺町のやつ、趣味に走るのはいいけど、直撃だと死ぬとか言われて、鉢尾が寺町を止めることもできずに、物凄い顔を真っ青にしているのに気付いてるのかねえ? ああ、気付いててもおかしくないけど、気にしないんだろうねえ。

 寺町が痛い目を見るのはいいが、まわりのことぐらい気にすべきだと坂下は、自分のことを棚に上げて思う。まあ、程度の差から言えば寺町の方が激しく酷いので、坂下の言い分も分からないでもない。

「あー、そのことだが」

 修治は、少し申し訳なさそうにしながら、言った。

「直撃だと死ぬ、ってのは、ありゃ嘘だ」

「……………………は?」

 思い切り冗談だったらしい。

 寺町が、激しくあっけに取られていた。いや、普通はそこあっけに取られる部分ではないのだが、よほど楽しみにしていたらしい。大きく腕を振って訴えかける。

「いやいやいやいや、言ったからには実行して下さいよ。それぐらいの実力はあるでしょう?」

 かなり必死な寺町だが、明らかに必死になる方向が間違っている。多分、横で大きく息をなで下ろす鉢尾の存在など、今度こそ意識に入っていないだろう。

「あー、ついでに言うと、受けるか避けろって言ったけど、あれも撤回な」

「そ、そんな……」

 この世の終わりか、というほどに肩を落とした寺町を、坂下はざまあみろ、という気持ちで見ていた。まあ調子に乗っている寺町、本人にはその気持ちがないことは重々承知だが、結果そうなっているのだから仕方ない、には多少痛い目を見た方が、この場合は痛い目を見なかった方がいいのだ。

 修治は、肩を小さくすくめると、言った。

「避けも受けもできねえからな」

 寺町が、吹き飛んだ。

 

続く

 

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