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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(117)

 

 御木本が、自分が負けるとは少しも心配していなかったと同じぐらいに、浩之は自分が勝てるとは少しも思っていなかった。ここにいる中で、おそらく一番浩之の勝ち目を信じていないのは、誰でもない浩之だっただろう。御木本だって、気を抜いてぼうっとしていれば自分が負けるぐらいのことは考えているのだ。しかし、浩之には、勝算などまったくなかった。元々、勝ったことの少ない浩之にしてみれば、最初から勝てると思って戦うことなど、今の今まで一回すらなかったのだが。ランと練習したときは? あれはランにしてみれば勝負だったかもしれないが、浩之にしてみれば勝ち負けの話ではない。そういうレベルでランを見ていなかったのだから、あのときのランが聞けば例え負けた後でも激怒しそうだ。今それを言えば、素直に受け止めそうであるが。

 やっぱ、そう簡単には乗ってくれないよなあ。でも悪くなかったと思うんだがなあ。少しぐらい油断して前に出て来てくれればいいんだが。

 御木本の動きを真似て、それにさらにアレンジを加えた攻撃をした浩之の思うことは、その程度のことだ。御木本の実力を見誤っている、まあそれでも実力から言えば浩之よりも御木本の方が上なのだろうが、浩之としては、その程度のフェイントに御木本が引っかかってくれるとは本気では思っていない。

 まあ、思っていないとはいっても、それで工夫をしないということもない。実力で劣っている、と常日頃から考えている浩之は、どんな攻防であっても、色々と手をひねっている。それは十二分な身体能力と反射神経、そして何よりも瞬時に策を考えられる思考の早さと、それをすぐに行動に反映させることが出来る器用さのたまものだ。何かこう一気に文字にすると、浩之の才能の卑怯ぶりが良く分かる。

 よく考える、というのは格闘技においてはもちろん弊害もある、何せ何日も悩むぐらいなら少しでも走り込みをして基礎体力を上げた方がよほど強くなれるからだ、わけだが、浩之は身体を動かし、そしてそれと同じぐらいに考える。動きの意味を理解する。動きそのものも理解する。結果として、浩之は他の人から見ればあきれるぐらい簡単に人の技の模倣を行うことができるのだ。

 本当のバカではスポーツの世界でもやっていけない。管理してくれる人がいたとしても、自分でも考えることができなければ、本当のトップにはいけない。まあ、バカの代表の寺町は、格闘バカで行動もバカで思考も明らかにバカなのだが、あれで頭は良い方なのだ。でなければ、あんなには強くなれない。

 浩之は、こと考えるということにおいては、まさにトップレベルと言っていいだろう。思考においても、発想においても、普通この二つは重なり難いのだが、浩之はどこか常識を理解しているようで無視することがあり、その結結果、思考と発想がおかしなレベルで調和を保つ。まあ、それを行動に移してしまえば思考に裏付けられた突飛な行動なのだから、非常識でありながらも効果的なのだ。

 しかし、いつでも頭を動かしている浩之ではない。その思考という力を持っていながら、浩之の念頭にあるのは、まず行動してみるなのだ。誰から見てもやる気なさげな表情からは想像もつかないことだが、浩之は行動派なのだ。うじうじ悩むよりも、まずは行動すべき、ということを、浩之は思考よりも先に感覚として理解している。今回も、そうだ。

 強者とあって、手が縮こまるというのは、浩之にはほとんどない。それが無駄なことを浩之は理解しているし、なにより、もうなれた。

 いきなり、浩之は足を引きつけ、両足を合わせて立った。そこから、御木本に向かって距離をつめるために動き出す。それだけのことで、明らかに、御木本の動きが鈍くなっていた。これは修治から教えてもらった歩法の一つだ。格闘家は戦い慣れれば慣れるほど、身体が勝手に効率の良い動きを取る。その中に、両足がひっつく形というのはない。だからこそ、相手の意表を突ける。そこから身体が前に倒れる動きを力に、蹴ることなく前に身体を動かす。予備動作が普通の動きとは違い、対処し辛いことこの上ないのは、修治にやられてわかっている。

 いきなりそれを自分が完全に体得できているとは浩之は思っていない。しかし、少なくともプラスマイナスを考えれば、普通に動くと同じぐらいには意味があると理解している。であればやってみればいいのだ。失敗してもいい、どうせ最初から勝てるかどうか分からない相手に、出し惜しみしていてはどうしようもない。

 御木本ほどの経験があっても、というよりも御木本の経験があるからこそ、それは十分に効果を発揮したようだった。こういう普通の試合ではまずお目にかかれない歩法などは、いかに色々な種類の格闘家がいるマスカレイドでも極端に少ない。古武術や中国拳法はマスカレイドでは人気はあるものの、実際にそれを使う者は極端に少ない。上位ではせいぜい通背拳を使うリヴァイアサンぐらいだろうし、リヴァイアサンが使うのも一部分だけだ。どっかの半聞きの知識だけでは意味をなさないし、格闘ゲームから動きを取って来て真似たようなものでは、そもそも話にもならない。まあ、歩法は単なる技術、効率的な動きとか、フェイントとかなので極端に効果を発揮することはないのだから、やってみて意味がないと思った者もいるだろう。

 当たり前だ。歩法も、あくまで技術であり、格闘技の技術は技術を覚えるだけでは終わらない。それを有効に活用できるだけのレベルがあって初めて意味をなすことのできるものだ。聞きかじりでそれを出来る訳もない。

 そして、浩之はそういう意味では、聞きかじりに近い。まあ、修治がちゃんと教えてくれたのは大きいが、効果を十二分に発揮できるほど技を練るのに時間は使っていない。しかし、浩之は、そういう意味では、この動きの効果をちゃんと発揮できるほどの、レベルに達していたのだ。

 ただ、この動き、正直蹴りを使うには物凄く合わない歩法なので、攻撃するためには拳の届く距離まで御木本との距離を詰める必要があった。こちらの拳が届くということは、向こうの拳も届くということだ。もちろん拳だけではない、一歩動けば、それこそありとあらゆる技が可能な距離になる。

 いくら歩法のおかげでアドバンテージが取れたとは言え、勝てると思っていない相手の懐に飛び込む度胸は素直に凄いと言える。そして、ただ飛び込むだけでは浩之は終わらせない。まあ、迎撃される可能性も高い訳だが。

 浩之は届く範囲に入った瞬間にワンツーを放っていた。本当ならば前進の力を拳に入れてたたき込みたいところだが、そんな隙はさすがになかった。だが、一応レベルは高いとしても、単なる芸のないワンツーでは、御木本にあっさりとはじかれる。が、先ほどの攻防が頭に残っているためだろう、御木本の反撃も、ワンツーに合わせるようなローキックで、精彩は欠いていた。まあ、それでも浩之としてはちょっとひやひやものなのだが。ワンツーで終わる訳がないと思ってくれてもいいものなのに、御木本は非常に堅実にローキックを放って来たのだ。一応受けるのは成功したが、こうも堅実にやられると、つけいる隙を見つけられずに、実力で劣っているだろう浩之には辛い。

 しかし、考えようによってはローキックを放たれたのはチャンスだった。浩之は、ローを受けると同時に、その受けに使った脚で前に出ると、御木本の胴を狙って身体を前に出そうとして、慌てて横に飛んだ。

 浩之の頭のあった場所を、御木本の肘が空を切った。タックルをかけようとした浩之の頭を狙って、御木本は肘を打ち出していたのだ。坂下に手刀でやられた御木本だが、自分が相手を迎撃するのもお手のものということだ。

 横に逃げた浩之の退路を、まるで予想していたかのように、というか予測していたのだろう、御木本は何の迷いもなく逃げる浩之に向かって中段の回し蹴りを放っていた。距離としては一番かせげる、つまり逃げる相手を動くことなく追うとすればその選択肢は当然だが、浩之としてはたまったものではない。つまりは、逃げ切れなかった。

 ドゴッ!!

 浩之の身体が、自分で逃げるよりも大きく横に跳ね飛ばされる。ガードこそ間に合ったが、決して華麗に受けることに成功した訳ではない。なかなか冗談ではない衝撃を浩之はその身に受けていた。御木本は浩之と同じで長身細身ではあるが、それでも素人さんを一発KOなど軽いものなのだ。すでに素人とは言えないまでも、浩之のガード越しにダメージを当てるぐらい出来る。

 まあ、まだまだ致命傷には遠いのが不幸中の幸いか。ああ、でも疲労で身体がだるいんだよなあ。てか、何でこんなコンディションで俺戦ってるんだろう?

 ぶつくさ思いながらも、綺麗に迎撃された結果に終わった浩之は御木本の追撃を警戒しながら、距離を取るしかできなかった。

 

続く

 

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