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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(120)

 

 浩之の真っ直ぐ突き出された拳から身体全体を槍と例え、矢のように遠い間合いから相手に向かって放った。交差した身体はそのまま弓の弦となり、速度と距離を作り出す。

 が、それよりも一瞬早く、御木本は後ろに飛んでいた。浩之が使う技を知っていた訳でもないだろうに、どう察知したのか、浩之が飛んでくると分かっていたかのように距離を取ったのだ。

 だが、浩之のバネは並大抵のものではないし、技自体の理もある。後ろに飛んだ御木本を追って、浩之の腕が伸びる。前進と浩之の全体重の乗った一撃だ、当たれば決まる。

 当たれば、だ。

 御木本の顔の手前で、ぴたりと浩之の拳が止まった。ぎりぎりで、浩之の拳は御木本の顔に届かなかったのだ。

 伸びきった浩之の腕を、とっさに御木本は手で取った。しかし、とっさでも手首と肘の位置を取る完璧な動きだった。

 技で一気に攻め立てたかと思えば、一瞬で相手に腕を取られるという不利な状況に浩之は追い込まれていた。浩之は、そんな状況で、修治の言葉を思い出す。

 

「あ? さばかれて掴まれたらどうするかって?」

 一発で倒せればそれは理想だが、理想と現実が一致するようなことはまずない。何より、そもそも普通にやって勝てない相手に、一撃で決めようとする方が無理がある。

「そりゃ、負けるしかねえんじゃないのか?」

 言うに事欠いてそれである。浩之でなくとも怒るかあきれるかするだろう。

「冗談じゃねえからな。そんなに簡単にどうにかなるわけねえだろ。まあ、一応掴まれたときに近距離から打てる技もあるがな。発頸とか聞いたことあるだろ。まああの言葉自体は名前先行で意味を正しく説明してる訳じゃねえけどな、今はどうでもいい。ようは至近距離からの打撃だ」

 ワンインチパンチとかとも言われる。打撃には助走距離が必要だが、その距離を必要としない打撃のことだ。凄いことのようにも聞こえるが、もちろん難しくはあるが、しかし、神秘的なものではなく、単なる技の一つだ。結局、それを使うよりは単純に殴った方が強いので、有効な技とはあまり言えないのだが。

 だが、浩之にはまだ使えない。一応練習はしているが、優先順位的には非常に下の技なのだ。使えなくともあまり困るものではない。それを使えというのだから修治も無茶を言う。

「使えないだ? 浩之ならちょっと練習すりゃ使えるだろ。まあ、使えないんなら仕方ねえ、負けろ……冗談だって、わかったよ、難易度は落ちるし色々と便利な技教えてやるよ」

 そんなものがあるのならばさっさと教えて欲しいものだと浩之が抗議すると。

「あまったれた事抜かすな、嫌なら俺に使わせてみろ。まあ、それに浩之が目標にしてるエクストリームじゃそう使う機会も多くないだろうし、教えるのは後になると思ってたんだよ」

 技をもったいぶるようなことはまったくない修治だから、そうなのだろう。修治は、あっさりとその技を浩之に教えた。そして、浩之はそれをけっこうあっさりと使えるようになった。

 

 浩之は、掴まれた腕を曲げる。御木本は、その力に逆らうことなく浩之の腕に張り付くようにして浩之の横に回り込みながら、しかし手は腕から離れていない。これだけでも、御木本が打撃だけではなく、組み技も使えるのは明らかだった。

 何より、腕の横に密着するような体勢は、御木本は組み技でも打撃でも何でも使えるのに対して、浩之は何も出来ない、完璧な位置取りだった。

 パンッ、と浩之の掌と拳が打ち付けられる音と、御木本が後ろに飛ぶのは、どちらが早かっただろうか。いや、御木本にダメージがなかったことを考えれば、御木本の回避が一瞬間に合ったのだろう。

 腕に密着された状態から、浩之は打撃を放って、御木本を退けたのだ。

 横に密着される状態でも、一応腰を回して肘を入れることは可能だった。ただし、打撃には助走距離が必要で、密着された状態ではろくな威力にはならない。御木本としては、受けたところで動きを阻害されることもなく、そのまま有利な体勢から何を狙っていっても良かったのだ。

 だが、浩之はそれをどうにかする技を持っていた。いや、技と言っても、その動きは武原流で名前がついている訳でもないのだ。

 浩之がやったことは、密着された腕を曲げて、自分の拳に空いた方の掌を打ち付けることだった。腰の動きだけでも、浩之の瞬発力を持ってすればけっこうな威力を出せる。しかし、それだけでは弱いのも事実。だから、それにさらに腕の力を付加する。

 普通ならば、肘を打つのにはあまり腕の力を使えない。腕を振り下ろすのならまだしも、後ろに回す方向には、腕は曲がらないのだ。だが、空いた腕は十二分な助走距離を持って動ける。その勢いを、自分の腕を伝って使用するのだ。

 もちろん、言うほど簡単な技ではない。両方の腕の動きと腰の動きの三つを全て合わせてやらなければ何の効果もないのだ。腕だけでも動きを合わせるのが難しいというのに、違う場所の動きを同時に行うなど、難易度の高さは異常だ。

 それを短い時間で、最低限使えるまでになったのは、明らかに浩之の才能だ。

 それを察知した御木本も凄い。浩之が放った肘を受ければ、KOとまではいかなくとも、動きを阻害されるほどのダメージが入っていただろう。何が来るかまで理解していたかどうかは分からないが、察知して逃げることができるだけでも十分だ。

 重要なのは、御木本が自分の有利な体勢から動かざるを得なかったことだ。

 相手に掴まれるというのは、要するに自分が不利な状態であることを指す。素人ではないのだ、掴んだだけではない、次の攻撃のためにより良い位置取りをすることも含まれる。

 しかし、御木本もただでは済ますつもりはなかったのだろう。逃げながら、つま先で浩之のあごを狙って脚を跳ね上げていた。僅かでもひっかかれば、脳震盪は間違いない。

 めまぐるしい攻防の中でも、一瞬のチャンスを逃さない。チャンスでなくとも無理矢理ねじ込んでくる。御木本は確かに、試合巧者だった。経験は浩之では相手にもならない。

 だからって、その蹴りを受けてやる義理は、浩之にはない。

 浩之は、首を曲げて、難なく御木本のつま先を避けた。御木本の反応の的確さと、逃げるだけではない、すぐに反撃につなげる動きは素晴らしいものだが、浩之は、それについていっていた。

 

「運良く距離が取れたらどうするかだって?」

 修治は鼻で笑った。

「そんなの、お前の実力がありゃあ、どうとでもできるだろ?」

 

 湾曲にでも、修治が浩之を褒めた初めての言葉を、浩之は思い出していた。

 

続く

 

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