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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(100)

 

 修治と比べれば半分ほどの細さなのでは、と思うほど細い指が、容赦なく修治の首に伸びて来る。

「うおっ?!」

 修治は、それを手ではじいて、自分は身体を横に逃がす。首に手をかけるつもりでも、もちろん首を絞める訳ではなく、引き込んで組み技に持って行こうという動きだったのだろうが、首を絞められるどころか、そのまま首を指で貫くつもりだったのでは、と修治は感じた。

 相手の挙動を読むよりも先に逃げていた修治の頭のあった部分を、間近で見れば誰しも鼓動が早くなるような整った顔が、通り過ぎる。正確には、その額が、空を切る。もし、手を避けてもそのまま修治が動かなければ、あごか鼻に頭突きを受けていたかもしれない。いくら腕力に差があっても、悶絶は免れない一撃だ。

 何より恐ろしいのは、いくら普通の格闘家は反応できない頭突き、という技であろうとも、反応されれば、急所を相手にさらすというのに、修治に向かってそれをまったく躊躇なく使って来た、姫立という少女の何に対しても平等に容赦のなさだ。明らかに、自分も相手も壊すつもりで放っている。

「ほらほら、修治君、腰ひけてるよー」

「おらー、修治ー、手ぇ抜くなー殺せー」

「いけー、姫立ー、そいつ殺せー」

 観戦している誰も彼もなかなかにりりしい女性達、皆女子プロレスラーで、彩子の同僚達、つまりトップレスラー達だ、が勝手なやじを飛ばしてくる。

 修治は、体勢を整える為に、姫立から距離を取る。踏み込みのスピードは、修治からみればまだまだではあるが、それでもその躊躇のなさは、速度を明らかに上げている。修治すら躊躇するような場面で、平然と前に出るのは、狂っているとしか思えない。

 普通ならば、こんな相手、修治にとっては何でもないのだが。無謀な相手など、取るに足らない。必死にならずに勝てるほど格闘の世界は甘くないし、必死になるだけで勝てるほど甘くもない。どこにも甘さなどない、ただただ甘くないのだ。

 だが、この少女は、普通ではなかった。

 姫立アヤ。なるほど、修治の姉である彩子が目をかけているだけのことはある。

 だからこそ、というのか、いや、この状況では、姫立アヤがどうであろうとも、関係のない話なのかもしれないが。

 気に喰わねえ。

 修治の思いは、それだけだった。

 少なくとも、自分の一番恐れる相手、彩子よりは弱いだろう姫立に対等に戦われている、というのも気に喰わないし、室内練習場にいる、見知ったり見知らなかったりする、彩子の仕事仲間で、何度か会ったこともある女性が数人いるのだ、女性達に興味深そうに観察されているのも気に喰わないし、その中で一番下っ端であろう由香が、物凄い不満そうな顔でこちらを、正確には自分と姫立の両方を睨んでいるのも気に喰わない。彩子がにやにやしながらやじを飛ばしてくるのも物凄く気に喰わない。

 何より気に喰わないのが、彩子にいいように扱われているのがわかっているのが、気に喰わない。

 修治だって、自分が器用な人間だとは思っていない。美点と欠点を上げていけば、欠点の方がダブルスコアを出すような人間だという自覚はある。しかし、自分のことをバカだとは思っていなかった。事実、大学も国立の物理学科に普通に通っており、少なくとも学がない、とは表されないだろう。

 しかし、うまくいかない。何よりうまくいかないのは、だったら頭を使うことに力を注ぐべきなのに、自分でもまったく才能のないと思う格闘技に全てを捧げてしまったことだろう。自分でも、それはどうしようもなかった。その選択をバカだ、と言われると、返す言葉を修治は持っていない。

 そもそも、格闘技では食っていけないのだ。いや、修治だって、一度はそれを考えた。格闘技の大会はピンキリだが、本当に強いのならば、大金を手にすることだってできる。今の実力ならば、多少ルールの縛りを受けたところで、並ではなく一流の選手にだって負けないだろう自負もある。

 エクストリームに出れば、優勝は間違いないだろう。自分に才能がないという自覚をし、公言をしていても、それだけの自負と実力を修治は持っている。そして、この年齢としては不相応な金額を手にすることができただろう。

 だが、正直、修治はそれをまったく楽しいことと思えなかった。何か普通の職業、できれば自由な時間を多く取れる職業について、格闘技は趣味でやっていった方がいい、と本気で思ったのだ。世界レベルの実力を、趣味で。

 修治の考えのどこがおかしい、と言えば、もうどこもかしこもおかしい。女性にもてない、などというのはもう些細な話だ。修治だって、へこむだけへこみながら、実のところ、最初から無理だと十二分に分かっているとしか思えなかった。

 結局、修治は、単に不器用なのだ。器用な人がうまい具合に物事を回すのと同じように、不器用な修治は、うまい具合に物事をおかしな方向に回している、それだけだ。

 この気に喰わない状況も、そんな修治が、自分の不器用さで物事を回した結果、とも言えるだろう。

 ふられた傷心で、しかしへこむよりは弟弟子の浩之の練習を見る方がまだ有益だろうと顔を出し、別に女子高生と仲良くなろうとなどつゆも思っていない、しかし普通に話しかけられたので普通に返していただけで何故か馬鹿達と戦うはめになり、そして何をめぐりめぐってか今、女子プロレスラーに囲まれて、少女と戦うのを見せ物にされている。

 本当に、気に喰わない状況ことばかりだ。

 だからと言って、今目の前にいる少女にそれを発散しようとは思えないのも、またある意味不器用なのか。

 相手としては、十分だ。彩子が目をかけており、修治と実際に戦えるだけの実力を持って、先ほどまでのどこか儚げな雰囲気が吹き飛び、殺気立った、十分に危険な存在として前に立っているのだ。何を躊躇する理由があろうか。

 そして何よりも、戦えば十分に理解できる、その才能。修治が嫉妬する、見まごうことない天才だ。

 気に喰わねえ。

 そして、また姫立が天才だからこそ、修治は吹っ切れない。ここぞとばかりに女性に対して嫉妬を発散させるようなことを、例え事実がそうでなかろうとも、修治は良しとしないのだ。人でなしならば、とことん人でなしであればいいものを、修治は女性には甘すぎた。

 こんな、煮え切らない、気に喰わない、まったくもって楽しめない戦いを、修治は、半強制でやらされているのだった。

 

続く

 

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