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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(93)

 

 叫びながら跳ね起きた寺町は、立ち上がるがいなや右腕を上に構える独特の構えを取る。すでに臨戦態勢に入っていた。

「……おや、皆さんどうかしましたか? 微妙な顔してますが」

 が、すでに戦闘は終わっていた。というか、さっきまで気絶していたにしてはあまりにも元気過ぎるし、そしてどれだけ何があったのか理解しているのかは分からないが、戦っていた、というのを最初に身体が思い出して動きを取るあたり、寺町たるもっともたるところだろう。まさか、朝起きるたびに跳ね起きて構えを取るということはないだろうから……いや、寺町ならばあっても不思議ではないと思わせるのは凄い。バカは偉大だ。偉大なバカでもいい。

「せ、先輩、大丈夫なんですか?!」

 誰から見ても大丈夫どろこか無駄に元気過ぎる寺町に、鉢尾がすがるように聞く。

「おや、美祢。何だその景気の悪い顔は? というか、また無理してるのか? 俺には迷惑かけるのは問題ないが、ここには坂下さんのところにも迷惑がかかるからな、ちゃんと休んでおけよ」

「は、はいっ!」

 身体を心配されたことなのか、自分に迷惑をかけてもいいという部分になのか、どこが鉢尾の琴線にふれたのかは分からないが、鉢尾はほほを赤く染めて、嬉しそうだった。しかし、すぐにその顔が曇る。

「そ、それで寺町先輩、身体は大丈夫なんですか?」

「ん? 身体? まあ痛いが、何か問題でもあったか?」

 痛いのをその程度で終わらせるのもどうかと思うが、バカは神経も太そうなので問題ないのか。

「でも、あんな怪物みたいな人の攻撃を受けて倒れたんですから、せめて病院ぐらい行った方が」

 怪物、この言葉が使われるとき、ここにいるほとんどの者は、畏怖を持って言う。一番身近な怪物が、綾香という怪物だからというのもある。しかし、鉢尾の言い方は、畏怖はまったく含まれていなかった。そこにあるのは、嫌悪、だろうか?

 正直、寺町を相手するときには、一番似合わない感情だ。寺町はまず嫌悪することがない。バカな相手でも、倒す相手として好む。人を嫌悪しないとは、できた人物とも取れる内容ではあるが、言ってしまえば人間ではないと言っているようなものだ。

 普通の人間は、人を嫌悪する。歩いていても恨まれるのだから、反対に歩いていても恨むことがあるのは何もおかしなことではない。そこは、寺町がおかしいだけだ。

 ただ、今の鉢尾が修治を嫌悪するのは、さて、寺町を一撃の元に倒したからだろうか、それとも、一撃で寺町を倒せるほどの強さがあることだろうか。

「……」

「……先輩、どうかしましたか? やっぱり痛いんですか?」

 いきなり黙った寺町に、鉢尾が話しかける。だが、この寺町が痛いぐらいで黙る訳がない。鉢尾だって、嫌な予感があったが、それを見て見ぬふりをして話をしようとしたのだ。

「……すばらしい!!」

 そして、やはりだった。感極まったように、寺町はぐるりとまわりを見渡すと、心配する鉢尾を置いて、ずんずんと坂下に近づく。そして近づいて行く間も、言葉は止まらない。

「見てましたか、坂下さん!!」

「……ああ、見てたよ」

「では、見えましたか?」

 何の躊躇もなく、寺町は確信を突く。KOされたから記憶が飛んだなどとは、一片も考えない。頭にないのではない、格闘に関しては寺町のそれはまさに天才だ、そんなことがありえないことをわかっているのだ。だから、答えはおのずと出て来て、それをまったく間違いだとは思わない。

「……そうね、見えなかったね。そこは、あんたと一緒よ」

 それどころか、感じることすらできなかった。修治の、認識できない一撃。

「坂下さんですら見えないとは! いや、実に素晴らしい。油断していた訳でも気を抜いていた訳でもないのに、まったく反応どころか、拳が当たったことすら分からなかった!!」

 寺町は、えらく興奮していた。それこそ、バカを回りに発散しているような勢いだ。

 ただ、これは坂下も、仕方ないかとも考えた。坂下が、認識できないほどの一撃だ。それを我が身を持って受けたのだから、格闘バカである寺町に落ち着けという方が無理だろう。

「いや、ただ速いだけではないでしょうが、それだって、見えないままに打たれるどころか、打たれたことすら分からないとは。しかも、この感覚から言って、当たったのは胸辺りのはずなのに、身体全体にダメージがある。倒れたのが原因ではないでしょう、いやはや、驚くべき威力だ!!」

 寺町は、いきなり着ていたシャツを脱ぎ捨てる。鍛え抜かれた筋肉があらわになるが、まあ空手をしていれば、男子部員の上半身ぐらいは見慣れているので、誰も気にしないし、そもそも海水浴場が近いので何も気にするものではないが、それでも、皆ぎょっとする。

 修治の右胸に、くっきりと拳の後がついていたのだ。間違いなく、修治のそれだろう。しかし、拳の跡があることを修治は分かっていたように、冷静にそれを観察する。

「拳は小指が上、完全にひねりきった一撃ですな。これでは一撃で自分が倒れるのも頷ける。しかし、これではいかにも情報が足りなすぎる!」

 興奮した上半身裸というもうどっから突っ込んでいいのかわからない寺町であったが、目だけは確かだった。拳の跡から相手の動きを解析するというのも、そもそも拳の跡がつくのが希有な話なので、さてどう評価していいものか。

 完全に肩の入った一撃だったあの動きならば、確かにそうなるだろう。いや、ひねりが入っている以上、当たった後も拳はひねられているはずで、そう考えれば、最後の一押しに全ての力が込められていたと考えるのが正しいのだろう。一瞬に、全ての力を注ぎ込む、ほとんど打撃の理想ではないか。

「これは、もう何度か受けて考えるしかないですな!」

 鉢尾が口をあけて、しかし言葉を出すことができなかった。鉢尾でなくとも、言いたくなるだろう。一撃で意識が飛ぶような一撃を、何度も受けたいと寺町は言っているのだ。死ぬ気としか思えない。

「さあ、お待たせしました、続きを……」

 寺町の言葉は、そこでとぎれた。誰と? と皆思った。

「おや、坂下さん、さきほどの猛者はどこに? トイレ休憩ですか?」

「んなわけないだろう? 帰ったんだよ」

 正確には、引きずられて行った訳だが、まあ坂下達にしてみればいなくなったので大した差はない。面倒事と一緒に消えてくれるのならば、むしろ感謝したいぐらいだ。まあ、そもそもの騒動の元凶ぽい感じもするので、誰も感謝はしないが。

「な……なんと……、坂下さん、何故止めなかったんです!」

 坂下も、あまりの理不尽に言葉がなかった。

「いや、それはもういい。それよりも、坂下さんとお知り合いなんでしょう? 紹介はいいですから、いる場所を押して下さい、こちらから出向きます!!」

「部長、バカなこと言わないで下さい。合宿中ですよ」

「放っておけるか! あそこまで凄い人を放っておいて合宿? できるか!」

 中谷のいつもの部長攻撃にすらまったく反応しない駄目っぷりだ。

 先ほどから、修治は何かどうも良くない方向から熱烈なアピールを受けるようだ。いや、性格はともかくまだランやサクラならば喜ばしい部分もあるだろうが、寺町では一部の隙もなく嫌だろう。

 見ているほとんどの者が頭痛を覚えるという惨事だった。

「あー……初鹿さん、いいですか?」

「はい、少しは私も気持ちが分かりますが、これはさすがの放任主義の私も放っておくのは心が痛みますから」

 寺町に対する最終兵器、初鹿を出すしかないほど、状況は酷い、いや寺町は酷いことになっていた。

 でも、それもちょっと仕方ないこととは、坂下だって、思いはするのだ。

 あの打撃を見せられて、何も感じられないのならば、格闘家ではないだろうから。

 

続く

 

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