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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(84)

 

 十分なスピードと重さの乗った蹴りが下半身に当たれば、相手は前のめりに倒れるだろう。簡単に言ってしまえばだるま落としのようなものだ。

 頭部を狙った攻撃がガードされれば、どんなに攻撃の威力が高くとも、せいぜい身体全体が後ろに飛ばされるだけだろう。受けの理は衝撃を逃がすことにあるが、ガードの理は衝撃を身体全体で受けることにあるからだ。

 そして、人を破壊力という意味で壊すだけの打撃が頭部へクリーンヒットした場合、頭は跳ね飛ばされて、人の身体は胴で回転する。衝撃を逃がす為には、身体全体が飛ばされなければならないが、本当にクリーンヒットして衝撃を逃がすのに失敗した場合の話だ。

 例えば、寺町の打ち下ろしの正拳がクリーンヒットすればそうなる。当たり所の話もあるが、それを差し引いても、寺町の打撃の威力がかいま見える内容だ。

 だが、今はその寺町の身体が、紙屑のごとく錐もみして跳ね飛ばされたのだ。

 頭を打ち抜かれたのでもなければ、受けで威力を逃がしたのでもない。クリーンヒットであったかどうかは坂下には判断つかなかったが、寺町がそれを防御出来なかったことは確かだった。

 寺町の身体は、斜め後ろに錐もみする、という非常識な回転をしながら、大きく、跳ね飛ばされていた。五メートルは飛ばされただろうか。まるでトラックとぶつかったような状態だった。寺町の身体は決して小さくないのに、それが本人の意志とは反して、軽々と宙を舞っているのだ。

 誰がどう見ても寺町が受け身を取れるような状態ではない。坂下も寺町が跳ね飛ばされたのに気付いたのが数瞬ではあるが遅れた。

 砂の上とは言え、五メートルも横に跳ね飛ばされて頭から落ちればただでは済まない。しかし、怪我もあるし距離もあり、坂下では手が届かない。一番動けるはずの修治に一瞬だけ期待したが、修治は自分で攻撃をしたのだから、それも無理な話だ。

「わととっ!」

 あわや、寺町が頭から落ちそうになったところで、横から伸びて来た腕が、寺町の腕を捕まえ、寸前のところで、寺町は頭から落ちることを免れる。ただし、その後はその腕も手を離したので、砂の上を盛大に横滑りしたが、まあ頭を打つ衝撃を免れれば大丈夫だろう。それに、手を離さなければ、手の伸ばした方か、腕を掴まれた寺町の肩の方がどうかなっていたかもしれない。角度を変えて、脚の方が前に来るようにした判断は正しかった。

「いやー、危ない危ない。ギリギリだったね〜」

 笑いながら軽く言ってのけるアンバランスなほどに胸の発達した女性、先ほどまで健介の勉強を見ていたサクラは、その素早い動きと絶妙な判断を誇りもしない。まあ、いかに軽く言ってのけても、隠しきれない感情が微妙に溢れて、少しばかりテンションが上がっているように見える。致し方ないだろう、多分、サクラも素人ではなく、素人だとしてもそれは決して知らないという意味での素人ではないのだから、今起こったことを思えば、テンションも上がろうというものだ。

 ちらり、と横を見ると、慌てて、というか取り乱して寺町に駆け寄っていく鉢尾と、柔らかく笑っている今までも口を出して来なかった初鹿。いや、初鹿からだって、柔らかい笑みに隠してはいるが、愕然としているのが見て取れた。

 寺町が負けるのは、何も不思議ではない。坂下や初鹿からしてみれば、修治が強いのは明らかで、寺町に対抗できる術などないのは最初から分かっていた。

 だが、寺町を文字通り吹き飛ばした修治の攻撃は、理解の範疇を超えていた。横に回転、という威力自体も意味の分からないものだが、問題の多くは、そこではない。言ってしまえば、威力など、相手の受けすら許さないほどに上がらない限り、一定以上は意味がないのだ。

 問題は、坂下にも、それがクリーンヒットなのかどうか理解でなかったことだ。まして、寺町の身体が跳ね飛ぶのを理解するのに、数瞬の間があったなど、ありえないことだった。

 修治の攻撃を、坂下は見ることが出来なかった。

 攻撃した後は、分かる。まるで肩から背負うように、肩が突き抜けた振りだ。威力は申し分なかろう。しかし、あくまで当たればの話だ。普通に考えれば、そんな大振りのパンチ、簡単に当たるものではない。

 しかし、修治の攻撃に、寺町はまったく反応できなかった。どころか、まわりで見ていた誰も、その攻撃が当たるまでが、見えていなかった。

 坂下も、修治と相対していた訳ではないので、攻撃を認識する精度は落ちるだろうが、多分、相対していても認識できなかっただろう。坂下が成長するために必要だった二回の手痛い敗北のときの決定打となった認識できない攻撃、修治は、最低そのレベルに達していた。

 初鹿、いや、チェーンソーの異能の必殺技が生み出す速度とも、明らかに異質。そこだけ、コマ送りがとぎれているように見ることが出来なかった。三眼の綾香が繰り出すそれとも違うのかもしれないが、残念ながら、坂下にしても、それを判断することは出来ない。見えないだけならともかく、感じられないものまで理解できるほど、坂下は万能ではない。

 認識できない攻撃。

 寺町に反応できる訳がなかった。ただただ打たれるしかなかっただろう。なるほど、防御など何の意味もない。打たれれば終わりだ。

 それだけの大技を放った方の修治は、跳ね飛ばして、おそらくは意識などないであろう、というかあっても少し話しかけるには遠くなった寺町の方に言い放つ。

「感謝しろよ、まだジジイにも北条のおっさんにも見せてないんだ。まあ、まだ未完成な技だけどな」

 これで未完成、というのだ。一体、修治はどのレベルを目指しているのか、坂下ですら目眩を覚えるほどだ。もっとも、坂下の目標だって、誰だって聞けば目眩を覚えるようなものだが。

 完全に意識を失っている、というかそれ以外は砂の上を滑った擦り傷と打ち身ぐらいだろう寺町を、鉢尾が抱き起こそうとして失敗している。鉢尾も酷くひ弱、という訳ではないだろうが、意識のない男の身体は重すぎるだろう。

 あれだけの一撃で、寺町に致命的らしきものが見受けられないところを見ると、修治が手加減をしたのか、それとも、本当に完成していないのか。

 致命的になるかもしれなかったものを回避したのだから自分の仕事は終わったとばかりにこちらに近づいてきたサクラを見ても、寺町のダメージは致命的ではないのが分かる。一応、サクラはこれでも医療の知識を持っているのだ。まさか危険な状態の人間を放ってはおかないだろう。そう信じたいところだ。

「いや〜、お兄さん、凄いね〜。私が見た中でも、一番強いんじゃないかなあ? ちょっと興味あるな〜」

 胸を強調するように前屈みになりながら、サクラは親しげに修治に話しかける。サクラはなかなか綺麗だし、そもそもその凶悪な胸で迫られれば、男ならば無条件で降伏しそうなものだが、さて、それはどういう意味で興味が在るのか、微妙なところだ。これが色恋の話であれば、修治もうかばれるのだが、正直、サクラの真意は誰にも分からない。というかこの流れで、サクラが修治にそういう意味で興味を持ったとは思えない。かわいそうなことだが。

「あ、ああ、いや、さすがにあそこまでやるのは、ちょっと大人げなかったかもな」

 いきなり色気たっぷりに話しかけられて、修治は一瞬とまどうが、次の瞬間、さきほどよりも、よほど困った顔をした。

 どうしたのか、と坂下は思ったが、すぐに理解した。寺町の頭をかかえるようにした鉢尾に、修治は思い切り睨まれたのだ。

 大切な寺町が、ここまでやられたのだ。それは睨むぐらいは当然なのだろうが、実際のところ、少なくとも半分以上は寺町に原因があるし、あれだけの技を食らったことを、寺町は喜びこそすれ怒ることはないだろう。理解できなかったことを残念がるだろうし、けっこうな確率で、目が覚めたら理解できなかったのでもう一回やってくれと言うだろう。

 鉢尾の気持ちは分からないでもないが、どう見ても八つ当たりか逆恨みで、修治がとまどうのも当然だ。

 どっちが悪いかと言えば、明らかに倒れている寺町なのだが、そんなことは、恋する乙女には関係ないのだろう、困ったものだった。

 

続く

 

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