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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(99)

 

「羽民さん、大丈夫か?」

 少し、いや、けっこう名残惜しかったが、案外力強い、まあ何かスポーツをしているらしいし、女性としては明らかに大きな身体なので当然なのだろうが、腕から、というか見まごうことなく大きな羽民の胸から、抜け出すと、立ち上がって羽民に手をさしのべた。

「あ、ありがとう、藤田君。というか、凄い偶然だね」

「まあ、会うことはあるかもなあ。羽民さん、ここらで合宿してるんだろ?」

「あ、言われてみればそうね。そんなこと全然考えなかったわ」

 ふふっ、と笑いながら、羽民は立ち上がる。

「……」

「ん? どうかしたの、藤田君?」

「いや、怪我はなさそうだなって。羽民さん、別に俺が下になればよかったのに、とっさに下になったろ? 怪我でもしたら大変じゃないか」

 羽民を立ち上がる姿を観察していたが、不自然な動きはなかったし、痛がっている様子もない。これで怪我でもされたら、と考えていた浩之は、ほっと一息ついた。

 パンパンと身体についた砂をはたく羽民は、少し不思議そうだった。

「あれぐらいじゃ怪我なんてしないわよ? 頑丈さには自信があるから」

「いや、倒れるののって、一番危ないんじゃないのか?」

 けっこう羽民は強く背中を打ち付けたようにも感じたのだが、その様子がまったくないことに、浩之は多少なりとも違和感を感じてはいた。当の羽民は、別に我慢している様子もないし、背中を打ち付ければ息がつまって、すぐに声を出すこともできなかっただろうから、単なる杞憂、とも取れるのだが。

 下が砂なのでそうでもないが、確かに倒れるの、つまりいつもと違う方向に力がかかるのは危ない。予期せぬ方向からの力には、人間の身体は驚くほどにもろいのだ。階段を踏み外すだけで骨折することだって十二分にあるのだ。

 それを考えれば、しかし、背中から落ちる、というのは理にかなっているのかもしれない。下に石などがなければ、受け身を取りやすいし、下手に手をついて怪我をするよりはよほど安全だろう。

「受け身ぐらいは取れるわよ。それに、ぼうっとして走って相手にぶつかって、怪我でもさせたら事だからね」

「いや、ぼうっとしてたのは俺も一緒だよ」

 実際、浩之はかなり気を抜いていた。格闘家が人にぶつかって倒れるというあまり笑えないようなことをしてしまうぐらいには気を抜いていたのだ。それで相手を怪我させてしまっては浩之だって良しとはできない。まあ、だからこそかばおうとしたのだが。

「あら、藤田君も、何か悩み事?」

「悩み事……つうか、ちょっと最近根を詰めすぎてから、少しはガスを抜かないと駄目だったからなあ。本当に意味なくぼうっとしてたんだが」

 浩之は、羽民の言葉を、聞き流しているようで、ちゃんと聞いていた。藤田君も、ということは、羽民は何かしらの悩み事があってぼうっとしていたということだ。

 ただ、こう親しげに話をしているとは言え、まだ初対面から二回目で、浩之が何かでしゃばるのはどうか、と思って浩之は自重したのだ。正直なことを言えば、相手が泣いても何とかしてしまいたい、それが浩之の性分だからだ、のだが、理由が分からないのでは、手の出しようもない。

「そうね、あんまり思い詰めると良くない……わよねえ」

 羽民が、少し考えるような表情になる。おそらくは、自分の悩み事を考えているのだろう。多分、かなり思い詰めているという自覚もあるのだろう。

「あー」

「ん?」

 浩之は、少し考えた。実際、ここででしゃばっていいことなどあるだろうか? 自分にできて一番効果が高いのは、普通に世間話をして息抜きを提供、息抜きになればだが、するぐらいではないのだろうか? そもそも、原因が分からないし、分かったところで、基本的に無力な浩之に、できることなどないだろう。所詮、浩之はどこにでもいる単なる高校生だ。

 一般的な高校生からはもう明らかに逸脱しだしている癖に、その自覚のない浩之はそんな謙虚な、というかまったく自分というものを理解していないことを考えていたが、ぶっちゃけ、もうこう考えてしまったら終わりだ。

 自分では力にはなれない、そんな理由では、浩之の根幹を止めるにはあまりにも弱い。

 困っている人を放っておけない、浩之のそれは、すでに病気のレベルなのだ。浩之の本質に関わるそれを、誰も止めることなどできない。

「何か悩みがあるんなら、俺が聞こうか? いや、俺じゃ役にたたないかもしれないけどさ、言えば楽になることもあると思うんだ」

 羽民は、浩之の言葉に、しばらくきょとんとしていた。何を言われたのか、いまいち理解できなかったのだろう。というか、見た目はかっこいい系なのに、そういう顔はどこか幼くも見えた。邪気がない、とでも言うのだろうか? 浩之は、羽民のその姿を見て、葵の姿を思い出した。

「……君が、力になってくれるの?」

「なれるなら。ま、実際は話を聞くので精一杯だと思うけどな」

 浩之は、苦笑しながらそう言ったが、視線はまったく羽民からぶれることがなかった。

「……目はそう言ってないね」

 最後の言葉は、浩之にも聞き取れない小さな声だった。

 浩之だって超人ではない。できることとできないことがある。羽民の悩みが何であれ、ほぼ間違いなく力にはなれないだろう。

 だが、浩之が今まで助けて来たものは、だいたいそんなことだ。とっかかりもないし、そもそも浩之の力でどうこうできるものなどまずなかった。しかし、浩之は助けて来た。不屈の精神というよりも、もはや折れることを覚えなかったそれは、他人には不可能はずの、人のささいな悩みを解決して来た。

 中でも恐るべきことに、浩之は、今まで不可能を可能にしてきた、という自信がない。自覚がない。超えて来た、という自信は、実力を発揮する上では非常に有用なものだが、浩之は不可能と思いながらも、真っ直ぐに進むことができる。

 人は、それを超人と、呼ぶのかもしれない。

 浩之はいつだって、結果で人を納得させて来た。結果で、人に一目置かせて来た。その自覚がなくとも、浩之はいつだって結果を武器に戦って来た。いや、戦った結果、結果を残してそれが人から見れば武器と見えるだけなのかもしれない。つまり、武器を必要としないのだ。

 その浩之の説明のできない何かを、浩之の目を見ただけで薄々気付いた羽民は、何者であろうとも、人を見る目はあったのだろう。

「じゃ、ちょっとだけ聞いてもらおうかな?」

「おう、力にはなれないかもしれないが、どんと来い」

 それは、決して言い訳のための言葉ではない。言葉通り、まったく自信はないし、根拠もないのだ。だが、浩之はやるつもりだった。不可能を可能にする、と言えば聞こえが良いが、言ってしまえば、理解できない力にまかせてごり押しするのが浩之なのだ。

 ただ、まあ、浩之にだって、限界がある。

「会社がね、吸収合併されそうなのよ」

 まったくもって、どうしようもないことというのは、あるのだ。

 

続く

 

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