作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(126)

 

 浩之の知るそれは、相手の懐に大きく入り込み、抱きしめるように、殺意を持って相手の後頭部を貫く。

 ラビットパンチ。拳のみで戦うボクシングで禁止されるほどの、危険極まりない技だ。

 軽く後頭部を叩くだけでも危険だというのに、綾香はそれを打撃としての威力で貫くのだ。エクストリーム優勝者の綾香の代名詞ともなっている技であるが、案外使える者は少ない。ボクシングのようにダッキングを多用する戦いにはならないから、そもそも狙い難いというのもあるし、いくら効果が高いと言っても、警戒されていては打撃精度も落ちる。

 綾香のラビットパンチは、突きと同じぐらいの精度で繰り出されることと、ラビットパンチを打つことのできる状況に綾香が試合を持っていくことが出来るからこその技なのだ。

 そして、このラビットパンチは、打たれる状態になってしまえば、ほぼ回避不可能。いや、実のところ浩之は回避したことがあるが、それはあくまで反撃する気などまったくない状況で、しかも綾香が物凄い手加減をしていたからだ。

 まして、御木本は綾香とは戦ったことがない、と思う。綾香のことだから隠れたところでフルボッコにしている可能性は否定できないが、まあ御木本も命知らずではなさそうなので、そんな無茶はしていないだろう。

 であれば、ラビットパンチを見たことはあっても、受けたことはないということだ。

 だが、間違ってはいけない。いくら相手の技を真似るのがうまい浩之でも、ラビットパンチを真似るのは至難の技、というよりも、今のところ成功していない。真似ようとはしているのだが、使う相手が修治ぐらいしかいないのがそもそもの間違いのような気もするが。

 しかし、浩之はその程度ではあきらめなかった。完璧には使いこなせないまでも、工夫次第では効果のある技にすることぐらいはできる、とねばったのだ。

 御木本が浩之の掌打の軌道から頭をそらして避ける、そこまでは浩之の予測内だった。だから、浩之は次の手を考えていたのだ。

 綾香ほど深くに入るのではない。伸ばされた腕が、そのまま身体に巻き付くようにしなる。パワーではなく、スピードのみで引き抜かれた手が、深く入り込もうとしていた御木本のあごを捉えた。

 打撃にはパワーも大事ではある。寺町のそれを例にあげる必要もなく、パワーのある人間の打撃はもうそれだけで脅威だ。

 だが、人を倒すには、大した力は必要のないこともある。脳を揺らすことができれば、人は簡単に倒れる。それは何も硬い拳で力任せにしなくとも、スピードの乗った打撃があごを揺らせば済む話だ。

 どれだけ打たれ強かろうとも、どれだけ根性があろうとも、脳震盪だけはどうにもならない。そして、それは例え怪物であろうとも同じことのはず。

 なのだが、綾香と坂下との戦いを見た後では、それもちょっと眉唾なんじゃないかなあと思う浩之ではあったが、少なくとも綾香打破の可能性の一つであることは確かだ。

 だからそれは、対綾香用に考え出した技だった。相手の急所を慈悲なく殺意を持ち貫くラビットパンチの凶悪さには及ぶべきもないが、浅い位置で回避された拳が相手のあごをなでるそれは、使いこなせれば卑怯なほどに効果を発揮するはずだ。

 教わるだけではない、浩之は吸収したものをさらに分解し、理解し、自分の中で新たなものとして作りだそうとしていたのだ。

 ただし、効果を発揮するのは、その技が理屈で間違っていない上に、完成していれば、だ。

 浩之自身が、自分で考えた技ながら、どうしようもない技だなと感じているのだけ見ても、うまくいっているとは言い難かった。綾香のラビットパンチもどんな体勢からでも打てるというものではないが、浩之のその抜き打ちとでも言おうか、その技はさらに使い所が限定される。

 避けるにしても、相手も避けた後そのままではない。動かれれば打撃精度は落ちるが、あくまでこれは打撃精度がものを言う技なので、もうその時点で破綻している。まして、いくらスピードがあればいいと言っても、ただ手ではじいただけで相手を脳震盪に持っていくなど、普通できない。

 今回、これがはまったのは、御木本の次の動きが完璧に決まっていたこと、脚が動かないからこそ、身体から力を抜いてスピードを出すことに徹したこと、そして御木本自身、かなり限界まで来ていたことが相乗効果で結果を出したに過ぎない。

 しかし、それでも、浩之自身が考えて、浩之自身で使うまでに持っていった技を見たとき、それが自分を狙って作られた技だと知ってか知らずか、綾香が、「へえ」と小さく感嘆の声をあげた。

 大きく肘を振り上げた形のまま、御木本の身体が、がくりと下に落ちる。それはもう頭どころか、胴体にすら届かないほどに下まで落ちていく。

 浩之は一時的に脚が動かなくなるまでのダメージを受けていた。しかし、御木本は脚から力が抜けるほどのダメージを受けてしまったのだ。

 もし、御木本が遠距離から攻撃すれば、こんな技を浩之に許さなかったかもしれない。しかし、御木本も、すでに限界が近かった。だからこそ、確実に仕留められる肘を狙うしかなかったとも言える。それを焦りと言ってしまうのは言い過ぎだろう。そんな技をここ一番で使ってきた浩之を褒めるべきである。

 ……いや、褒めるべきでは、ないのかもしれない。失敗すれば、御木本の肘は確実に浩之の今年のエクストリームを台無しにしていた。素直にガードしても危なかったのは事実だが、ガードなしではより危険度は増していた。

 危険な状況から選ぶとすれば、浩之の行った攻撃は最善手ではない。だが、その最善手ではない選択肢すら成功させてしまうのが、強者とそうでない者との違いなのかもしれない。

 御木本が崩れるのを見て、決まった、とは、しかし何故か浩之は思わなかった。助かった、とすら思わなかった。

 思ったのは、まだだ、という思いだけだった。悪い意味で、それは正しかった。浩之はすでに動ける力と体勢は使い切っている。ここで何かをされれば、回避の方法などなかった。いや、その心配はないはずなのだ。御木本が攻撃を続けるには、御木本自身の力が完全に足りない。御木本が攻撃できるぐらいならば、浩之が回避できるぐらいの余裕は生まれる。お互いにその程度はダメージを受けていたし、何より消耗が激しい。

 御木本は、そのまま前に倒れて、膝をつく。が、そのまま素直に倒れようなどとはつゆも考えていなかった。一時的にせよ、身体が動かないと分かっていてもだ。動ける限界まで身体を動かして、御木本は床に手をつくのを拒否する。崩れる身体を支えるものは必要だ。しかし、それが床である必要はない。

 倒れながらも、御木本は浩之の足首を、掴んでいた。そして、自分の身体に活を入れるように、叫ぶ。

「なめんじゃ、ねえっ!!」

 倒れる勢いのまま、御木本の身体が床の上で回転した。

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む