作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(127)

 

「なめんじゃ、ねえっ!!」

 倒れながらも御木本は身体を地面で回転させ、脚を浩之の脚にかける。そして、そのまま浩之の横を滑るように抜けると、浩之を巻き込む。流石に力の残っていない浩之の脚はあっさりとそれで膝を曲げられ、前のめりに倒れた。

 立てなくなった御木本の苦肉の策、と言えばそれまでだが、組み技は身体全体でするものであり、脚が動かない弊害は多いが、反対に言えば、脚以外の場所を使っても技をかけることができるということだ。少なくとも、打撃は脚が動かないのではどうしようもない。

 この試合、組み技を坂下は禁止しなかった。空手部で行われる練習試合なのだから、打撃が当然だと思うかもしれないが、浩之はエクストリーム本戦に出る選手だ、組み技も使って当然であり、その点は浩之に有利なルールと部員達は考えていた。まあ、御木本はあんな性格だが、実力は折り紙付き、エクストリーム本戦に出るような選手とでも十二分に戦える、と言葉には出さずに思っていたので、皆納得したのだ。

 しかし、その考えは色々と間違っている。組み技は素人とは言え、空手部で二番目の実力を持つ池田にタックルを決める御木本が組み技が出来ないとはとても言えないし、部員達には基本知られてはいないが、御木本はマスカレイドの生え抜き、三位まで行ったオールラウンダーのカリュウなのだ。組み技を許して浩之が有利になることはないだろう。

 これまで、二人が組み技を使わなかったのは、もちろん理由がある。

 浩之の方は単純で、御木本と組み技をしても勝たせてはもらえないだろうと思っていたからだ。隙があれば狙いはするが、わざわざ最初から狙いにいくまで有利とは思っていなかった。動きを見ただけで打撃だけではなくオールランドの実力者と見抜く浩之の目がそう結論を出したのだ。

 後、もう一つの理由としては、組み技にまぐれはないということだ。浩之が勝つためには、どうしても運が関わってくる。組み技は、実力以上のものが出たりしない、まさに実力と実力との比べ合いになるのだ。運が必要なのに、マギレの少ない組み技を狙うのは、浩之にとっては自分から勝機を逃しているようなものだ。

 では、御木本の方はどうかのか。これは、御木本が警戒した結果とも言える。自分の方が組み技は優れている、という自負はある。あるが、浩之の実力は御木本にとっても未知数なのだ。というよりも、僅かな時間でここまで実力を上げて来た相手を測る秤など御木本は持ち合わせていない。

 もちろん、組み技は練習した量が物を言って来る。であるならば、素人に近い浩之が御木本と対等に渡り合える道理はない。組み技であっても重要なリーチや腕力は明らかに御木本の方が上だ。柔軟性は見たところ脅威ではあるが、別に関節が柔らかいだけでは組み技は回避できるものではない。絞め技や腕ひしぎ十字固めなど、関節の柔らかさなど関係ない技はいくらでもある。

 それでも、警戒はしなくてはいけないのだ。打撃の実力は何度か見て分かっている。しかし、組み技の実力はまだ分かっていない。少なくとも、素人ではない。練習した時間を考えれば、素人に毛が生えた程度であるはずの浩之が、とてもそうには見えなかったのだ。

 マスカレイドで、実戦に近い状態で鍛えて来た自分の組み技が遅れを取るとは思っていないが、万が一を考えると、打撃の方がいいと思ったのだ。それは、浩之の兄弟子である修治の組み技の凄さを嫌というほどその身に受けたからこその結論だったのも否定出来ない。

 だが、こうなってしまえば是非もなかった。というより、いくら倒れても使えるとは言え、頭を揺らされて脚の自由が利かない状態で相手を巻き込んで倒れながら組み技に移行するなど、御木本でなければ出来なかっただろう。多くの種類の選手と戦って来た、その経験の多さが、こんな無茶な動きを可能にしているのだ。

 だが、倒れたところまでは良かったが、御木本はちっと舌打ちをする。まだ決まってはいなかったが、浩之は巻き込まれて倒されてにも関わらず、素早く御木本の足をつかんでいたのだ。

 御木本としては、ヒールホールドは禁止されているので使えないものの、素人相手ならば膝十字なりアンクルホールドなり膝固めなり、どんな脚関節であろうともかける自信があった。少なくとも、そのどれかには移行できるように浩之の足首を捉えていた。しかし、浩之にも同じように取られていたのではたまったものではない。

 御木本と言えども、脚の自由なしに倒れた状態で相手を制御することは出来ない。というか、そういうことはむしろ脚でするものなのだ。腕は技をかけるにあたっては最低限の準備に使われるだけで、基本的には脚で組み技は仕掛ける。腕ひしぎ十字固めなどはいい例で、脚の力がなければ、あんなもの痛くもかゆくもないのだ。脚で締め上げるからこそ、総合格闘技での必殺技となるのだ。

 技量で言えば、御木本の方が上だろう。しかし、いくら組み技が実力で差が出ると言っても、多少の差では結果には結びつかない。しかも浩之だって万全でないとしても、今このときは御木本の方がダメージが大きい。まだ脚に力がろくに入らないのだ、この状況で浩之を押さえ続けるのはかなり困難だ。

 と、いうよりも、お互いに足首を捉えて均衡している、実際は細かい動きでそれぞれ相手に技を仕掛けようとしているのだが、この状況になって、御木本は自分の最初の考えが正しかったことを理解した。浩之は、御木本相手に、十二分に組み技で対抗出来る。というよりも、脚の動かない今は、御木本の方が一方的に守りに入らなければならなかった。

 脚関節を知っている、というのはさすがに修治の弟弟子なのだから当たり前だが、単純な組み技の攻防においても、これはただごとではなかった。御木本と組み技でせめぎ合いが出来るとすれば、少なくとも組み技だけでは坂下よりも上だということだ。

 あまり脚が動かない御木本としては、それでも脚が回復するのを待つよりも、攻めて息切れを起こす前に仕留めてしまいたい。ずっと力を入れていないといけないし、倒れていると体勢が悪いので息がしにくく、立っているときよりも組んでいるときの方が疲労が激しいのだ。こんなもの、ずっと続けられるものではない。

 しかし、浩之がそれを許さない。下手に動けば技をかけられるのを知っているのだろう、自分だって疲労がない訳でもないだろうに、力を入れて何とか動かないようにしようと、それどころか、自分の有利なように体勢を作ろうとさえしていた。御木本にとっては最悪の状況だった。

 ほんとにこいつ、数ヶ月間しか格闘技習ってないのか?

 御木本の疑問はもっともだが、それどころか、組み技だけ言えばせいぜい一ヶ月ちょっとぐらいだろうか? 組み技は才能よりも練習が勝る、これは真理であり、それは覆しようがない。しかし、浩之はそれを覆すほどの天才だというのか、いや、それはもう、怪物ではないか。

 御木本が感じた驚愕たるや、想像に難くないだろう。組み技は才能よりも練習、その理は経験をすればするほど実感できるものだ。そして、実感すればするほど、その理を覆すような相手に恐怖するのは当然のことだ。

 だが、御木本は大きく思い違いをしている。その理は、何も崩れていない。その経験から来る実感は間違ってなどいない。

 中学から実戦に近い、つまりは一対一であり刃物が出て来ないこと以外は実戦と何ら違わない試合形式でピンキリとは言え、そのピンの方のケンカ屋と戦いを続けて、そして切磋琢磨して来た御木本の格闘技。もう、御木本のそれは空手とか柔道とかそういうスタイルとは完璧にかけ離れている。かけ離れるほどに、御木本は実戦によって練習を続けてきたのだ。

 実践でのみの練習、と言ってすらいいかもしれない。その結果、御木本の技はエクストリーム本戦に出ても見落とりしない、優勝は難しいだろうが、いいところまで行くだろうほどに高まっている。

 この年齢から言えば、恐ろしく密度の高い練習を御木本はこなして来た。

 しかし、それでも流石に相手が悪い。いや浩之の相手が悪かったというのが正しい。

 浩之の現状を考えればすぐに分かる話だが、浩之の組み技の練習相手、ほぼ全部修治と雄三なのだ。

 いくら強いとは言え、マスカレイドの組み技の使い手は修治より強いだろうか? というかそもそも、組み技で言えばカリュウはほとんどマスカレイドではトップだ。そんなカリュウ、御木本を相手にすらしない修治と、その修治をも平気で倒す雄三相手に、浩之は組み技を、むしろ全てを鍛えられているのだ。

 浩之には才能はある。これは不公平な話だが、どうしようもない事実で天才は最初からそれだけ有利なのだ。しかし、それとはまた別の話で、練習は結果となって身を結んでいる、それだけだ。

 浩之に、その自覚があるかどうかは別として。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む