肘を使うのをさせないようにしてからの肘、頭には入っていてもすぐには反応できないかもしれない。それだけではなく、自分で言っておいて使うとなれば、そこを卑怯と思うかもしれない。しかし、浩之の頭にはそのどちらもなかった。
御木本が肘を使うのを卑怯だとは思わなかったのは、使わないようにしようとしたのは浩之だからだ。この試合に勝つことだけ考えるのならば、肘のような強力な武器は躊躇せずに使うべきなのだ。正式な試合でなかろうが、肘で額でも出血すれば試合は止められるだろう。もちろん、出血した方の負けだ。血が出ても、案外やっている方は目にでも入らない限り気にしないものなのだが、試合としては止めざるを得ない。
まあ、どちらとも疲弊しているとは言え、御木本はもちろん、浩之だって簡単に肘を出血し易い場所をかすらせたりはしない。お互い広い間合いで戦っていたから、その機会は余計になかった。だが、今は違う。浩之の脚が一時的に効かなくなった瞬間を狙って、御木本は距離をつめてきたのだ。
肘のような間合いをつめる技でなくとも、動けなくなった浩之相手ならば別に他の技でもいいではないか、という意見もあるだろう。しかし、御木本の心意をすぐに理解した訳ではないが、御木本が最善手を打ってきたことを浩之は疑わなかった。
御木本の心意は、逃がさないことだ。いくら脚が死んでも、浩之の受けはなかなかのものだった。修治に教えてもらっているだけのことはあり、手での受けはかなりのものだ。坂下の、流れをそのまま殺さずに全て流し、あまつさえ自分のものとする、技としての受けとは違う。強引に受けて、流れを止め、そこにまた強引に技をねじ込む。浩之の受けは、修治のそれと比べればまだ児戯のようなものだが、強引な戦いに関してもそれなりにできるところまでたどり着いているのだ。スマートな受け? そんなものを 修治は使えないし、センスにまかせて使うとなれば、それは浩之の舞台だ。
だから、浩之は脚が動かなくとも、多少強引に受けることができる。この短い試合の中ですでにそれを御木本が理解したかどうかは別、何せ浩之本人に自覚がないのだ、だが間合いの広い技では、全力の回し蹴りでも受けられる可能性があったのは確かだ。
だが、肘は受けを許さない。自由に動くならいざ知らず、リーチの短い、つまり受けにくい肘の打ち下ろしは、ガードしてもそのガードを壊す。場合によっては骨折する可能性がある、というよりも、御木本はおそらくそのつもりなのだろう。だが、受けなければ浩之の身が、本当の意味で危険にさらされる。ノーガードで肘を当てたのならば、御木本は一撃で人を殺す自信があった。浩之は頑丈そうだが、完治にしばらく、月単位でかかるだろう。
まだ多少エクストリームまで時間があるとは言え、御木本には容赦がなかった。もともと、浩之のことが気に喰わない、いや、そんな中途半端なものではなく、本当に嫌いなのだ。それは坂下と綾香の確執、二人にとっては済んだことでも、まわりの人間にはそうではないのだ、がなくとも、おそらくそうであっただろう。
まあ、浩之を嫌うこと自体は責められるべきことではない。人の好き嫌いはどうにかなるものでもないし、自分の好きな相手の近くに仲の良い男がいるとなれば、それと積極的に仲良くなろうとする男の方が少ないだろう。
それでも、御木本は責められるべきだったかもしれない。悪いこともしていない相手を害す気持ちで振るわれる拳を、坂下が喜ぶ訳がないのだ。まあ、坂下は罰やスキンシップとしての拳は平気で振るうので、それも一般からは大きく外れていると思うのだが、その点に関して突っ込むほど度胸のある人間はここにはいない。何せ唯一突っ込みを入れそうな綾香がもっと危険なのだからどうしようもない。
こういう状況になってしまった以上、浩之に取れる手は何としても受けを成功させるしかない。まあ、それに関しては坂下も綾香も無理だろうと一瞬で判断していた。そして、浩之も考えた訳でもないのだろうに、その通りに身体が動いていた。
危ない、という言葉にならずとも、浩之の頭の中に赤い点滅が見えたような気がした。それは、無意識に危険であることを身体が頭に教えたのかもしれない。しかし、浩之はそのありがたい忠告に、真っ向から反対した。
危険を前にすれば、まったく反応できなかったのならともかく、反応が少しでもあれば、身体は縮こまる。身体をく硬くして、次に来る危機に対処しようとするのだ。縮こまらせた結果逃げられなくなるとしても、それが自然の反応なのだ。
だが、浩之は縮こまるどころか、身体から力を抜き、脱力させる。柔らかい方が衝撃を逃がし易いのは事実だが、スピードの乗ったものはその柔らかさごと粉砕する。少なくとも、御木本の振り上げた肘はそうだ。
意味のないこと、ではない。浩之の脱力は、衝撃を逃がす為ではなかった。
脱力した浩之の腕が、恐るべきスピードで掌が繰り出されていた。すでに近づき過ぎた距離は、肘には遠くとも、浩之に掌を許すほどになっていたのだ。
パンチは普通、当たる瞬間に拳を握る。それは手に無駄な力が入っていた場合、打撃の速度が落ちるからだ。浩之が脱力したのは、縮こまった状態からでは、スピードのある打撃が打てなかったからだ。
ガードや受けができないのならば、攻撃して、相手を倒せばいいだけ。そう浩之は考えた訳ではない。自然と、それを選んでいたのだ。身体が、それしかないと浩之の意見も聞かずに動いていた。
脱力しているということは、スピードはあるが、重さがない。だが、掌で顎に入れば、スピードのみでも十分な効果があるだろう。少なくとも、浩之と同じように限界に近い御木本が受ければ、動きが止まる。威力が落ちれば、いくら肘であろうともどうとでもなる。
完璧な軌道で浩之の掌は御木本の顎に狙いを定めて打ち込まれた。このスピードであれば、真正面から放っても防御するのは難しい、そういう速度だ。まして、自分から懐に入り込もうとしている御木本にとっては、余計にスピードが上がる。
御木本は、確かに経験値という意味では、浩之に勝っている。いや、実力だって御木本の方が上なのだ。言ってみれば、浩之が有利な点などない。筋力、リーチ、体格、そういうものでも、御木本の方が上だ。格闘技に必要な要素という意味では、浩之よりも御木本の方が上だ。
だが、その御木本相手であっても、浩之の方が勝っている部分が、確かにあった。
確かに、御木本の経験は年齢から考えるとあきれるぐらい多い。御木本にとっては、いつでもそれは自分の利点であった。
それでも、御木本にもない経験があった。浩之には、それがある。
浩之の起死回生の掌打を、御木本は頭をそらして、かわした。その腕にかぶせるように、御木本は肘を撃ち落とそうとする。すでに腕の伸びた浩之には防御する方法などなく、無理に腕で受ければ、御木本は確実に腕の骨を折るつもりだった。
浩之の掌打が、打ち抜かれ、同時に、引き抜かれた。
そう、いくら御木本であっても、戦ったことのない相手はいるのだ。
続く