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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(105)

 

 羽民を見送った浩之は、ぱんぱん、とほほを叩いて、意識を元に戻す。羽民の手助けにはなれなかったが、羽民自身がそれを望んでいなかったのだから仕方のないことだ。気持ちを切り替えて、自分のことを頑張らないといけないのだ。実際、浩之には他人のことまで手を出すほどの余裕はない。まあ余裕とかは関係なくそれをしてしまうのが浩之の浩之たる所以なのだが。

「……」

 浩之は、辺りを見渡す。日が高く上がり、人はまあそれなりに増えて来ているが、ごった返しているというほどではない。少なくとも、浩之が注目を浴びるほどには人の数が少ないということはない。だが、その中で、浩之は視線を感じたのだ。

 その視線の人物は、浩之に気付かれたのが分かったかのように、音もなく浩之に近づいてきた。

「あら、浩之さん、お邪魔でしたか?」

「……って、初鹿さんか」

 水着姿ながら、淡い色のパレオと麦わら帽子というなかなかお嬢様じみた格好をした初鹿が、いつもの柔らかい笑みを浮かべたまま、浩之に近づいてくる。さすがはと言うべきか、その雰囲気の所為か、初鹿はまわりからけっこう視線を受けているようだった。もちろん主に男から。男はこういうお嬢様然とした少女には総じて弱いのだ。そこまでリゾートという感じでもない、どちらかと言うと田舎の海水浴場に来るには、いささか不釣り合いというのもあるだろう。

 まあ、その格好だけ見れば、ほんとにどっかのお嬢様なんだけどなあ。

 いや、初鹿自身、寺女に通い、家もなかなかの資産家らしいので、お嬢様であることには嘘はない。生粋のお嬢様であるはずの綾香が、美貌はともかくお嬢様という風ではないので、それよりはよっぽどお嬢様らしい。

 とは言え、胸の前で組まれた両腕にまかれた鎖のアクセサリーが、決して下品ではないし目立ちもしないが、浩之の視線だけは奪う。それがアクセサリーなどではなく、れっきとした武器だと分かっている以上、目を離せるものではない。

 言ってみれば、剣道の達人が伸縮式の警棒を持って歩いているようなものだ。見た目それが武器と分からないだけに、余計に危ない。まあ、初鹿自身は一般人に暴力を振るうというタイプではないので、危険とまで言うのはどうかとも思われる。浩之までいけば、もうそれは一般人ではない。

「もう、浩之さん、どこを見ているんですか?」

 意地悪く、初鹿がそう聞いてくる。胸の前で組まれている腕を見れば、当然その胸に視線が行っているように見える。実際、初鹿はなかなかのスタイルをしているので、その胸とか、パラオからちらちらと見える素足とかに目が行かない理由はなかった。

「え、あ、いや、そういう意味じゃなくてだな」

「ふふふ、分かっていますよ。先ほども女性に声をかけていたようですし、浩之さんのご病気のことは良く」

「いや全然分かってないというか、色々と誤解を招きそうなんだが」

 浩之は背中に嫌な汗をかく。初鹿は分かってからかっているのだろうが、いかんせん、どこで綾香に伝わるか分かったものではない。綾香は決して嫉妬深いタイプでは……いや、実際のところかなり嫉妬深いのだが、それが何であれ、浩之をいじれるところではいじるし、いじめられるのならば速攻でいじめてくるので、油断出来ない。

「見知らぬ女性と楽しそうにお話をしていたのは事実みたいですけれどね? まあ、私も浩之さんとの出会いは、人のことは言えないようなものでしたが」

 いや、まったく反論できそうになかった。初鹿が困っていたようなので助け船を出しただけとは言え、初鹿は事実を言っている。結果的に言えば、あのまま放っておけば、ナンパしていた方の身の安全が確保できなかったのかもしれないが、浩之が見知らぬ初鹿に声をかけたのだけは事実だった。誰の身を守ったのかは、この際問題とはならない。

 マスカレイド無敗の一位、チェーンソーだと知っていたとしても、浩之は助け船を出していただろうからだ。本当に、どちらの身の安全を考慮したかは別にして、だが。

 すでに無敗ではなくなったとは言え、水着姿で歩くこの少女が、暴力的でここまで危険な存在であることを、浩之はよく分かっている。というか、擬態できるだけ、ただ普通に危険なだけよりもたちが悪い。さらに言えば、柔らかな笑みからは想像もつかないが、初鹿はかなりの食わせ物なのだ。

「で、初鹿さんは何でまた一人で?」

「皆さん、料理教室に熱心で、私としては多少退屈でしたので、散歩でもと」

 散歩、ねえ。

 もちろん、浩之はその言葉を信じなかった。坂下の身を狙う者がいる、という言葉を聞いたのは、初鹿自身からなのだ。今、合宿城には、遊びに来ていた修治は帰った、というかどこかに連れて行かれたが、綾香が控えている。そこの守りは完璧と言って良いだろう。となると、初鹿は一人見回りをしているのか。

「さすがに一人じゃ危ないだろ。というか、初鹿さんが一人で歩いていると、ナンパが多そうだけどな」

 見た目は表情の柔らかいお嬢様だ。一人で砂浜を歩いていれば、それこそ街灯に群がる虫のように男が声をかけて来そうなものだが。

「ナンパに関して言えば、まあある程度は仕方ないですね。その点に関して言うと、サクラさんがいても酷くなる一方ですし」

 まあ、それはそうだろう。アンバランスなほどに胸の大きいサクラが、露出の大きい水着で歩いていれば、男の目は釘付けだ。ナンパをする方としても、一人でいるよりも二人の方が声をかけやすいというのもある。

「戦力的な意味で言えば、これも仕方ないですね。サクラさん、有無を言わさずついていきましたからね」

「ああ、修治に執着してたよなあ。そんなに凄い技だったのか?」

「ええ、私にも見えませんでしたから。愚弟は当然のことですが、私でも一撃でやられていたでしょうね」

 もちろん、それは初鹿の姿ではなく、チェーンソーの姿で、ということだろう。チェーンソーを一撃など、坂下でだって難しい話なのだ。どれほどの技だったのか見ていない浩之にでも、十分想像出来る。いや、想像できない、という方が正しいのか。

「初鹿さんは興味ないのか?」

「浩之さんの兄弟子にですか? それとも、その技にですか?」

「両方……ってか、修治に興味はないだろ」

 酷い言い方だが、残念なことに、修治は立っているだけで女性の気をひけるような美形ではないし、話せば誰でも惹かれていくほどの話術もない。修治は、だいたいにおいてその強さに興味が持たれるだけなのだ。

「どちらも否、ですかね。興味がない、と言えば嘘になりますが、正直、私は常識の技には興味がないんです。異性としては、申し訳ないのですが、ご遠慮したいです」

 まあ、技の結果だけ見れば、本当に異常だとは思いますが、と初鹿は付け加える。さすがは、異能の技を使う者の発言である。というか、そんな技を常識の範囲内と思う辺りもだいぶおかしい。

 男としてははっきり拒絶されている修治に、そこはかとなく申し訳ない気持ちになる浩之だった。

「にしても、せめてもう一人ぐらいは連れて来た方が良くないか? まあ、今は俺が空いてるから付き合うけどさ」

「ふふ、心配させてしまって申し訳ありません。でも、問題はないと思います。私もそこまで警戒するつもりはありませんよ。現状を見るに、あの情報はどうも単なる嘘だったようですし、ここらで釣れるのは、私一人でどうとでもなるようなことばかりですから」

 浩之は、その初鹿の物言いに、物凄く嫌な予感を感じていた。

 

続く

 

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