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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(114)

 

 腰の入った左ストレートが、浩之の顔面を打ち抜く。教科書通りに拳を引きながら、打撃はそのまま動きを止めるよりも引いた方が威力が上がるし何より引かなければ隙だらけだ、御木本は険しい顔をしていた。それは浩之の技を見切ってフェイントを成功させた者の表情とはとても思えなかった。

 それもそのはず、御木本としては不本意を通り越して、失敗とすら取れる結果だったのだ。

 くそっ、浅いか。

 左の当たり具合は、クリーンヒット、と言っていいだろう。だが、この一撃で倒すつもりであった御木本にとってみれば、浅い当たりだった。できることならば、この一合で決めておきたかったことを考えると、喜ぶことなどとても出来ない。

 ここまで有利な場面で、自分に劣る相手を仕留め損なうなどと、完璧主義とは対極である御木本にとってしてもありえないことだ。

 浩之が使う、相手の打撃を打ち落とすフックを、御木本が読めたのは、野生のカンや不確かな予想などではない。100%とは言えないまでも、十分に他人を納得させられるだけの理由があった。

 試しに、浩之の視点から見てみた場合を考えてみればいい。浩之も本調子ではないことは明らかで、であれば勝敗をなるだけ早めに決めようと思うのは、当然たどり着く結論だ。そして、相手の打撃をはじくというのは、決定打になるという部分から見て、非常に有用だ。

 しかし、有用であるからこそ、御木本はそれに目をつけた。相手の打撃を打ち落とす打撃は、正直御木本でも一朝一夕では使いこなせないほどに難しいが、来ると分かっていれば御木本であれば対応策は打てる。

 どうとでもなる、というのは言いすぎかもしれない。ただ単に打たせないだけなら簡単だろうが、どんな動きをしてくるのか分かっていないと、フェイントでひっかけるなどはさすがに難しかっただろう。

 しかし、御木本にとっては助かったことに、浩之は色々とうかつ過ぎた。御木本に相手の打撃を撃ち落とす技を使うのが初めてであることが有利に働くぐらいは考えたかもしれないが、それは大きな間違いだ。

 まず、もともと相手の打撃を打ち落とすフックを使っていた中谷とは、御木本は何度も練習をしている。中谷はあまりそれを使おうとはしないが、それでも何度かは御木本に対してその技を使っている。経験しているとしていないでは大きく話が違ってくる。

 そしてそれ以上にうかつなことに、浩之自身、その技を見せているのだ。浩之は、空手部に遊びに来たときに、その技を惜しげもなく使って見せた。相手がランであったというのは、御木本としてはいささか物足りないものの、技を見るという意味では十分だ。人で経験し、本人の技も見たとなれば、対処するに必要な情報は足りる。

 反対に、御木本はほとんど浩之に戦う姿を見せていない。カリュウの姿は何度も見ているかもしれないが、見たところ、御木本の正体には気づいていないようだから、関係はないだろう。

 有利な点は活かすべきだとは言え、場合によっては卑怯と言われるかもしれない。しかし、御木本にとってはそんなこと知ったことではなかった。

 かかっているのが勝敗だけであればそう気負う必要もない。もちろんのこと浩之に負けるのは何が何でも嫌ではある。まだ御木本は綾香を許した訳ではなく、坊主が憎いので袈裟である浩之も憎んでいるから負けたくないのだ。が、普通ならば負けるのは嫌だが勝たなくても別にいい、と思っただろう。

 御木本にとって、浩之は戦いたい相手でも勝ちたい相手でもないのだ。才能も強さも認めないではないが、御木本にとって、坂下の関わらない浩之など、意識する相手ではない。まあ坂下のことがなくとも、最近はランのことであまり好意的に見れないのは事実だが、そちらは無視していい範囲の話だ。

 しかし、今回は話が違う。坂下のキスがかかっているのだ。それがほほにだとしても、そこに深い意味などなくとも、御木本としては悪魔に魂を売ってでも勝ちたいのだ。できることならば戦う前から浩之を消耗させたい、怪我では勝負自体がうやむやになって勝ち負けがなくなる可能性が高いからだ、ぐらいだ。まあそれは坂下が許さないので不可能なのだが。

 結果、うまくフェイントにひっかけたのだが、御木本の予定通りには事は進まなかった。フェイントにはひっかけ、開幕いきなりのクリーンヒットを奪ったが、KOするには足りない手ごたえだった。

 踏み込みも腰の入りも腕の引きも十分であった。クリーンヒットというからには、これでKOできない理由はない。だが、浩之の様子を見るまでもなく、KOできなかった、という確信を御木本は持っていた。

 頭を殴る理由は実に簡単で、脳という弱点を狙う為だ。脳自身は頭蓋骨という硬い鎧に囲まれているが、それだけ守りを固めても、衝撃まではどうしようもない。脳に衝撃を与えるのが目的であるので、頭を揺らせれば揺らせるほどいいのだ。

 だが、浩之は首に力を入れ、衝撃を身体全体で受けた。こうすれば頭の揺れは少なく、結果脳への衝撃が減るのだ。その他にも、あまり成功したとは言えないが、とっさに後ろに飛んで衝撃を逃がした分もある。

 相手のガードをかいくぐったクリーンヒットはクリーンヒットだが、頭を打ち抜くほどの威力はなかった。この一撃で決まると思っていた御木本の見積もりが甘かっただけとも言える。

 しかし、だからこそ問題であった。このフェイントがうまくいった場合、実力差やお互いの状態から見て、一撃で決まると御木本は判断したのだ。それが外れたということは、浩之の実力を見誤ったことになる。

 長引かせるとまずい、と御木本は判断した。長引かせない方がいい、ではなく、もっと直接にまずいと判断したのだ。御木本の身体の調子はかなり悪い。こんな状態で、浩之の実力を見誤っている、という内容は危険を通り越して致命的ですらある。

 追撃で、いけるか?

 倒すのならば、ここで追撃するしかない。もし、ここで逃がせば余計にややこしいことになるだろう。それは実力を見誤ったことから考えても明白だ。だが、追撃すれば倒せるという確信も持てない。しかし、迷いは行動には出ない、そもそも迷っていては追撃など成功するはずもなかった。御木本は、頭の中では躊躇することもあったのだろうが、まったく止まることなく、後ろに飛んだ浩之との距離を縮める。

 狙うは、衝撃で背中を向けるまで跳ね飛ばされた浩之の後頭部。通常の空手の試合ならば危険過ぎて即反則になるような打撃だが、御木本には手加減する気はまったくなかった。むしろこれで死んでくれた方がいいとまで思って右拳を繰り出していた。

 

続く

 

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