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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(85)

 

 夏草や 兵どもが 夢の跡

 というほど大層なものではないし、そもそもその惨劇が起こってから大して時間も経っていないので、どちらかと言えば阿鼻叫喚だろうか? 今のところ安定?しているので、それも違うような気もする。

「混沌怪奇ってところね」

 綾香の言葉に、ぽんっ、と浩之は手を叩いた。そんな四字熟語はない訳だが、多分大して複雑ではないことと、混沌と怪奇を合わせたほどのカオスっぷりなのだ。さて、浩之もなっとくの混沌さを説明していこう。

 珍しいものでも見るかのように空手部員達が、あまり関わり合いたくないのか、けっこうな距離を開けて見守っている。まあ、ここまでは普通。

 御木本が倒れてぴくりとも動かない。そろそろ日も上がりだしたので、そのまま放っておくと日射病になるのでは、と思うのだが、もちろん日射病以前の問題である。こんな朝っぱらからどう見てもKOノックダウンとは元気過ぎる、いや弱すぎるのか。御木本と比べて自分がどれほど強いなどという自信もない浩之としては、弱すぎると言うにはいささか抵抗がある。まあ、不幸な人災でも起きたのだろう。

 しかし、御木本は正直、その混沌さの一割にも満たない。人が倒れているのを日常と判断してしまう浩之の私生活もそろそろただれたどころの話ではなくなってきたが、よく起こることなので、いちいち気にしていてはやってられない。

 ただ、後二人は、例えたった二人であっても、混沌さには事欠かない。

 ぶっ倒れて、こちらは部員に解放されている寺町。意識がないのは間違いなさそうだが、坂下が怪我をしている以上、寺町をKOできるような人間はここには……まあ実のところ初鹿がいるのでやろうと思えばできるのだろうが、しかし、それは初鹿がここにいること自体カオスなのだから仕方ない。

 倒れている寺町は、また不機嫌そうな顔をしていた。正直、KOされた寺町など見たくもない、もとい見ても不思議ではない、何せこの男は戦うことを何よりの喜びとしているのだ。自分がKOされたからと言って不機嫌になるような男ではない。まあ、KOされた後に表情が変化するならば、だ。だが、戦っている間は確実に楽しそうにするだろうし、寺町相手に不意打ちを成功させるのは不可能に近い。天然は、ときとして常識を覆し、寺町が不意打ちを食らう、という状況を、浩之には想像できなかった。

 そしてこの混沌さと怪奇さを、ほぼ一人で演出していると言ってもいい男は、倒れてはいないものの、かなり消耗していた。

 本命の大学に不合格だったのか、仕事で致命的な失敗をしてしまったのか、それとも妻に離婚届けをつきつけられたのか、その程度には憔悴しているように見えるこの物語の中でもいかんなく怪物さを発揮させている男、修治は、まあ簡単に言ってしまえば、へこんでいた。

 修治が猛威を振るえば阿鼻叫喚ぐらい簡単だろうが、こうも違う意味で猛威を振るってくるとは、浩之の想像外だ。主に駄目な方で。

 今にも体育館の端で壁に顔を向けて体育座りしそうなほどにへこんでいる寺町の横で、本当に何故か、サクラがまるで気を引こうかとしているかのように話しかけている。サクラはまだ性格は読めないが、少なくとも外見は十分かわいいし、何よりも巨乳なので、わあ、修治良かったな、かわいい子にもてて、とでも言ってやれば、修治も少しは気が晴れるのだろうか? 浩之には、あまりそうは思えない。

「ああ、おかえり、三人とも」

 坂下は、苦笑しながら、浩之達に話しかけた。この混沌怪奇を前にして、苦笑一つで済ませられる坂下はやはり大物だろう。怪我がなければ、坂下が原因の一因を担っていただろう、というかもっと複雑になっていただろうから、上司には欲しくないが。

「……あー、一体何があったんだ?」

 別に誰が誰を倒したのか、などは聞く気もなかったが、意味が分からないのは確かなので、浩之は試しに坂下に状況を聞いてみた。

「えーと、修治さんが藤田を訪ねて来て、そこを御木本のバカがナンパと誤解して襲って返り討ちにあって、喜々として戦おうとした寺町を、修治さんが喜ばせる間もなくはり倒したってところだね」

 さすが坂下、説明が実に端的で分かりやすい。数話分が一行だ。そして続けて聞くとやはりカオスである。

「で、そこで修治がへこむ理由が見あたらないんだが?」

 ナンパ男扱いされて切れて御木本に必要以上のダメージを当てた、などということは、さすがの浩之にも想像つかない。というか誰が想像つくだろうか?

「私にもよく分からないんだけど、寺町を倒した後に、急に凹んでしまったねえ。寺町を倒したときは、別に気にしてる様子もなかったけど、やりすぎたと思ったのかねえ。私が思う以上に、いい人なのかもね」

 いや、それはないんじゃないのか?

 修治は悪人と評されるほど積極的に悪いことをはしないが、明らかに悪乗りする人間だし、何より、人をいたぶるのはけっこう楽しそうにやるのだ。

 浩之はそんな思いを言葉にはしなかったものの、表情に出たらしい。坂下は肩をすくめた。

「まあ、御木本相手だと、ちょっとやりすぎな気もするけど、自業自得の寺町はいいと思うんだけどねえ」

 受けたダメージは寺町の方がはるかに多そうだが、御木本はやったこと以上のダメージだと坂下は感じたのだ。さすがに、ナンパ呼ばわりが修治の機嫌を非常なまでに損ねた、とは想像できなかった。

 そして、坂下には、いや多分浩之にも、はたから見ている分には、想像できなかった。浩之ならば、当事者になれば想像できたのだろうが。

 坂下には想像できない。まさか、鉢尾が睨んだことが修治をここまでへこませていることを。坂下にしてみれば、寺町のそれは自業自得で、鉢尾が修治を睨むのは、逆恨みもいいところなのだ。修治だって、そうは思っているのだが、しかし、一般人の女の子に睨まれるのは、修治にはこれ以上ないダメージなのだ。強さの割に、度胸はないのかもしれない。いや、度胸で不足しそうな男でもない。

 修治は、女の子に弱いのだ。それはもう極端に。浩之ですら、まだそれをはっきりと理解できていないようだが。だからこそ余計に、状況は混沌とする訳だが。

 だが、甘く見られている訳ではないだろうが、甘い。この合宿は、この程度のカオスでは止まらないのだ。

「おー、修治、何やってんだい?」

 この状況で、混沌をさらに加速させる人物が、新たに現れたのだ。

 

続く

 

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