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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(131)

 

 綾香は何度か絞め技を使っているし、寺町は北条桃矢にスリーパーで落とされて負けた。今まで使われなかった技ではない。総合格闘技を考えるのならば、スリーパーホールドほど必殺となりえる技もそうはないから、使われるのは必然だった。決まってしまえば、例えどれほど首を鍛えていようと関係ない、子供の腕力で鍛えた大人を殺すことすら出来るのがスリーパーホールドだ。

 初公開となったのは、浩之がそれを使ったことだった。武原流で鍛えられた結果、浩之の組み技の技量が低いという者はいないだろうが、どこか一風変わった技を使うイメージがついていたのも事実だ。絞め技という必殺にはなるが、なるからこそありふれた技を使わない、と思われていたかもしれない。だが、実際には技に派手なものなど必要ない。要点さえ押さえていれば、地味なら地味なほど技としての完成度は高い。

 まあ、今の浩之の絞め技は、普通とは明らかに違う格好ではある。

 片手を御木本の首もとに入れて、空手着を握っている。これはいい、柔道などの絞め技ではこれは基本だ。ここの差し手がうまく入っていれば、絞め技はほとんど完成したようなものだ。そういう意味では、浩之の差し手は、完璧というには、少し浅い。これは浩之がどうではなく、御木本が自由にならない身体でも、とっさに首を引いて防御した所為だろう。だからこそ、技がかかっても御木本はまだ意識を保っていられるのだが。

 ここからが、明らかにおかしい。浩之は、その片手で御木本を引っ張り、床に頭をすりつけさせているのだ。そして、引いた腕を自分の身体に巻き込むようにして締め上げている。こんな絞め技は、綾香ですら見たことはなかった。

 普通ならば、ただ体重を持って相手を地面にすりつけさせているだけなのだから、御木本は下半身でどうとでも動けそうなものだ。だが、浩之がそれをさせない。自分の両足でもって、御木本の片足をからめとっているのだ。倒れた状態で片足では、さすがの御木本も逃げることができない。

 であれば、腕はどうなのかと言うと、これも片腕は自由になっている。ただし、自由な腕の方は頭をすりつけられている所為で、浩之に届かない。いくら力があっても、つかめるものが床か自分の身体だけでは有効に使うのは難しい。さらに、もう片手は脇の下に浩之の肘が入れられている状態だった。脇が空いた状態では力は入らないし、それ以前に浩之の身体と肘で完全に固められている状態だ。動きなど取れない。

 練られた技、ではない。不安定と言えば不安定、ほとんど大道芸のような絞め技だった。ちょっとバランスが崩れれば、それで技が外れそうなものだ。だが、確かに絞め技はかかっていた。そして、それだけではなかった。

 浩之は、そうやって固めたまま、御木本の顔をごりごりと床にすりつける。痛いは痛いが、それが問題なのではない。そうやって、浩之は御木本のあごを開けさせようとしているのだ。そして、確かに、徐々にではあるが、御木本のあごが上がってきていた。

 絞め技に対しての簡単な防御方法はあごを引くことだ。腕と首の間にあごが入れば、絞め技はまったく効かない。多少技が入ったとしても、あごを引いておけば、致命的なものにはならない。関節技全般に言えることだが、決まらなかった関節技、絞め技は無意味なのだ。

 いくら絞め技が決まった、と言っても、御木本は防御に間に合っていた。試合終了までねばるぐらいは出来た、と御木本自身は思っている。実際は体力の問題があるので、簡単にはいかなかっただろうが、御木本は意地でもギブアップはしないだろう。

 一度防御された以上、関節技や絞め技は意味がない。ならばどうするのか、簡単な話だ、技をかけなおせばいい。邪魔をされているのならば、その邪魔を取り除いてやればいい。

 組み技が練習と言われる所以はそれだ。どんなに技への入りが速かろうとも、絞め関節について言えば、防御する方が遙かに速い。だから、技を一度でかけようなどと思わなくてもいいのだ。時間をかけて、動きは速くもないのに、見ている者すら何が起きているのか分からないようななめらかな連続した動きで相手を追いつめればいい。それには、どれだけの動きに幅があるのかであり、それは練習以外では身に付かない。

 そういう意味では、浩之は完璧とも言って良いだろう。技に入るのも速かった、が、むしろ重要なのはその後。決まらなかったことを後まで考えて技をかけていたのだ。そして、かなり強引な手ではあるが、御木本の防御をこじ開けようとしている。こんな方法、御木本は知らない。

 御木本は、確かに強い。だが、言ったように、絞め関節に関して言えば、他と比べて経験が少ない。正確には、経験の幅が狭い。今、浩之に絞め技を許しているのもそうだ。カリュウの姿では、確かに組み技がそれなりに使える相手と戦っていたが、カリュウの服装は、空手着のように掴みやすいものではない。この格好で組み技を使うことなどほとんどないし、普通の服であれば絞め技は簡単にかかるが、御木本に絞め技をかけられるような人間がいきなり路上にいるはずもない。

 その点を言えば、浩之も同じのはずだ。修治が雄三がどれほど掴みやすい格好をしているかは分からないが、エクストリームでは、皆掴まれにくい試合着を使うのは当然で、相手の襟を掴んでの絞め技を練習する意味はあまりない。ないのだが、浩之は練習していた。自分から積極的にだ。

 もちろん、エクストリームでは役に立たない可能性は高い。だが、エクストリームでも一部の選手は空手着や柔道着で出て来るのだ。それは、主催者が練武館であるのもそうだし、中にはもちろん自分のやっている格闘技を自負しており、その格闘技の試合着を着る者もいる。寺町のようにあんまり何も考えずに空手着で出てくるようなのも、たまにはいる。

 いつでも有効ではないが、もし有利なときにその有利さを十分に生かせないのでは意味がない。だから浩之は襟のある服を着ていた場合の絞め技も練習したのだ。まあ、それよりも何よりも、自分が組み技の素人であることを自覚して、だからこそ基本をおろそかにしたくはなかったのが最大の理由だろうか。

 その差が、ほんの少し、浩之の手を御木本の首深くに入り込ませた。もっと浅ければ、例えあごを開けられても大丈夫だったろうし、そもそも絞め技にすらなっていなかっただろう。御木本を責めるには些細なことではあるが、試合を決めるには十分な差だった。

 そう、試合を決めるに十分な差なのだ。試合は、決まってしまいそうなのだ。御木本だって、ただされるがままになっている訳ではない。残った体力を総動員してこの体勢から逃れようとしているのだ。

 だが、浩之が逃がしてくれない。片手片足が空いていても、それを有効に使える体勢ではない。多少使ったのでは、浩之が腕力や柔軟性で押さえ込んでしまう。御木本の予想よりも、浩之の力が強く、さらに浩之の身体が柔らかいのも、御木本が逃げられない要因の一つだ。

 反対に、浩之は僅かずつではあるが、御木本のあごを浮かしている。まだ、御木本が必死の抵抗を続けているので致命的なまでには行っていないが、それも時間の問題だった。浩之の力で無理に技が決まるか、御木本の体力が尽きるのが先か、その程度の違いでしかないだろう。

 万全では、なかった。浩之もそうであろうが、御木本も自由に動けるような体調ではなかった。しかし、それだけで、まさかこんな素人に追いつめられ、今負けようとしているのを、御木本はこの状況になっても信じていなかった。

 いや、信じる信じないのではない。負ける負けないなど、考えすらしていない。考えるのは、この状況から逃れる方法だけだ。自分の技量を総動員して、浩之の技から逃れようともがいていた。体力が尽きるのも無視、勝つためには、この技から抜けねばならないのだ。

 浩之は、この状況になっても、いや、なったからこそか、力を抜かなかった。さらに数ミリだけ、御木本のあごが浮く。

 こんな状況でも、御木本の感覚は鋭敏だった。浩之が持続的な力で浮かせようとしていた御木本のあごが、ほんの少しだけ、守れる限界を超えたことを、察知していた。

「それまで」

 ポンッ、と二人の肩に手が置かれる。その瞬間に、御木本は浩之の技から解放された。御木本は、一体何が起きたのか、まったく信じられなかったが、それでもそうとしか考えられなかったから、もうほとんど尽きている体力で素早く立ち上がると、肩に手を置き、試合を終わらせた坂下に、詰め寄った。

「好恵っ、でしゃばんなっ!!」

 坂下の怪我がなければつかみかかっていただろう。いや、逆上していても御木本にとっては坂下が全て、怪我をしている坂下に負担をかけるのは御木本のやりたいことではない。それでも、言わずにはおれなかった。

「まだ試合は終わってねえぞっ!」

 坂下は、しかし、平然としたいつもの顔で言い切った。

「いや、決まったよ。この試合、藤田の勝ちだ」

 

続く

 

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