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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(90)

 

「修治、ちょっとアヤに練習つけてやってくれないかい?」

「……はぁ?」

 彩子からの言葉はお願い、口調は命令の言葉に、修治も怪訝な顔をする。

「あのなあ、姉貴。わざわざ俺にやらせなくても、教えるんなら姉貴が教えればいいだろ」

 この姉弟の会話を聞いていれば、そして修治や雄三の反応を見ていれば分かるように、認識としては彩子>修治になっている。彩子は、修治が腕を上げたといいながらも、それは自分を超えたことを意味するような言葉ではなかった。本当はどちらが強いのか、身内では昔からの関係やトラウマというものもあるので実力だけでは測れなし、実力に差があっても勝負は時の運だ、というのは置いておいて、彩子も修治も彩子の方が強いと思っているように見える。

 修治だって、もちろん弱いなどとは言わない。先ほど、まあ実力的にも大きくかけ離れているので例として出すのはどうかと思うが、寺町がまったく反応すら出来ずに倒されたのを見ても分かるように、修治は強い。坂下が体調が完璧でも勝てるかどうか分からないと思うぐらいの実力なのだ。

 だが、彩子はさらにその上らしい。らしい、というのは、なるほど確実に強いのは分かるが、実力を発揮したのを見たことがある訳でもないので、感じただけなのだが、それでも修治が、トラウマの所為もあるのだろうが、全面的に逃げを打つぐらいは強いのだ。

 はっきり言って、彩子の前では、修治の出番などないと言っていいだろう。修治としても、自分が出るまでもないと思うのは当然だった。

「いいじゃないかい、アヤは、そりゃ地味だけど、間違いなく美人なんだし。こんな女の子に手取り足取り教えることができるんだし、むしろ役得ってもんじゃないか」

「いやその意見はおかしいだろ」

「地味は余計です」

 修治とアヤはほぼ同時に彩子に突っ込みを入れる。しかし、その程度では彩子は揺るぎもしない。迷惑な話だった。反対に、言葉のタイミングがかぶった修治とアヤの二人の方が微妙な気持ちになるぐらいだった。

 アヤは、確かに美人だ。年齢は浩之よりも下ということはないだろうが、年齢のことは置いておいても、美少女と言った方がいいのかもしれない。どこか儚げ、彩子に言わせれば地味、な雰囲気も、下手に、というよりもうますぎるぐらいに派手な綾香よりも男受けはいいかもしれない。

 しかし、それを手取り足取り教えることを喜ぶかどうかと言われると……いや、楽しいような気もする。

 相手の気持ちはこの際無視するとすれば、美少女と接近できるだけで普通の男ならばご褒美だ。もう完全に嫌悪されているのが分かっていて気まずいとか、物凄い嫉妬深い彼女がいて自分の身が危ういとか、そんな理由を置いてすら嬉しいと思うこともあるだろう。そういう意味では、男とはどうしようもないもので、それが正常とも言えるのだ。寺町のような社会不適応者、というか社会だけでなく色々なものから外れてそうな者こそが、問題となるのだ。

 だが、修治はこれでも女性に弱い。情けないぐらい弱い。こんな美少女相手に密着するのは後ろめたい気持ちを覚えるほどだ。まあ、だから彩子に否定的な意見を言っている訳ではないのだが。

「そもそも、俺は教えるのはそんなにうまくねえよ」

 そう言って、修治は浩之に視線を送る。浩之は、修治が同意を求めたのかと思ったが、それを逆効果だとも思った。何故なら、口にこそ出さないが、浩之が成長しているのは、修治のおかげでもあるからだ。そして、浩之がそう思っているのならば、浩之の成長が異常なものであると認識している他の人間から見れば、修治の指導力が低いとは、とても思えないだろう。

 が、それは良い方向にも悪い方向にも向かわなかった。何故なら、彩子はまったくまわりに目を向けなかったからだ。

「あっはっはっは、だってほら、私天才だからねえ。他人に物を教えるのは苦手なんだよ」

 豪快に笑いながら、彩子は言い切った。自分を天才と言い切るのもどうかと思うが、それについては修治は何も突っ込まない。アヤの方も、何も言わなかったのは、修治とセリフのタイミングがかぶるのを嫌がったからではなさそうだった。

 この物語の登場人物で言うのならば、綾香や浩之は天才の部類で、坂下は努力家の部類、葵は半々、という分類になるだろうか。葵は努力の人と見られることもあるが、綾香が坂下が小さいころから目をかけているのは、その才能の所為でもあるのだ。

 修治は、話の上では努力家の部類らしいが、実際あそこまで強いとそれもよく分からなくなってくる。才能がなくてそこまでたどり着けるのかどうか、見えなかっただけで、ちゃんと才能はあったのではないのか、と判断されるだろう。

 しかし、天才というのはそんな中途半端なものではないのだ。綾香しかり、浩之しかり、天才というのは、誰の否定もなく天才なのだ。才能がない者にとっては反則としか言い様がないものだ。

 彩子は、自分のことを天才と言う。綾香だって自分ではそうは口にしないことを、平然と言うのだ。天然で、自分の才能への自覚が疎い浩之は置いておくとしても、凄い自信だった。まわりの者がそれに言葉を続けないのも、自信過剰さに言葉が出ないとか、そんな理由ではない。

 雄三が、修治などブチ殺してでも、口にこそ出さないがそう思っているのは誰の目にも明らかだ、跡を継いで欲しいと思う天才。孫娘だから可愛い、という理論と、跡を継がせたいという理論を、まさか雄三が見誤る訳はないだろう。

 修治の、どうとも取れる苦々しい顔が、彩子の言葉を全面的に認めている証拠だった。

「……すくなくとも、才能ないやつが教えるのがうまいってのは眉唾だ。だいたいそれだと指導の天才、てことになるだろ」

「おいおい、修治。いつからあんたは口で勝負するようになったんだい?」

「勝負なんかしてねえよ、面倒事押しつけられるのを事実で反論してるだけだろ」

 まったく聞く気のない彩子と、何とか断ろうと言葉を重ねている修治では、意見が合う訳もない。

 しかし、修治が言う言葉も事実だった。勉強の天才は、確実に教えるのは下手だ。これは、あまりにも頭の回転が速いと、途中の思考をすっ飛ばして答えを導くからで、暗記強化であれば何故覚えられないのか不思議に思うという駄目っぷりだ。いや本人は優れている訳だが、それでは教えることなど出来ない。間違ったことのある者の方が、間違いを指摘しやすい、そういう意味では、極端に優れているよりは、そこそこの方が人に教えるのには合っているだろう。

 それでも、数式を解くのならば、公式を持って来てちまちまとやれば、最低限の四則演算が出来ればいつかは答えを導き出せるし、暗記強化ならばそのまま書いてあるのものを持ってくればいい。例外はあるが、あくまでそちらが例外なのだ。

 だが、身体を動かすことはそれよりもさらに話がおかしくなる。結局、どんな理論でも、身体を動かすことにはかなわない。分かっていても、そう動けるかと言われるとそうはいかない。まして、努力家の人間は、理論を分かっていない訳ではないが、そんなものが意味をなさなくなるほどの反復運動を繰り返して、身体に教え込むのが普通なのだ。

 さらに言えば、才能ある、つまり自分の動きをちゃんと理解して行える方が、よほど他人の動きの細部を指摘することが出来るのだ。それを教えられた方がすぐに直せるかどうかは置いておいて、間違いの指摘、という人に教える上で一番重要なものが、才能ない者には難しいのだ。

 修治がしぶっている理由は、面倒事なのが間違いないことなのだが、本当の理由は、ここにある。修治にだって、矜持はあるのだ。才能ある彩子と比べられるのは、いくら修治が打たれ強くとも、喜んでしたいとは思えない内容だったのだ。まして、それが無意味と思えば、やる気が起きる方がどうかしている。

「ぐだぐだ言うんじゃない、あたしの命令だよ」

 が、そんなものははっきり言って、彩子の知ったことではなかった。修治が身内だ、ということもあるのだろうが、どっかの誰かを思い出すぐらいのわがままだった。どっかの誰かが寺町でないのは久しぶりかもしれない。

 修治は、目を細める。それだけで、先ほどのどこか弱気な様子が消え、歴戦の猛者のような雰囲気が漂っているように感じるのは、修治が強いと分かっているからだろうか。

「……いまいち俺にはつかめないんだが、何で姉貴は俺に指導しろなんて言うんだ?」

 浩之が急成長したのは浩之が天才だから、というのを誰よりも、もしかしたらその点で言えば綾香や葵よりも、理解しており、自分が決して他人に物を教えるようなタイプではないことを分かっている修治は、真面目に聞いたつもりだった。しかし、彩子が笑みを消すことはなかった。

「そりゃもちろん……」

「はいはいはーーーいっ、修治さんに教えてもらいたいです。え、教えてくれますよね、さあさあ前は急げですすぐやりましょーっ!!」

 そして由香が、空気読まずに思い切り話の腰を折った。

 

続く

 

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