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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(109)

 

 浩之と同じように、坂下も麦茶を飲んで一息ついていた。まあ、坂下にしてみれば、料理自体はそんなに気を張るものではないのだが、部員が怪我をしないように気を張っていたので、下手な練習よりも精神的には疲れを感じていた。

 とは言え、もう日向のおじいちゃんぐらい落ち着いている、というか色んな物が抜けている浩之と比べれば、まだまだ元気なのだが。午前中は期せずして練習が楽になったから午後はまあ地獄だろうねえ、と思っている程度だ。部員の身を案じるのならば、誰かが止めるべきだ。

 まあ、空手部に坂下を止められる者などいない、下手をすると今の怪我の状態ですら、部員全員を返り討ちにしかねないのだ。こんな人間が、まあ暴力に訴えることはままあっても、それなりに人間が出来ていることに、皆感謝しなくてはならないだろう。

 坂下が浩之を何となく観察していると、冷蔵庫から良く冷えたノンカロリー炭酸飲料を持ち出して来た綾香がいそいそと近づいていく。そして、おもむろに鼻を近づけると、すんすんと浩之の匂いをかぐ。いきなりの行動に浩之は驚いているし、正直その姿は、あまり風紀上おすすめできないほど蠱惑的だ。

「浩之、何か見知らぬ女の子の匂いしない?」

「いやお前、どういう鼻してんだってか、そもそも人を匂うな、お前は犬か何かか。というより、もしそうだとしても飯食った後まで匂うってありえねえだろ」

 浩之の矢継ぎ早のつっこみに、綾香はにやりと笑う。

「つまり、見知らぬ女の子と会っていたのは否定しない、と」

「いやおい、どうしたらそんな話になるんだ。てかいきなり唐突過ぎるだろ、な、何だ、その獲物をかみ殺すような……いや、落ち着け!」

 綾香の態度は冗談なんだか本気なんだか坂下にだって判断はできないが、このままいけば浩之が酷い目に遭うのは確定だろう。まあ、今更の話だ。

 というか、今更過ぎるね。藤田のまわりから女の匂いが消える訳ないだろうに。

 坂下としては、例え浩之がそこらで見知らぬ女の子といかがわしいことをしていたとしても、もともとのそういうのに真面目、多分真面目なのだろう、性格分ぐらいしか不快に思わないし、目の届かないところでやっている分には、わざわざ注意もしないだろう。

 綾香や葵が無意味に悲しがるようなことはしないだろう、という信頼もある。もうただの同級生と言うにはいささか仲良くし過ぎたのだから、性格の方もある程度は理解している。まったくもって天然の女殺しとしか表現できない。

 まあ、それで騙される方も悪い、いや、たちが悪いのは、それが騙されている訳ではないことだろうか。

 親しくないときでも、顔がいいのは坂下も否定しなかった。軟弱な部分ばかり見えていたので好みではなかったが、冷静にものを見るというのは、これでもそう苦手な方ではない。親しくなれば、人間性も十分魅力的だと理解できた。だからこそ、女の子の影が消えることがないのも理解できる。

 まあ、綾香がああやってからかっているのも、愛情表現なんだろうけど、藤田も災難だね。

 綾香ほどの美少女であれば、男ならば誰だってお近づきになりたいのだろう。

 だとしても、さて、肉体的にも精神的にも、一体何分綾香の冗談に耐えられるだろうか? そういう意味ではむやみやたらにタフな浩之は、綾香とは良くお似合いだと言える。

 まあ、お似合いといえば葵だって負けてないんだろうけどね。

 素直で明るい葵と、多少癖はあるものの面倒見の良い浩之は、確かに綾香と浩之の組み合わせとまた違った意味でお似合いだ。

 その葵は、心配そうにしながらも、いつものこと少し苦笑しながら、浩之を助けようとはしない。見知らぬ女の子といたらしいことをもしかしたら多少は怒っているのかもしれない。まあ、それもかわいいものだ。危険なのは綾香であり、葵ではない。もちろん、葵も葵で違う意味で大概ではあるが。

 根幹から言えば、危険極まりない力を持っているが、それでも本人達は遊んでいるつもりなのだ。少なくとも、同じレベルでじゃれあう限り、危険はない。獅子同士のじゃれあいみたいなものだ。もしかすると、獅子の子供にじゃれつかれて必死に猫が逃げているのかもしれないが。

 ……いや、猫じゃないね。

 この状態ですら、坂下は浩之と戦えば、十回中十回勝つ自信がある。そもそもの実力が違い過ぎる。坂下のローギアと浩之のハイトップギアを比べても、坂下の方が強いだろう。

 それでも、何かあると思わせるのは、才能のなせる技なのか、それとも、坂下のおよびもつかないものの結果なのか。

 綾香や葵を介して親しくならなかったら、もしかしたら惚れていたかもしれない、と思わせる男だ。浩之は、それだけの男なのだ。坂下にそれだけのものだと思わせた男は、今まで一人だっていない。まあ、強さの面で言えば、あの寺町も大概なものだが、魅力という意味では、正直比べる方がどうかしている。

 そんなことを素で考えられる自分の覚め具合も、なかなかどうして、どうしようもないものだという自覚がありながらも、坂下はそれを悪いとは思っていない。坂下は、なるほど良くできた人物なのかもしれないが、あくまで、自分の感情には正直なのだ。そして理性にも、実に正直であり、それを使うことに躊躇などない。

 人間、譲れないものの一つでもあれば、後はなるようになる、という程度でも十分だというのが坂下の持論でもある。のわりには、やりたいようにやっているようにも見えるが。坂下が思うようにできない相手は綾香や葵ぐらいではないのだろうか?

 いや、だからこそ、親友と言っていいのだろうが。

 その点、こっちはなかなか思い通りに動かせるねえ、とかなり酷いことを考えながら、坂下は自分の近くに座る御木本に目を向ける。

 修治にOKを食らったものの、何とか午前中で回復したようで、ちゃんと昼食には出て来た。御木本もランも不機嫌であったが、坂下にとってみればそんなものは知ったことではなかった。いや、ランには多少悪いとは思ったが、坂下が部員から目を離す訳にもいかなかったから仕方ないだろう。

 幸い、御木本とランはそれなりに仲が良さそうだ。いや、坂下の目が腐っているとしか思えないが、坂下の目には仲が良い、つまりはケンカするほどには親しいと見えてた。そう言われると外れでないように聞こえるのだから、坂下は思う以上に口もうまいのだろう。色んな人にとって、やっかいなことこの上ない。

 不機嫌そうに、御木本はコーラを飲んでいる。ノンカロリーコーラではないので、女子部員の皆が敬遠した結果、御木本にまわって来たのだ。まあ、御木本の運動力から言えば、むしろもっとカロリーを取るべきだろうから、何も問題はないだろう。

「御木本、何ぶすっとしてんだい?」

「ちっ、てめえが言うな、好恵。もともとの元凶はお前だろ」

 坂下を挟んで座るランが、それに同調する。

「非常に嫌な話ですが、今回だけは御木本……先輩の言う通りです」

「いや、私の所為じゃないだろ。ああ、ランに関しては迷惑かけたね。とは言え、私が部員達から目を離す訳にもいかないしね」

「こんな御木本……のゴミ野郎なんか放っておけばいいんです」

 とうとう先輩をつけるのもやめてもっと酷いことを言うランを、坂下はとがめもしなかった。言われた御木本はどこ吹く風だし、御木本自身が、部員達にはそう言われるように、思われるようにではない、わざと行動しているふしがあるのだ。御木本がやりたいのならば坂下も止めようとは思わない。

「そうは言うがねえ、私の目から見て、下手すると御木本危なかったしね」

「……は?」

「まあ、あんな怪物と対峙したんだ。まあ平気だとは思ったけど、もしかしたら私の知らない危険な技とかやられている可能性も否定てきなかったからね、一割ぐらい。完全に目を離すってのは危ないと思ったわけだよ」

「……」

 御木本達も、浩之の兄弟子である、というのは後から聞いた。何でも、古流柔術の使い手らしいが、普通はそんなもの近代格闘の相手ではない、のだが、あれほどの怪物だ、確かに、達人と呼ばれておかしくない強さだった。まして、修治はあのとき、御木本に対して友好的とはとても言えなかった。

 殺人技を使われていたとしても、不思議ではない。

 まあ、一割を切るとは坂下も思ってはいたが、それでも危険はある、と判断していた。坂下の見る目が、人の出来た格闘家、という印象があっても、修治を危険人物と判断したのだ。まあ後で修治がはっちゃけ過ぎたのもある。

 さすがに多少怒り顔とにやけ顔の真ん中のような表情がひくついている御木本に、坂下はため息をついた。

 ……ふむ、とりあえず平気みたいね。コンディションは……藤田と同じぐらいか。OKされた人間と同じぐらいって、どんな特訓してたんだか。

 坂下は、午後の練習は御木本を休ませる必要はないだろう、と判断して、ぴんっ、と思い付くことがあった。

「ねえ、御木本?」

「あ?」

 それは、色んな意味で迷惑極まりない話だが、本当に単なる思いつきだったのだ。

「あんた、ちょっと藤田と戦ってみないかい?」

 

続く

 

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