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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(123)

 

 いきなり、御木本の拳の軌道が変化した。

 ジャブは速い。速いが、しかし軌道が読み易いものでもある。牽制の為には顔に当てるしかなく、スピードはともかく、軌道は酷く固定されたものになる。ジャブを全て防御する、というのはボクシングなどでは不可能に近いが、技の幅の大きい、つまりジャブに頼らずとも色々な牽制の手がある総合格闘技では不可能ではなく、実際あまり使われていないのが実情だ。ジャブ一発打ってそれの引き際にローを会わせられたのでは差し引きでマイナスが大きくなりすぎる。

 浩之がジャブを打たれても防御に徹していたのは、距離がギリギリであるだけに防御の余裕があったことと、ローキックを誘われているように感じていたからだ。

 だが、御木本のジャブはあくまで浩之に休憩をさせないための手段。それを分かっていたはずなのに、浩之は失念していた。疲れさせた後に、一体御木本が何をしようとしているのか。浩之を倒そうとしているに決まっているのだ。

 だが、分かっていたとしても、さて浩之に何が出来たか、と言われると辛い。御木本と浩之の経験の差は大きく、浩之は御木本にいいように距離を維持されていたではないか。そこから御木本が距離を少しつめるなど簡単に決まっている。

 浩之も自分の拳が届く距離になったのだから、すぐに攻撃するべきだったのだ。しかしそれは言ってもせんのないことでもある。御木本が距離を制御していた以上、イニシアチブは御木本の方にある。

 拳一つ分の距離だが、浩之の拳が届く範囲に、御木本はわざわざ危険を冒して入って来た。どんな手を持っているのかは、すぐに浩之は自分の身をもって体験することとなる。

 先ほどまで一直線に伸びてきていた拳が、フックのように横から伸びてきたのだ。いや、拳とは言っているが、正確には掌だ。

 掌であろうが拳であろうが、受けることには違いない。浩之は、軌道が変わったことに一瞬とまどいながらも、御木本の掌を受ける。

 坂下のような凶器そのものの拳ならば話はまったく違うが、そうでなくとも拳と掌のどちらが優れているかと言えば、拳の方である。単純にリーチが拳長いのだ。そして、柔らかいものを当てるよりも堅いものを当てた方が相手にはダメージが当たる。

 なのに、御木本が掌に変更した意味は、浩之には理解できない。意味がないとは思わないが、それはそれだ。それよりも浩之としては、自分の拳が届く距離になったことをできるだけ活用しなければならない。

 そう考えたしたが、御木本は攻撃の手を止めてはくれない。浩之が反撃をしないことをいいことに、攻撃を繰り出す。

 っ上?!

 上からかぶせるような掌が来て、浩之は後ろに後退して避けるしかなかった。受けて反撃するにはいささか難しい軌道だ。ストレートやフックはまだいいが、アッパーは受けるのは難しいし、まして上からとなると、浩之もほとんど練習したことがなかった。

 すぐさま、御木本は距離を詰める。決して離れはしない、御木本にとっても浩之の手が届く以上危険な位置から、離れることもない。

 たかが上からと思うなかれ。寺町の打ち下ろしの正拳は上からと言っても斜めに落ちてくるようなもので、フックの軌道をそのまま上にもっていったような軌道を通る攻撃などほとんど記憶がない。踵落としなどは上からとも言えるが、あんな見え見えの攻撃、普通は綾香でもない限り使ったりはしない。綾香は普通ではないので許される。飛び蹴りの間に膝を曲げて踵を叩き付けられるようなおかしな怪物に常識は無意味だ。

 僅かな距離を詰めただけの御木本だったが、それは拳を掌にするだけではない、腕の動きにも少しではあるが余裕を生んだのだ。そこから御木本は、上下左右から自在な攻撃を繰り出せるのだ。

 てか何だこりゃ、こんなの空手じゃねえだろ!?

 浩之は御木本の連打というほどでもないのに、嫌に受け難い掌を捌きながら、心の中で悪態をつく。寺町も大概空手ではないが、それでも分類的に分ければ空手になる。だが、御木本の掌の軌道は、空手と言っていいものなのだろうか。

 それに、御木本がこういう攻撃をしてくるのは、浩之にとっても苦しい。例えば葵の掌は、真っ直ぐか下から打ち上げるような動きを取る。威力の問題もあるが、ただでさえそうリーチの長くない葵では掌でさらにリーチを短くするとどうしても軌道が限定される。だが、御木本は違う。浩之よりも長いリーチを十分に活用した受けにくいと分かってやっているのだろう掌の軌道は、浩之を苦しめる。

 御木本がガチガチの空手家だとは実際まったく思っていなかったのだが、では一体何なのか、と聞かれると、浩之も返答に困る。これだけの手技を使える格闘技など、浩之は知らない。手技が充実しているように見えるボクシングも、ルールがある以上そのルールに則った上での充実さなのだ。御木本のそれにはルールに則った、というものは感じられない。むしろ、空手ですら許されるのかどうか怪しいものだ。

 実力云々ではない、もちろん実力云々で劣っているからこそこんなことになっているのだが、それを置いていても、このままではジリ貧だった。先ほど同じことを考えて動こうとしたその先手を取られた形になったが、今度こそ浩之は攻撃に移ろうとした。

 と思った方が早かったのか、御木本の方が早かったのかは判断つかない。つまり、完璧なタイミングと言っていいだろう。御木本の掌が拳に戻り、浩之の攻撃が届かない距離からジャブを放ってきたのは。

 まさか、心が読まれてるのか?!

 これは浩之も驚愕せずにはおれなかった。自分が行こうとすれば出鼻を挫かれ、改めてと思った矢先に距離を取られるのだ。完全に弄ばれている、という言葉が非常にしっくりいく状態だった。

 これは、もう明らかに二人の経験の差だ。浩之も作戦があればともかく、ただ攻撃しようとしたのはまずい。隠しもしないのでは、御木本に察知されても致し方ない。まあ、距離を詰めた以上仕留めに入ったと見せ掛けて、また距離をあける御木本の作戦の方が上だったと言えばそれまでだが。

 こんなのどうすりゃいいんだよ。というかこいつ、実力以上に曲者過ぎだろ。

 まあ、それはそうだろう。マスカレイドのカリュウだ。曲者ぞろいのマスカレイドでそれを上回るほどの曲者だ。まして、今は御木本という誰がどこから見てもまっとうではない人間性がつくのだ。正直に来ると思う方がどうかしている。

 だが、それにしたって、浩之は油断していた。油断、と言っていいだろう。距離を取ったのが、浩之の動きを察知しただけだと思ってしまったのは、油断だ。御木本がそれを見逃す訳がない。

 まずい、と思う暇もなかった、御木本は、さらに一歩奥へと踏み込んで浩之に向かって掌を放っていた。

 不意を突かれた、としてもそう易々と打撃を当てさせる浩之ではない。掌を腕でガードする。掌であれば、いくら強くても腕で受ければ止めることができる。それで掌の勢いは殺される。勢いのなくなった打撃に怖さなどない。

 御木本の掌を、浩之は腕でガードし、それに成功した。しかし、いくら掌とは言え、あまりにも軽すぎたそれを感じ、浩之の背筋が凍る。だが、気付くのが遅すぎた。

 御木本の打ち出された右掌の親指は、外を向いていた。つまり、左回転した状態で浩之の腕に当たったのだ。

 左に回転した腕は、反動で右に回転する。それは、浩之の腕を押しのけるのには格好の動きだった。御木本は、掌だけで浩之のガードをはね除けたのだ。

 だが、あくまでそれはガードをはね除けたというだけ。掌は一度腕で止まっている。ここからの打撃には威力がない。近い距離の打撃には威力がないことを、浩之は知っている。だからこそそれが出来る浩之を御木本は警戒せざるを得なかったのだから。

 掌の有効性は、もちろんある。打撃で拳を痛めることが多いことを考えると、掌はその心配がほとんどないことだ。そしてもう一つ、面積が広がったことにより、衝撃がより伝わり易くなっているということだ。

 そして、さらに言えば、例え助走距離が短くとも、威力を出すことは不可能ではない。足りない部分は掌の有効性を存分に生かし、結局のところ、致命傷でなくとも有効打であればいいのだ。御木本は、そのことを見落としていなかった。

 お互いにボロボロであるのならば、いつもの威力ではなくとも、十分なのだ。

 右回転した御木本の右掌が、浩之のあごを捉えた。

 

続く

 

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