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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(86)

 

「おー、修治、何やってんだい?」

 坂下は、今度こそ見たことのない人物だった。野性的な笑みに、鍛え上げられた大柄な身体。そして、強者だけが纏う独特の雰囲気をこれでもかと吐き出している女性。一見しただけで、ただ者ではない。

 後、気のせいか、余計に修治の肩が落ちたように見えた。多分坂下の気のせいではないだろうから、よほどこの女性のことが嫌いなのか、よほど迷惑をかけてくる相手なのだろう。まあ、何の波風も立てずに退場してくれそうな女性には、坂下にも見えない。どちらかと言うと、その女性を見ていると、綾香のことを思い出すぐらいだ。

「ほっといてくれ」

 まだ凹んでいる修治は、そちらに目を向けることもなくに言い捨てる。積極的に目を合わせたくないようにすら見えた。

「おいおい、麗しのお姉様に対して、そのそっけない態度はないんじゃないのか?」

 今のところ、こんな登場人物は、綾香を除けば一人だけ、修治の実の姉、まあ血がつながっていないと言われても何も疑問にも思わないだろうが、武原彩子だ。

 自分ののことを麗しなどと言っているが、正直、そんなタイプではない。美人なのは間違いないが、それは麗し、などという言葉では表せない類のものだ。凶暴な肉食獣だって、人を殺すために打たれた日本刀だって、美しいことには変わりなく、まさに彼女はその類だった。

 Tシャツにジャージ、汗で透けているブラも色気もそっけもないスポーツブラと、まったく男の目を引くものではないが、しかし、男女関わりなく目を離せなくなる類の、内からあふれ出る強い光を持つ女性。着飾らずとも、何の支障もないだけの魅力を兼ね備えた女性だ。

「はっ、寝言は寝ていい……」

 だが、どれほど外見が良くて、カリスマと言っていいぐらい内面から何かがあふれ出しているとしても、修治にとってはまったくうれしくないのだ。むしろうっとおしいとすら思うだろう。だから、修治の返事がそっけないどころか、棘を含んでいてもおかしくはなかったが、そのセリフは、最後まで言わせてもらえなかった。

 「よっと」と気軽に前に踏み出した彩子が、そのまま背を向けてへこたれている修治の後頭部めがけて、前蹴りを繰り出したのだ。気軽に、単なる冗談で、という初動であったが、見事なまでに体重の乗った前蹴り、というかケンカキックは、当たれば必倒の一撃だ。

 それを、修治は背を向けたまま前転して回避していた。そのまま起きあがる動きの中に、振り向く動きを入れて彩子の方に身体を向けながら、素早く構える。先ほどまでの余裕などない、対等以上の強敵に会ったような本気の構えを瞬時に取った。

「……てめえ、不意打ちとは落ちたもんだな」

「はあ? 何言ってるんだか。挨拶だよ、こんなもん。あー、でも修治も少しできるようになったもんだね。昔ならガードを入れるので精一杯だったのに」

 背中を向けた状態で、いくら予備動作があったとは言え、彩子のケンカキックを避けるのは、彩子にとっては少し程度らしい。むしろガードが間に合うことだって決して低くはない攻防だろう。まあ、あれだけ見事なケンカキックが決まってしまえば、ガードにどれほどの効果があるかは疑問だが。

 彩子は、それだけで修治に興味を無くしたように、まわりの見知らない高校生達に目を向けた。当たり前だが、部員達は一歩下がる。まあどうも姉弟らしいとは言っても、いきなり背中からケンカキックを繰り出すような人間とお近づきにはなりたくないだろう。いくらこういうことにけっこう慣れているとはいえ、だ。

 と思っていたら、部員の一人が前に出てくる。空手部きっての格闘マニア、実力は正直最低ランクの近藤だ。

「あ、あの、もしかして、武原彩子選手じゃありませんか?」

「ああ、そうだよ」

「ああ、やっぱりっ! 試合良く見てます!!」

「お、ありがとね。正直、誰も知らなかったらどうしようかと思ってたんだよ」

 武原彩子、女子プロレスファイトドリームのエースの一人だ。最近プロレスの人気自体が落ちているとは言え、それでもプロの格闘家の中では十分有名所である。しかし、考えてみると、いくらプロでも、このレベルの人間が本気を出して戦っていて、死人が出ないのだろうか、そこらへんがまず疑問に感じるところだ。

 危険かどうかはとりあえず置いておいて、彩子に知名度があるのは事実で、勇気を出して聞いた近藤の後は、ちらほらと知っている部員が近寄ってくる。近藤はどこからともなく色紙を出してサインまでもらっている。

 プロレスも見たことがあるはずなのに、浩之がそれを知らなかったのは、単なるタイミングの問題なのだろう。坂下が知らないのは、本当にプロレスとか見ていない可能性が高いが。

 修治は、怒りを中途半端に切られたのに少しわだかまりは感じたようだが、それよりもファンの相手をしてこちらに向かって来ないのを良しとしたのか、さっさと背を向ける。

「修治?」

「お、浩之か。暇つぶしに来たらとんだ災難だったぜ」

 二人KOしておいて災難もないだろう、と浩之は思うのだが、まあ二人とも自業自得の色が濃いので、それ以上は責めるのはやめておいた。というか、躊躇するぐらいまだ修治の顔が晴れないのだ。彩子に不意打ちを食らった所為ではないだろう。

「じゃあ、俺は消えるわ。正直、姉貴がいる場所には長居したくねえんだ。どんなとばっちりと直接的な暴力食らうか分かったもんじゃねえしな」

 修治に暴力を食らう、と言わせる彩子は、さて、子供のころのトラウマとかを加味しても、とんでもない女性だろう。

「おいおい、一応修治の姉なんだろ? そこまで邪険にしなくてもいいんじゃないのか?」

 一人っ子の浩之は、兄弟というものにどこかあこがれのようなものを持っているので、仲が悪い、というか一方的に修治が嫌っているようで、それだけのことを彩子はやってきたようなのでどっちを擁護する訳ではないが、仲が悪いというのはどうも居心地が悪い。

「直に被害を受けるんじゃなけりゃ、浩之の言葉をのんでやってもいいんだがな」

 修治は、苦々しく顔を歪める。まあ、浩之だって自分ばかり被害を受けるとしたら、仲良くしたいとは思えないだろう。と言っても、まわりからみれば浩之はけっこう自分の身を顧みないことが多いので、同意されても修治も困るだろうが。

 しかし、それもまあ気になるのだが、それよりも先ほどから気になっていることがあって、浩之は、修治にこそっと耳打ちした。

「にしても、そっちのサクラさんはどうしたんだ?」

 先ほどから、浩之と修治の会話が終わるのを今か今かと待ちわびている、バランスが悪いほどに大きな胸の女性、サクラがこちらを見ている。浩之は、なるだけ視線をそちらに向けないように修治に聞いた。

「あ? ああ、何かさっきからしきりに話しかけて来るんだが……むやみに隠し技とか使うもんじゃねえな」

 何だよ隠し技ってのは、と浩之は思ったが、口には出さなかった。それよりも、浩之はサクラが修治に好意を寄せているようにすら見えるのだが、修治の様子を見る限り初対面のようだし、サクラが強ければ惚れるようなタイプには思えなかったので、よほど隠し技とかが凄かったのか、と考えた。というか、浩之としては、正直その隠し技とやらを見てみたかった。何より、技に関しては決してケチではない修治としては、出し惜しみとは珍しい話だ。

 それについて、返答はどうか分からないが、とりあえず駄目もとで、浩之一人ならばともかくここには綾香までいるのだ、聞いてみようと口を開きかけたところだった。

「修治さ〜んっ!!」

 凄い嬉しそうな、というか何か作ったような声を出して、修治に向かって一人の少女が駆け寄ってくる。というか本当にダッシュだ。男だってこんなスピードで砂の上を走れるのかと思うほどの速度だ。

「うっ……由香ちゃん」

 その少女は、十分かわいいと言える容姿であったのに、修治の顔がとまどいに変わる。怪物と言っていいレベルの男が、先ほどから、いいところがない。が、どうしようもないことというのは、この怪物にもけっこうあるのだ。

 

続く

 

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