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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(129)

 

 坂下が倒れた相手に対する打撃を禁止していないことに、御木本は最初から気付いていた。たまたま、坂下がそれを忘れていただけかもしれない。しかし、組み技を禁止しなかったことといい、坂下が一体何を考えていたのか、御木本は分かる部分もあるし、分からない部分もある。

 少なくとも、自分に対するご褒美ではないことは理解していた。浩之の能力も鑑みて、御木本は組み技を狙わなかったし、積極的に「転がす」ことも狙わなかった。いや、うかつに狙えなかったのもあるが、意識して狙わなかった部分は大きい。

 御木本は、確かにどんな手を使っても勝つことに拘るタイプだ。それが素手でなければならないのは、坂下がいたからであり、でなければ武器を使うことに躊躇など覚えなかっただろう。

 しかし、坂下がいる。坂下がいる以上、御木本はある程度のこだわりを見せなくてはならない。倒れた相手に対する打撃などもっての他だ。

 それに、ここまで、マスカレイドで素手で三位まで行ったカリュウまでになってしまえば、自身のプライドだってある。素人に毛が生えたような相手に、転がして打撃というのは、さすがにカリュウのプライドが邪魔していた。

 そもそも、坂下に良く見られたいのに、坂下が嫌いそうな戦い方をしたのでは本末転倒もいいところ。御木本は、健介に言わせると全然徹底されていないと鼻で笑われるだろうが、物事の優先順位を取り違えたりしない。

 それも、先ほどまでの話だ。もう、そんなことかまってられる状況ではなかった。すでに体力は限界、このまままごついていれば、引き分けに持っていくのが限界だろう。それならば別に損はしない、いや、負けたところで損はないのだから、勝つ以外は何でも一緒なのかもしれないが。

 浩之には、負けたくなかった。綾香のことがなくとも、御木本にとっては一番邪魔な相手に勝っても負けてもいいと割り切れる御木本ではなかったのだ。優先順位をどこに置くかは本人の問題なのだから、その選択も間違ってはいないだろう。何より、勝てば坂下からほっぺとは言えキスをもらえるのだ。

 多分、部員達の目がなければ、倒れたときの起死回生を反応され、どちらかと言うと不利な状況になった時点で倒れたまま打撃を使うという選択肢を選んでいただろう。しかし、御木本は空手部では、おちゃらけた道化者でやってきたのだ。勝つ為にどんな手を使う姿は、できることならば見せたくはなかった。

 だが、やるとなればそれはもう決めたことだった。中途半端は、一番まずい。実際、中途半端な優先順位付けが、今の御木本を泥沼に引きずり込んだとも言えるのだから。

 御木本は、何とか力の入るようになった脚で、浩之の肩口、筋肉がついていない急所となる場所をけり上げていた。

 ドガッ!

「くっ?!」

 浩之の腕の力が、緩む。御木本だってさすがに片足を抱えられて倒れた状態ではそんなに威力は出せない。これはダメージを与える訳ではなく、浩之の腕から一瞬でも力を抜くために行った攻撃だった。

 驚きもあっただろうが、身体の作りから言ってそこを蹴られれば力が抜ける場所を御木本が蹴ったのだ、浩之の腕から力が抜ける。その隙をついて、御木本は浩之の腕から脚を抜いていた。

 が、御木本だって一方的に有利になった訳ではない。蹴りを放つのと脚を抜くために、自分の腕のロックも緩くなっていたのだろう、それを敏感に察知したのか、それともたまたまなのか、浩之も御木本の腕から脚を抜いていた。

 このまま浩之の脚を掴んでいれば一方的に攻めることも出来たかもしれない。しかし、御木本はそれについては一瞬であきらめた。御木本自身にも余裕がなかったのもあるが、それがなくとも今までの動きを見ていても分かる。素人どころの話ではなく、このいけすかない男は。

 身体の状態が完璧ならば、マスカレイド上位で、最低五位以内で戦える。

 ゾッとしない話だった。本格的に身体を鍛えだして何ヶ月かと言ったか、そんな短期間に並ばれるほど簡単な道のりではなかったはずだ。しかし、実際、今御木本は浩之と一進一退の戦いをしている。これほど腹立たしい話はない。

 御木本は、まあ十分な才能があるだろう。才能がない、なんて言えば色々な人間に怒られるぐらいには優れている。しかし、その御木本をもってして、嫉妬するような才能だった。

 というより、それは、才能と言っていいのだろうか? 御木本の知らない、もっと得体の知れない何かなのかもしれない、そう一瞬でも考えた御木本は、背中が冷たくなった。

 届かないものは、ある。手を伸ばせば届く距離にあるように見せて届かない。いや、下手に目指さないよりも、不可能と思いながらも決してあきらめない人間の方が、不可能という言葉の意味を知っている。不可能のように見えてがむしゃらに走れば近づいたようにも感じ、余計に期待してしまうものだが、やはりあるのだ、届かないものは。

 それをあきらめるつもりなど、御木本はない。今届いていないだけで、届かないなどと、誰にも言い切れないのだ。だからいつか、心が折れるまでただただ目指すだけだ。しかし、あきらめるつもりはなくとも、自分の背中を追い抜いていく者を暖かな目で見られるほどの達観は、御木本にはない。

 お互いに身体を床で回転させて半立ちになると、相手の上にかぶさろうとする。倒れた状態では、基本的に上の方が有利なのだ。ガードポジションで様子を見るという動きはしない。打撃を許している以上、それも確実性がない。何より、下になってしまったのでは息が続かないだろう。

 お互いが立ち上がる前に、御木本は浩之に組み付く。打撃も組み技も使う御木本としても、半立ちの状態で相手と組むというのはなかなか経験のないことだった。道場で練習するのならばともかく、実戦ではそんな状態にはならない。もっと一方的に決まるからだ。

 もちろん、ただ組み付くのが目的ではなかった。すでにどうやっても勝つ、と決めた御木本にとってみれば、これが一番のチャンスだった。

 中途半端な状態での打撃なんて、練習したことねえだろ?

 ケンカ慣れしている御木本はとっくみあいなど無駄な戦いはしないが、道場でそんな練習をしないのも事実。まして、エクストリームを対象とした練習をしている浩之が、お互いに膝をついた状態の打撃を想定して練習して来たとは思えない。

 下手すりゃ一発反則負けだが、一撃で仕留めてやるぜ。

 御木本は浩之に頭をすりつけるような距離まで身体をつめる。浩之も同じ動きだ。相手をここから動かさなければ、組み技には入れない。

 しかし、御木本の狙いは組み技ではなかった。浩之が押すのに反応して、一瞬後ろに身体を引く。組み技としては、ごく普通の動きだ。そうやって、相手のバランスを崩すことが大事なのだ。

 浩之は、御木本が身体を引いたのにすぐに反応して、自分も引く。御木本が、それに合わせてまた身体を前にだそう、としているようにまわりから見ても見えただろう。

 浩之の襟元を掴んでいたはずの御木本の腕が引かれていたのに気付いたのは、何人いただろうか。いや、気付いていても、それが組み技の攻防の一つだと思わなかった者は、本当に僅かだった。

 身体を前に出す。と同時に、腕が前に出る。御木本と浩之の身体が密着すればするほど、完全に死角となる下、そこから御木本は腕を伸ばしていた。正確には、拳を。

 坂下は、禁止していなかった。だが、普通のスポーツマンならば狙うという選択肢すらなかっただろう。だが、御木本はケンカ屋で、そこは狙う場所の一つでしかなかったのだ。

 立って打つよりは遙かに劣る下からの突きが、浩之の、首を狙って放たれた。

 

続く

 

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