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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(88)

 

 修治を間に挟み、目が合っている訳ではないが、態度は完璧ににらみ合いという、修羅場と化している現状を、まあだいたいの人間は半笑いで見ていた。女子は言うに及ばず、男としても、にらみ合いをする二人が十分美人の部類に入るというのに、まったく変わって欲しいと思えないのは、一体誰が悪いのだろうか。少なくとも、普通は原因を作るはずの間に挟まれている男、修治の所為ではないような気がする。

 ついでに言えば、いくらそう親しくない相手とは言え、目の前で目立ってはいるが静かな修羅場を見せられるという、けっこう困った状況だった。端から見れば笑い話なのだが、半笑いになるのも致し方ない。

「やあ、楽しそうだな。男冥利に尽きるんじゃないのか?」

 ここで完全に笑っているのは三人だけ。綾香と、彩子と、後もう一人、ちょっと想像の外であったが、健介だった。というか、いつの間に来たのだろうか。まして、こんなうかつなことを言うキャラではないはずだ。何せ、健介には彼女もいて、これがけっこう嫉妬深いのだ。だいぶ尻にしかれている健介としては、そううかつなことを言えば、どんなことを言われるか分かったものではないはずだが、健介は実に機嫌が良さそうだった。

「何だ、健介。楽しそうだな。修治と変わって欲しいのか?」

 浩之は、少し意地悪な気持ちになって聞いてみた。いつもの健介なら、浩之には素で反応の悪いものだが、返答次第では健介の身が危ないことを言われたのに、健介は上機嫌そうに答えた。

「もちろんごめん被るさ。だが、あっちの修治? てめえの兄弟子だってな、あれには大いに感謝だ」

「ん? 御木本と寺町倒したからか?」

 健介は、だいたい男には態度が悪い、と浩之に思われているぐらいだから大概のものだが、実際下手に出るのは葵相手ぐらいのものだ。まあ、彼女である田辺にはどう見ても逆らえないようだが、憎まれ口を叩くのを止めたりはしない。反骨精神ならば捨てるほどある男だ。御木本や寺町に対してざまあみろ、という気持ちがあってもおかしくない。

「それはどうでもいいさ。まあ、それがついでにあるのはかまわねえけど、俺が倒した訳じゃねえし、あんな怪物を見れたぐらいの嬉しさしかねえけどな」

「なら何でだ?」

 浩之は、いつも空手部と一緒に行動している訳ではないので、嫉妬した田辺に健介がかなり色々困っていることを知らない。だから、それを理由とは考えなかったのだ。自分ばかり苦労するときに、同じ苦労をしている人間を見て、ざまあみろと思うかがんばれと思うかは人それぞれだ。ついでに、健介はどちらかと言うとざまあみろと思うタイプである。

 が、それも理由ではない。理不尽さで言えば、せいぜい決断を迫っているだけであり、健介が日頃受けている胃へのダメージと比べると大したことではない、と思っているからだ。もっとも、実際同じ立場になれば、健介もどちらの方が胃にダメージが当たっているのか分かり、前言撤回するだろうが。

「何、サクラの野郎を引き連れて言ってくれたおかげで、勉強から逃げられたからな。てめえの兄弟子には感謝してもし足りないぐらいだ」

 健介、決してバカではないが、今までのサボリが効いているのだろう、勉強はとことん苦手で、苦手だからこそ大嫌いだった。勉強しなくていいのならば、土下座ぐらい平気でするぐらい嫌いなのだ。寺町のダメージが深刻にならないようにカバーに入っただけではなく、その技を見て興味を持ったのだろう、サクラは先ほどまでいびるだけいびっていた健介を放っておいて、そこで由香と静かな、でも近寄りたくない修羅場を形成している。何で今日初めて会った相手と修羅場を作っているのは謎ではあるが。

 健介にしてみれば、途中の過程はどうでもよく、勉強しなくていいのならばそれで十分だった。

 だが、健介はさっさと逃げるべきだったのだ。まあどこに逃げるという話もあるのだ。

「健介」

「……え?」

 不意に現れた腕が、健介を後ろから羽交い締めにする。腕力で言えば怪我があろうと、少し痛い思いをすれば抜けられる程度のものであった。少なくとも、肘を当てる隙はあった。が、健介は条件反射が働いたからこそ、手が出せなかった。

「あのねえ、手間かけさせないでよ」

 健介を後ろから羽交い締めにしているのは、健介の彼女の田辺だ。腕力で言えば健介の足下にも及ばないが、日頃の調教の成果か、健介は思わず身体を縮めていた。まさにパブロフの犬状態だ。もっとも、正体に気付いたとしても、健介は手を出すのは躊躇するだろうが。

 ランニングから帰って来ているのだから、田辺がいることぐらい分かっていただろうに、よほど勉強が頭の動きを鈍らせていたのか、というか勉強して鈍らせるとか逆効果にもほどがあるが、健介が後手を踏んだ。

 しかし、すぐに我に返って逃げ出すことは出来たはずだった。健介に話しかけた相手が前にいなければ。まあ当たり前の話なのだが、ここには坂下がいて、健介が勉強を途中で放っておいて逃げるのを許すはずがない。

「げぇ、坂下!?」

 どっかの関羽とか孔明とか呼ばれそうな声をあげて、健介は慌てて田辺を引きはがして逃げようとするのだが。

「健介」

「くっ!」

 坂下の怒気一割の声に、身体が動かなくなる。教育が行き届き過ぎである。捕まえている田辺が不満そうな顔をするほどの躾けぶりだ。

「サクラさんはちょっと忙しそうだけど、教えるのは私でもできるからね」

「い、いや、坂下の手を煩わせ……」

「先輩だろ」

 怒気二割。気骨ならばなかなかのものであるはずの健介の顔は、明らかに青ざめていた。いくら坂下が怪我をしていようと、坂下と健介では役者が違うのだ。というか、坂下はどれほどの恐怖政治を行ってきたのだろうか。聞くのも少し怖いぐらいである。

「うっ……坂下先輩の手を煩わせるまでも……」

「私の手を煩わせたくないんなら、さっさと戻って続きをやりな。うちの空手部は文武両道、赤点を出しただけでも許せないのに、これ以上手をかけさせるようなら……」

「ほらほら、さっさと戻るわよ。私だってあんま成績良くないけど、あんたに教えるぐらいはできるからね」

 動きの鈍った健介を、田辺が強引に引きずっていく。

「いや、ちょっと待て、話せば分かる、ていうか勉強はほんとに勘弁なんだよ、おい、助け……」

 助けを求めた健介の手がかかりそうになったので、浩之はひょいと避けた。

「て、てめえ、血も涙もないのかよ!!」

「いや、勉強はしろよ。少なくとも俺はちゃんとやったぞ?」

 浩之は、授業中も時間が惜しいので、半分全力でやって半分寝るようにしているし、怪我が治るまではそれこそ真面目に、いや、それ以上にやってアドバンテージを稼いでいたのだ。他の部活一筋の人間と比べれば、よほど真面目にやっているので、文句も言われない。それで平均点を取ったのだから、これはもう頭の作りが健介とは違うのだろう。というか健介が今までさぼり過ぎだ。

「まあ、怪我してるんだから、この機会にがんばって勉強するこったな」

「くそっ、覚えてろよ〜!!」

 引きずられている健介に、浩之は修治のときのような同情は感じなかった。自業自得過ぎだからだ。むしろ健介の苦しむ姿は、見ている者をすがすがしい気持ちにさせるのは何故だろう?

「くっ……くくくくっ」

 不意に、押し殺したような笑いが起こった。笑っているのは彩子だ。実に楽しそうに笑っている。

「くくくっ、いや、楽しそうで何よりだよ。あたしが学生のころでも、もうちょっと静かだったと思うんだけど、まあ高校なんて中途だからね、ちゃんと卒業してればそれはそれで楽しかったのかもしれないねえ」

 懐かしむ、という様子ではない。どこか対岸の火事を見るような、まあ火事を見て笑っていると言うことはないだろうが、彩子の笑いは、彼女が一般の人間とは違うことを、思い知らせる。まあ、彩子と違ったからと言って別に困ることもないのだが。何せ、相手は完全なプロだ。

 ……というか、この人は何をしに来たんだ?

 浩之の素直な疑問は、これ以上ないぐらいもっともだった。

 

続く

 

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