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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(115)

 

 一撃が入って体勢を崩した浩之の、よりにもよって一番危険な後頭部に、御木本は右拳をたたき込む。

 その容赦のなさ、というよりも明確な殺意に、坂下が微妙に顔をしかめるも、戦っている御木本には、その表情を見ることはできなかった。後からどういう教育が待っているか、見ているだけの分には楽しみで仕方ない。まあ、今はそれよりも二人の攻防のことだ。

「っ!?」

 ズドンッ!!

 御木本の拳が浩之の後頭部に、と思った瞬間、重い打撃音と共に、御木本の身体が大きく後ろに跳ね飛ばされた。

 跳ね飛ばされるも、体勢を素早く立ち直した御木本の腹部に、重い衝撃が残っていた。

 左ストレートのクリーンヒットを受けて体勢を崩したように見えた浩之は、背中を向けながら御木本に向かって後ろ蹴りを放ったのだ。前に出ていた、そして攻撃に集中していた御木本では、さすがに避けることはできなかった。

 もし、浩之の動きに反応して腹筋に力を入れなければ、御木本はもっと大きなダメージを受けていただろう。いくら鍛えられている腹筋でも、力を抜いては筋肉の鎧の意味はないし、そうでなくとも受け流すこともできなかった状態での後ろ蹴りを直接受けては無傷とはいかない。それに、身体をひねって無理やり打点はずらしたからいいものの、そのまま受けていればみぞおちに入っていただろう。となればダメージがどうとか生ぬるいことすら言っていられなくなっただろう。

 いくらKOは免れたとは言え、十分にクリーンヒットである打撃を受けた後に、相手に背中を向けたままこの威力、この精度で後ろ蹴りを放てるのだ。警戒など通り越して脅威でしかない。まさか、浩之がここまでの相手とは、御木本は考えていなかった。

 油断は最初からない。だが、これは本気で帯を締めなおす必要がある。御木本は浩之から大きく距離を取った。本当ならば、それでも浩之の方がダメージ分不利なのだから、ここで攻めておくべきなのだろう。それを御木本に選択させなかったのは、まさに浩之が予想以上に強かった所為だった。

 いや、御木本はもうダメージの差を有利と思っていなかった。今までの経験が、ダメージで勝てるとはないと教えていた。このレベルになると、どんな状態からでも逆転される。唯一、勝てるのは一撃で倒すだけのダメージを当てることだと、御木本の経験が告げていた。

 と、同時に思うのだ。この浩之相手に、倒せるだけのダメージを当てることの難しさを。

 

 そう、実のところ、お互いに相手の実力を測り間違えていたと言っていい。

 もちろんお互いが、手を抜いてどうこうできる相手ではないものの、浩之は御木本にもしかしたら勝てるレベル、御木本は浩之にはまず勝てるレベル、と測っていた。ダメージや身体の状態から見ても、その判断に大きな差は出ないはずだった。

 だが、短くも濃い、そして明らかに異常な練習は、浩之の実力を着実に上げていたのだ。御木本が最後に浩之の戦う姿を見てから、またしばらく、と言っても一ヶ月にすらまったく満たない間だが、時間が経っている。その結果、急成長をとげる浩之の実力が、御木本の予測を超えたのだ。ついでに、浩之が自覚している分よりも、遥かに浩之は強くなっていた。今までそれを実感できる場面がなかっただけで、無茶とも言える練習は、ちゃんと身を結んでいたのだ。

 とは言え、最初の打撃を打ち落とす技を読まれたのは事実で、一歩間違えばKOされても不思議ではなかった。大事なのは、その一歩を踏ん張れることと、何よりその一歩を踏ん張れば土俵際に残ることができるだけの自力が浩之についていたということだ。

 致命的な危機は去ったものの、それで浩之が楽になった、というわけではない。そもそも、技を読まれたという事実は、浩之に御木本との実力差を感じさせる内容でしかないのだ。KOされなかったことで自分の実力が上がっている、と自覚するのは無理だ。

 自分でも驚くほど成長したランでもまったくかなわないほど急成長を続ける浩之、それは歪ですらある、だが、相手が強い者ばかりでは、成長を実感するというのは難しい。エクストリームの予選がなければ、浩之は今ですら自分の実力に半信半疑だったかもしれない。それを言うと、今だって自分の実力を信頼している訳ではないのだが。

 技を読まれて、浩之がそれでも心が折れなかったのは、自分の後ろ蹴りが御木本に当たったからだった。

 浩之の先ほどの後ろ蹴りは、綾香と戦ったマスカレイドの選手の中で、バタフライと名乗った女性が使っていたどの距離からでも打てる後ろ蹴りを参考にしていた。そう多くは見せていないはずなのに、技の本質を見抜き、それを自分に取り入れている浩之の非凡さには恐れ入るが、さすがにあごを蹴り上げるまでには技が練れていない。修治が見せたことがあるふらついたと見せかけての後ろ蹴りを混ぜ、狙いはみぞおちにしたアレンジだったのだから、もうこれは脅威としか言えない。

 狙いはよかったものの、御木本が打点をずらした所為でみぞおちには入らなかったが、ダメージはあったようだった。

 浩之はダメージを受けながらも、そこまで判断できていた。そこに思考というプロセスがあったのかどうかは、正直浩之自身にも分からない。しかし、そこに思考があろうとなかろうと、動けるのならば何も問題はない。まして、それで相手にダメージを与えることに成功したとなれば、何をいわんやというところだ。

 やっぱり俺よりも強いみただが……どうにかならない相手、ということはなさそうだな。

 浩之が日ごろ相手にする者は、正直強すぎる。浩之の攻撃でダメージが入った記憶など、ついぞないのだ。そう思えば、実力では自分よりも上でも、御木本はまだ戦える相手だと思えた。日ごろから強者と戦い慣れている浩之は、多少実力が上の相手と戦っても気圧されることなどほとんどない。実際の実力が近いならばなおさらだ。

 御木本が、殺気立った目で浩之を睨んでいることに、浩之はようやく気付いた。

 それも仕方ないか、とは思うのだ。そもそも綾香と坂下の確執、二人は二人で納得はしているのだが御木本が納得できるかどうかは別だ、の所為で良く思われていないのだろうことは分かっていた。しかし、今はそれよりも、自分と戦えるだけの実力があると判断し、油断を消したのだろう、と浩之は判断した。

 もちろん、御木本は最初から油断などしていない。だが、浩之のことをより警戒したのは、痛み分けとなった攻防があった後だ。冷静ではあっても殺気という面では、御木本は明らかにスポーツマンではないのだ。そういう意味では、やっと御木本もエンジンがかかってきた、とも言える。

 ダメージはまだ抜けていない……というかそもそもその前から身体はぼろぼろなので、完調ではない。それでも、前に出てみるか、と浩之は思った。戦えるとは言え、自分が不利なのは違いないのだ。こちらから攻めて簡単にイニシアチブが取れるとも思えないが、試してみる価値はあるだろう。

 押されてばかりでは勝てるものも勝てない。後の先を取るだけの技があればともかく、それだけの技を持たない浩之としては、下手に守りに徹するよりは自分から攻める方がまだましというものだ。攻撃は最大の防御というが、技で上回れない以上、我慢してチャンスを待つというのも考えものなのだ。

 後は、上手の相手を攻めるだけの気概があるかどうかだが、その点だけは不足していない。上手の相手を攻めるのがいつものことなのだから、迷いなどすでに麻痺している。

 それにしたっていくら何でも無警戒ではないのかと思うほど、まったく躊躇なく、浩之は前に出ていた。

 

続く

 

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