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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(111)

 

 どうしてこうなった、とは言うまい。

 今更そんなことに頭を痛めても仕方ない、と浩之はけっこう早めに割り切った。厳しい練習で、身体はかなり消耗しているが、それも仕方のない話だ。相手の御木本も修治にKOを食らったのだから、万全などでなかろう。

 しかし、だったらもう少しやる気がなくてもいいものだろうに。

 その点については、例え割り切っても突っ込みたかった。これが寺町ならばまったく疑問に思うことはなかっただろうが、そもそも戦いを楽しんでいるようには見えなかった御木本が、まさか浩之と試合をするのを了承するとは思ってもいなかった。

 これが坂下の横暴であれば、分かる。実際、いきなり御木本と試合をしないかと言ったときには、浩之も大概にして欲しいと思ったものだが、反対に、逃れられるとも思えなかった。綾香とはまた違った意味で、坂下の強引さにかなう訳がない。

 御木本だって、坂下が強引に進めてしまえば、断れようはずがない。逃げるという選択肢はいつだって残されているが、後でどうなるか分かったものではない。さらに言えば、怪我をしている坂下に無茶なことをさせたくない、という程度には御木本が坂下のことを大事にしているのは、浩之でも分かる話だ。

 だが、何故御木本はこんなにやる気なんだ?

 まだダメージも抜けきってないだろうに、御木本は入念に準備運動をしていた。いくら暑いとは言え、冷房の効いた道場の中で身体にびっしょり汗をかくまでテンションを上げている御木本は、正直、浩之が持っているイメージとかけ離れていた。

 それに合わせて浩之もけっこうちゃんと準備運動をしているが、これはあくまで御木本につられた結果で、自主的なものではない。御木本が十分強いというのは理解しているが、それでも戦う意義というものがないこの状態では、浩之がやる気を出す理由などなかった。

 で、ついでに気になるんだが。

「何で綾香はそんなにニヤニヤしているんだ?」

「別に〜。ちょっとだけ私の方が地獄耳だったってだけよ」

 浩之の方のセコンドについている、わけでもなく単なる観客になるつもりだろう綾香は、何故か知らねどニヤニヤ笑っている。ちらちらと楽しそうに坂下の方を見る姿は、いくら美少女だってかわいいとは言えない。

 というか地獄耳に程度の話があるってのも変な話ではある。まあ、それは地獄だって何丁目とかあるのだから、深さに差があってもおかしくはないのだろうが。

 何故か綾香に注目の的の坂下だが、こちらは綾香の様子などどこふく風だ。むしろ坂下の横にいるランの方がよほど挙動がおかしい。というかランの挙動は明らかにおかしい。非常にそわそわして、何度かこちらに助けを求めるような視線を送って来ていた。浩之としては、何かしてやりたいとは思うが、理由が分からなければどうしようもない。

 浩之としても、まわりは気になるが、実のところ、目の前の相手に集中したかったというのもある。実際御木本と戦えるのは、そんなに悪い話ではなかった。

 悪いこととは言わないが、浩之の練習相手は誰も彼も浩之との実力差が大きい相手ばかりだった。綾香や葵は言うに及ばず、雄三にかなうわけもないし、修治相手にだって何もできない。たまに練習する坂下も、怪我があって最近はやっていないが、それでも正直まったく浩之ではどうしようもない。

 かと言って、下を見れば、空手部の女子では相手にならないというかそもそも相手にしないし、ランでも浩之相手では物足りない。一番近いか、とも思う健介だって、浩之の方が強いのは明らかだった。今なら何度やっても勝てる相手と戦う意味など、あまり感じられない。まあ、それでも空手部で人に教える、というのはけっこう意味があったとは思うが。

 で、おそらくは一番実力が近く、そして浩之が何度やっても勝てないかもしれない、と思う微妙な、何せ絶対勝てるか絶対負けるかしかないのだ、それだけでもかなり近い、相手は知り合いには一人だ。

 ……寺町とは、戦いたくねえんだよな。

 怖じ気づいている、と言われても否定できないだろう。勝つことを知ったその日に、手痛い敗北を食らった相手だ。浩之にとってみればトラウマのような相手だ。できることなら、今は戦いたくない。

 いつか、借りは返すつもりだ。だが、今はその時ではない。というか寺町と戦って怪我をしない自信もない。浩之も上達して、寺町だってきっと上達しているだろう、そんな二人が戦えば、綾香と坂下ほど異常でなくとも、かなり危険だ。

 そして、今回降って沸いた御木本との試合である。これは、浩之の見る限り、実力は同じぐらいではないかと思える相手だった。まあ、御木本の本気など見ていないが、それでも浩之よりも弱いということはないだろう。そういう相手と戦えるのは、練習としては悪くない。

 幸い、お互いが疲弊しているこの状態では、あまり酷いことにはならない、というかあっさりと決着するだろうが、むしろその方がいいのだ。本番までもまだ長い時間があるし、正直ここで怪我などしたらたまったものではないのだから。

 これで、御木本がいつもの軽い様子であれば、それで良かったのだろうが。

 気負いすぎじゃねえか? と浩之が思うほどに御木本は本気のように見えた。坂下と綾香のことがあって、綾香の味方である浩之も好かれているとは思っていないが、それにしたってここまでやる気だというのは、予想外を超えて異常だ。

 引くに引けない理由があるんだろうが……まあ、相手も本気で戦ってくれると思えば……いや、あんま嬉しくないよなあ。

 決して浩之と目を合わせようとしない御木本の目を見るに、殺しても勝つ意志を持っているのは明らかだ。どうしてこうなったと最初に言うべきかと考えたのは、こういう理由からだった。

 ま、まあ、今回は負けも考慮にいれてるし、身体に負担が掛かりすぎると思えば、こっちからまいったすりゃいいか。綾香は不満だろうが、殺す気で来そうな相手に、元気に反応できるほど、寺町のような格闘バカではない。

 楽しくない、と言えば嘘になる。しかし、浩之も、そう、どちらかと言うと御木本に近い。戦うことよりも、勝つことの方が重要なのだ。まあ、浩之は環境が勝てるような状態ではないので、ぐっと我慢している訳だが。

 ……まあ、それでも戦ってみたい相手であったしな。

 浩之の、中ではそう大きくない格闘バカの意志が、そう思わせる。坂下の束ねる空手部のナンバー3。いや、空手の試合ならばどうか知らないが、浩之の目から見れば、実力では二番目だろう、御木本。興味の沸く相手ではある。

 これで、もう少し相手が気を抜いてくれれば、と思わないでもなかったが。

 やる気とやる気のない気の間をいったりきたりしている浩之を観察していた綾香が、にんまりと笑うのを、うかつなことに、浩之は見逃した。いやまあ気付いたところで、逃げ場のない状態だったが。

「ねえ、浩之?」

「ん?」

「何かやる気なさそうだし、ここは奮発してご褒美あげようか?」

「は? いや、何か悪い予感がするんで、遠慮……」

 謙虚<自分の身の安全、という図式の浩之相手に、綾香はまったく容赦なかった。浩之の希望など、はなから聞く気などなかったのだ。

「勝ったら、ほっぺにちゅーしてあげる」

「……は?」

 おおおおぉ、とまわりから歓声があがるが、浩之はすぐには何を言っているのか理解できなかった。

「しかも葵とのサンドイッチで。男冥利に尽きるでしょ?」

 地獄耳綾香の、どっかの誰かさんの言葉をちょっとだけもじった上にさらに火薬増量の発言に、いきなり矢面に出された葵がぽかんとしていた。ランよりは、状況把握能力が低いらしい。いや、立場の違いもあるのだろうが。

 実に楽しそうな綾香の顔に、浩之は正直頭の痛くなる気持ちで、数秒してから、その言葉の意味を、やっと理解した。

「……まじ?」

 まあ、目の色が変わったとしても、誰も責めまい。

 

続く

 

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