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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(122)

 

 肘を使わないようにしなければ、と浩之は改めて考えていたが、さて、それでは次はどうしよう、と考えた矢先だった。浩之に自由にさせるのはまずいと感じたのか、御木本は今度は自分から浩之に向かって距離を詰めてきた。

 ただし、大した速さではない、というよりも、ゆっくりと詰めて来ていた。飛び込んで攻撃をしようというのではなく、距離をつめて攻防の行える距離に保とうとしているようだった。

 浩之としては、正直それは避けたいところだった。攻防が増えればそれだけぼろが出やすくなるし、新しい技を使おうとすれば、やはり時間的な余裕が欲しくなる。

 反対に言えば、御木本はそれを考えたからこそ距離をつめて来ているのだろう。浩之が覚えたての技を使っていることを知らずとも、攻防が増える方が有利なのは分かっているのだ。浩之から見ても実力は御木本の方が高いのだから、普通に試合をした方が御木本にとっては有利だろう。

 しかし、実のところ御木本は普通に試合をしたいとはまったく思っていなかった。先ほどの口撃もそうだが、御木本はオールマイティというだけではなく、やれることは何でもやる男なのだ。卑怯と言われてもまったく気にしない。まあ、であるなら武器を使えばいいだろうと思うのだが、そこらへんは御木本にも独自の美意識なのかこだわりなのかがあるのだろう。

 高校で坂下に会わなければ、もしかしたら武器を使うようになっていたかもしれないが、御木本は坂下と会ってしまい、そして素手で戦うことを選んでしまった。ついでに言えば例え武器を使う腕があったとしても、ここで武器を使うことは出来ない。武器を使って勝っても坂下のキスはもらえないのだから、本末転倒だ。そもそもそれが目的というのもどうかと……いや、男ならば仕方ないのかもしれないが。

 御木本はもったいぶる気もなく、しかし反応して攻撃するほどの速度はない動きで浩之との距離を縮めた。浩之も御木本もリーチは長いが、やや御木本の方が長いだろう、それを最大限に有効活用する為なのだろう、浩之が攻撃するにはほんの僅かではあるが、距離が遠い。

 それなりに距離をつめた御木本は、おもむろに浩之に向かってジャブを放つ。気のない、言ってしまえば手打ちのパンチだが、だからこそ隙が生まれない。

 まともに顔面に受けても、うっとおしいだけでダメージはないだろうが、だからと言ってそのまま受けていれば、そのうち顔が腫れて視界が遮られるだろう。ジャブを捌くぐらいは浩之も覚えている。というより、試合形式では相手の視界を遮るという手段は有効であるので、修治に重点的に防御の方法を教えてもらっていた。

 浩之は、自分でもうまく相手のジャブを捌いていると思った。そのうち、相手の方が我慢できなくなって近づいてきたときが勝負なのだが、御木本は捌かれているというのに、平然とジャブを続ける。フェイントも織り交ぜて来ているとは言え、攻める気があるように見えない。

 しかし、嫌な距離を保つと浩之は感じたが、その距離を崩すのは難しそうだった。浩之も十二分に早いステップを持っているが、これも御木本の方が僅かだが上だ。それに距離を保つのは素早さだけではなく、相手の動きを予測したり誘導したりすることが重要でもある。そういうものは、御木本の経験に浩之では遠く及ばない。

 それでも、浩之はうかつには手を出さなかった。このぎりぎりの距離で手を出せば、それこそ御木本の思うつぼだ。届かない距離で腕を振るうほど意味のないことはない。

 蹴りなら届きそうなものだが、この距離でいきなり蹴りを出す思い切りはなかった。攻撃はどれほど素早くしても隙が出来る。こんな嫌な距離で戦いながら隙を作るのは選択肢に入れたくなかった。

 御木本の方は浩之の都合など知ったことではない。いや、浩之が嫌がることを積極的に行おうとしているのだから当然だが、浩之が手を出さないのをいいことに、自分だけの拳が届く距離で、軽いジャブを放ち続けている。散発に打たれるそれは、試合をぐだぐだにしているようにしか思えなかった。もちろん、攻めない浩之にもその原因はあるのだろうが。

 それを手ではじきながら、浩之は攻めあぐねていた。攻めていないのだから、捌きあぐねていたという方が正しいのだろう。

 手を出されると、例え気のない打撃であろうとも、そちらに気が向いてしまう。さすがに相手の攻撃を捌きながら色々と思考をめぐらすというのは無理があった。それを狙っているかのように、御木本は手を出して来る。手を出して来ないまでも肩や脚でフェイントをかけて、浩之の思考を中断するし、さすがにこの距離に相手がいては、浩之は息をつくことも出来ない。

 しかし……これは想像以上にきついんだが。

 ほとんど限界まで練習をした後に、多少は休憩があったとは言え試合をするのには、やはり無理があるのだ。今は大して体力を使っていないつもりでも、息が上がってきているのだが分かる。

 御木本が手を出してきているのは、自分の疲労を狙っているのだろう、と遅ればせながら浩之は気付いた。しかし、御木本だって修治にKOされた後だというのに、スタミナ勝負は分が悪いと考えなかったのだろうか?

 いや、だからこそなのだろう。ジャブやフェイントは、確かに疲労が溜まらない訳ではないが、対処する浩之の方が神経を使っており、疲労のたまり具合は比べるまでもない。しかし、防御を止めれば気のないパンチでも当たればどうしても休憩とはいかない。どちらにしろ駄目なのだ。

 無理に攻撃を、とも思うのだが、息もあがって思考もままならない状態ではそれも難しい。何より、一度距離を決めて動き出した御木本の動きに、いいようにあしらわれてしまっている。

 下手に出るとカウンターを受けそう、というか明らかに狙われており、しかし防御だけしていてもらちがあかないどころか、負けに近づいていっている。

 ジャブでは、例えフックではじいても体勢を崩すまではいかないだろうし、先ほど対応されて浩之も精神的に出しにくい。ここまで考えて今までの攻防を行って来たと思うと、御木本の実力は、浩之の思っている以上のものなのかもしれない。

 実力はともかく、確かに経験は御木本はその歳から考えるとあり得ないほど多くのバリエーションの戦いをしてきたのだ。まして、御木本は怪物ではなく、だからこそ多くの工夫をこらして戦ってきた。それを自分より劣る相手に使うことを、御木本はまったく躊躇しない。

 くそ、せめて一ラウンドを三分とかしておくべきだったか?

 そこまで思い至らなかった。マスカレイドを最近見ていた所為だろうか? エクストリームでも試合は短い時間でラウンドを分ける。当たり前だ、人間は無酸素運動を何分も出来るような身体をしていない。三分など短いように感じるが、実際に試合をしたときの長さと言ったらないのだ。五分とかならば、もうそれは人の行える戦いではないとすら言える。

 ましてこんな疲労した状態では、休憩なしの試合とか自殺行為だろう。そこまで御木本が考えていたのかどうか分からないが、それを有効活用しようとしているのは確かだった。

 くそっ、息があがってきたか。

 最初から重かった身体が、余計重く感じてきた。まだ動けなくなるほどではないが、時間の問題だろう。

 浩之が、この状況を打破するために動く、それよりも先に、浩之は一つのことに気付いた。

 ……距離が、つまってるか?

 先ほどよりも、ほんの僅か、拳一つ分ほど、御木本と浩之との距離が縮まっていた。それは、つまり浩之のパンチが当たってダメージを当てることができるということだ。

 浩之が距離がつまったことに気付くのは早かった、それ自体は褒めるべきだろう。だが、気付いたということはつまり、浩之がどうにかしたという訳ではなかった、それは重要だった。

 浩之は、もう一つのことに、すぐに気付いた。

 御木本が拳を握るのを止めて、掌を構えていることに。

 

続く

 

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