初鹿は浩之から見て明らかに不吉であるが、さて、相手の男達は不吉かと言うと……正直、浩之としてはまったく脅威には思えなかった。
問題なのは、空手部の普通の部員が狙われることであり、こんな人気のないところで、初鹿と浩之と対峙している状態では、まったく怖いと思えなかった。いくら初鹿が強いとは言っても、もちろん浩之は初鹿に任せる気はないが、戦って初鹿が危険にさらされるとは思っていなかった。
日頃相手にしている者が怪物ばかりだからなのか、どうも感覚鈍ってるよなあ。
浩之は、苦笑しながら、前に出る。まあ、浩之は綾香や坂下よりはよほど一般人に近いので、いきなり暴力に訴えたりはしない。話し合いで解決できるのならばそれが一番いいとも思っている。
まあ、例えナイフを出されても、負ける気がしないのも事実だが。
そうやって前に出ようとした浩之を、ついと手を伸ばして、初鹿が止めた。
「いや、初鹿さん、ここは俺にまかせておいてくれよ。初鹿さんが出るほどのものでもないだろ?」
というか実際に初鹿にやられたら本気でトラウマなんてあまっちょろいことを言わずに五体の方が心配になる。
「そうは言いますが、浩之さんも刃物などには慣れていないのでは? まあ、それならば慣れる意味も含めてやってみるというのもいいのかもしれませんね」
「いや、それがさ、師匠がまあ慣れるのも大事だろうとか言いながら日本刀取り出して来たときにはどうしようかと……」
素人さん三人がナイフを出して来たとしても、怖いとはまったく感じないだろう。雄三は格闘技はもちろんのこと、武器の扱いもかなり手慣れたものだった。というか、弟子を殺すつもりなのだろうか? あんな指導をされてきた修治が五体満足なのは、奇跡なのかもしれない。
「何か、それはそれで凄い興味のある話ですね、これが終わったら聞かせて下さいね?」
そう言う初鹿は、浩之にはまったく譲る気がなさそうだった。
「いや、初鹿さんが心配いらないのは知ってるけどさ、こういうのに女の子を出させて自分は傍観ってのは……」
「勘違いしないで下さいね」
柔らかく笑いながら、初鹿は、まったく殺気を見せることもなく、口調が変わるなどということもまったくなく、言う。
「浩之さんでは、やらなさ過ぎると思うので、ここは私に任せて下さい」
日本語的にそれはどうなんだ、と突っ込みたくなるが、それより何より浩之の心配は大当たりになりそうだった。
パレオ姿の柔らかい笑みを浮かべたお嬢様に近づかれて、怖いと思う男などいないだろう。が、まあ言わばそれは完璧な擬態であるということだ。ついでに言えば、擬態であろうともその姿自体は嘘と言う訳ではなく、騙される方が悪い、と多分本気で思っているのだろうなあ、と浩之はいささか現実逃避しながら考えていた。
「そういやてめえには携帯捨てられたよな、どう責任取ってくれるつもりなんだ、あぁっ!」
まわりを見て、誰も来る気配がないのを見たのだろう、浩之も見た感じ弱そうには見えないが、近づいて来たのが少女一人となれば、恐がる訳もなく、初鹿に詰め寄る。
初鹿は、慌てす騒がず、いつも通りの柔らかい笑みで、言葉を紡ぐ。
「どういう訳か、こういう方はけっこう痛い目を見ても、まったく懲りる、ということがないんですよね? 私も、不思議には思うのですが、毎回相手をするというのも非効率なので、もっと痛い目に遭ってもらうことにしています」
「何訳わからねえこと言ってやがる、なめてんのか!」
男が、無造作に初鹿に手を伸ばす。
「あっ」
と声をあげたのは、浩之だった。あまりにも無警戒だったので、忠告しようとしたのだが、時すでに遅かった。もちろん、忠告しようとしたのは、初鹿にではない、無警戒に手を伸ばした男の方にだ。
浩之も、何でそう思ったのだろう。いくら初鹿が一筋縄ではいかない相手とは言え、ただ手を伸ばして来た、それが突き飛ばすつもりでもだ、だけでその手を振るうとは思ってもいなかったはずなのだ。そもそも、そんな無造作な手など、初鹿にとっては避けることなど簡単だったはずなのに。
誰にとっての不幸なのか、浩之のその予想、というよりも不安は、的中した。
ズバシッ!!
「ぐぁっ!?」
予備動作もなく瞬間に振り切られた初鹿の鎖が、無造作に伸ばされた手の甲をしたたかに、というかかなり激しく打ち払っていた。腕に巻かれていた鎖は、長さはせいぜい五十センチもなかっただろうが、初鹿の手にかかれば、それは完璧な凶器だ。アクセサリーに擬態していたそれを、初鹿は何の躊躇もなく使った。
というか、相手骨折れてないだろうな、と浩之はそっちの心配をしていた。手の甲は思う以上に骨が弱い。初鹿、というかチェーンソーの一撃ならば、骨ぐらい簡単に折ることが可能だろう。
しかし、そんな浩之の心配も、すぐに吹き飛んだ。
パパパパパンッ!!
折れたかどうかも確認する間もなく、初鹿の両手にある鎖は、容赦なく、初鹿から言わせればこれでも十分手加減はしているのだが、男の身体に叩き付けられていた。腕と言わず胴と言わず脚と言わず、それでも目を狙っていないだけでも温情なのか、鎖はまるでそれが一つの生物であるかのように自在に動き、非常に相手を打ち払う。
男には、それ以上の悲鳴すら許されなかった。何故なら、身体を酷く打ち倒したと思った瞬間には、すでに男の首に鎖が巻きつていたからだ。
まるで男に前から寄り添うように伸ばされた初鹿の手が、鎖を持って男の首を瞬時に締め上げた。
「ぐぇっ」
相手に有無を言わさずに意識を一瞬で刈った。初鹿は鎖を緩めると、すいと男の横を通り過ぎる。
ごとり、と意識を失った男はその場に倒れた。
……いや、やり過ぎだろ。
容赦ないなどというレベルではない。あちらが手を出すのすら待たなかった。初鹿ならば、相手が殴りかかって来た後ですら対処できるだろうに、それすら待つことをしなかった。
まして、意識を刈るだけでも十分だろうに、倒れた男の身体には何個も青黒い鎖の後が出来ているだろう。
容赦も慈悲もなく。いやチェーンソーの本気であれば例え鎖がいつもよりも細かろうが関係なく相手の命すら奪うこともできるのかもしれないが。
何よりも怖いのは、あっけに取られて動くこともできない残った二人に軽やかに歩み寄る初鹿の顔には。
いつも通り、柔らかな笑みが浮かんでいた。
続く