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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(132)

 

「まだ俺はギブアップしてもねえし落ちてもねえだろっ! 勝手に止めるんじゃねえよっ!」

「あんたねえ、審判が決まったって言ったんだから、終わりに決まってるじゃないか」

 坂下は冷静なものだが、御木本は坂下につかみかかっていた。もちろん言葉通りではなく、手は出していない。怪我をしている坂下に負担をかける動きをさせる訳にもいかないからだ。

 御木本が坂下に従わないのは、別に珍しい話ではない。この頃は少し大人しいようだが、もともと御木本は皮肉屋でことある事に茶々を入れるし、坂下の言葉に素直に従うばかりではないのは部員達は良く知っている。

 しかし、判定で負けにされたからと言って審判に、この場合坂下だが、つっかかるという御木本の姿は珍しいを越えて、部員の知っている御木本ではなかった。審判に反論するだけ無駄だというスタンスだと思っていたし、まして判定を下したのが坂下なのだ。

 実のところ、御木本だってあのままやればギブアップはない、だが、そのまま落とされていただろうことは分かる。限界の線を越えた以上、我慢出来るものではない。むしろ、その線を越えたのを坂下が一瞬で判断したことこそ褒めるべきことなのだろう。

 だが、負けを認める訳にはいかなかった。勝ちに拘るのは、カリュウならばともかく、空手部の御木本としてはずれているというのは承知の上だが、ここで負けを認めることなど出来ない。格下と思った相手に負けを認めるのもそうだし、綾香のこともある。何より、強いと感じたからこそ、単純に負けたことが許せないのだ。

「それとも、御木本。あんた、私の判断に文句でもあるって言うのかい?」

 一瞬で、気温が落ちる。いくら冷房の効いた道場の中でも、見ている者の感じる背筋の寒さはおかしい。怪我をしようが何となろうが、坂下は坂下だ。最近、余計に化け物じみて来た坂下のプレッシャーは、怒られている本人ではない者にまで圧力がかかるぐらいになっていた。

 しかし、御木本も負けていない。組み技の細部までは分からない部員達はともかく、実力のある人間ならば、今の試合、どちらが負けていたのかなど一目瞭然だが、例え往生際が悪いと言われても御木本はしつこく食い下がるつもりだった。

 試合の結果が覆されたとしても、正直この後試合をするような体力は残っていない。そこまでのことを考えての発言ではないのだ。正確には、そこを無視してでも反論するしかなかった、と言った方がいいだろう。坂下への印象が悪くなろうとも、御木本は浩之に対して負けを認めたくなかったのだ。

 浩之と御木本は、確かに直接に関わることはない。学校が同じで学年が同じでも、対して話をしない相手というのはいる。その類の相手だ。だが、坂下が関わるとなると、浩之にとってはどうかは知らないが、御木本としては無視出来ない相手だ。正直に言えば、意識しないことは出来ない。

 自分と浩之が比べられている、と御木本はどうしても考えてしまう。他の部員達のことはいい、だが、坂下がそう思っていると、実際がどうであろうとも、その懸念を解消することは出来ない。坂下だって、他意もなく浩之と御木本を比較することもあるだろう。

 何より、二人を比較したからこそ、試合をしてみろと言ったのではないのか。

 御木本の頭からは、完璧に坂下にほほにキスをしてもらう、という約束は消えていた。忘れるはずもない重要なことではあったが、それでも、御木本はどこか優先順位を自分で思っている以上にはっきりとしていたらしい。

 負けることを簡単に許せるような、そんな男が、マスカレイドみたいな非合法のケンカの場に、身を置くだろうか? 御木本は結局、誰よりも負けず嫌いなのだ。普通は、その顔は出て来ない。マスカレイドで戦っていれば、勝つことも負けることもある。強くなるために仕方ない、と御木本は何とか折り合いをつけもしている。そもそも、目的は最終的に坂下に勝つために強くなることで、全てに勝つことではなかったはずだ。

 浩之と御木本との関わりだけであれば、最大限譲歩して無視することも出来た。ただ試合をして負けただけであれば、そういうこともあるだろうと自分を納得させることも出来た。だが、この二つが合わさってしまうと、御木本も自分では制御しきれない。負けを認めるぐらいだったら、坂下に逆らってでも浩之を倒さないと、自分の中の何かが許さないのだ。我を失っている、と言っていいのだろうが、坂下の怒気で止まらないのだから、誰が止めることができるだろうか。

 こうなると、もう坂下の実力行使ぐらいしか手はないようにも見える。

 が、それはいきなり来た。

 立っているのがやっと、という状態でありながら坂下につめよっている御木本、例え身体が疲労やダメージで動かなくとも、坂下を除く部員には遅れを取ることはない、という自負ぐらいはあったのだろうが、それがあっさりと覆される。

「うるせえっ!!」

 いきなり、横から蹴りを入れられ、御木本の身体は大きく跳ね飛んだ。

 どしゃっ、となかなか酷い音をたてて、御木本は床にそのまま落ちるように倒れた。さすがにこれは、部員達も驚きに息を呑んだ。先ほどの試合で疲労困憊、そうでなくともKOを食らったらしい御木本相手に、ここまで思い切りの良い攻撃を繰り出せるのは、せいぜい坂下ぐらいだと思っていたのだ。まして、いくら御木本が疲労していたとしても、不意を突いても不思議ではないランですら御木本の不意を突くというのは難しい。

「て、てめえっ……」

 腕で何とか身体を持ち上げようとしている御木本だが、さすがにダメージと疲労で身体が動かない。まして、坂下が一度試合を止めてしまったのだ。どれだけまだ試合は終わっていないと御木本が声を張り上げても、根気も一度ストップがかけられている。この状態で動ける訳もなかった。というか、最後の体重の乗った足刀蹴りのダメージが止めを刺したのは間違いなかった。

 御木本を怒鳴って蹴り飛ばした張本人は、飄々として、というかけっこう嬉しそうに倒れた御木本を上から見下げていた。

「ちょっ、健介?!」

 田辺が、あまりのことに驚きの声をあげていた。さっきまで素直に試合を見ていた、何せ勉強しないのであれば何でもいいという男だ、健介がいきなり御木本に近づいたかと思うと、見事としか言い様のない足刀蹴りで御木本に止めを刺したのだ。

 健介自身、まだまだ怪我が治っていないのだ。それは、無理をすれば足刀の一発ぐらい打つのはわけはないだろうが、出来るのとやっていいのとでは大きく話が乖離している。

 部員達も驚いてリアクションに困っている。御木本が勝ちに執拗に拘るのも珍しいが、今まで健介と御木本が積極的に関わろうとしたのを見たことがなかったのだ。お互いに、何か気に入らないことがあるのか、消極的に距離を取っていた。その健介が、いきなり御木本に本気と思われる蹴りを入れたのだから驚きもするだろう。

「ごちゃごちゃうるせえんだよ。負けて悔しいのは分かるけどよ、もともと無茶なコンディションで試合して勝てる訳ねえだろ。それに、ちょっと組み技も使えるようだが、エクストリームの本戦に出るような本職に組み技で負けるなんて当然だろが」

 実際は、そうとは言い切れない。むしろ、健介は自分が嘘をついているのを知っている。御木本がどれほど組み技が使えるか、先ほどの試合を見ただけでも健介には分かっている。むしろ、話を聞く限り、何であんなに浩之が組み技がうまいのか疑問になるぐらいだ。

 組み技で戦えば、御木本ならば健介を瞬殺するだろう。打撃技でも、ベストコンディションで戦って勝てる気がしない。だが、御木本と浩之のコンディションは同じぐらいに見えた。であれば、ベストコンディションで戦っても、二人の間にはそう大きな差はなかったということになる。

 健介としては腹立たしい限りだが、御木本も浩之も、健介よりも強いのだ。そして、健介の見立てでは、御木本と浩之がベストコンディションで戦えば、どちらが勝ってもおかしくない。だから、御木本が負けたのも何も不思議がることではなく、実力の結果だ。

 だが、健介はそうは言わなかった。組み技が多少使えたとしても、エクストリームに出る選手の方が本職で、組み技で負けた。しかも、御木本はコンディション的には最悪だった。負けた理由を実力ではなく、コンディションと組み技の所為だと言ったのだ。

 こんなものが通じるのは、せいぜい空手部の平部員ぐらいだ。組み技を知らなさそうでも池田では多少怪しくなってくるし、寺町や坂下に至っては、はっきり嘘だと理解していることだろう。何より、健介にかばわれている御木本の屈辱と来たらないだろう。

 部員達は、健介に理由を出されて、むしろ納得している。どれほど屈辱でも、御木本は反論する元気すらない。それはそうだ、健介はKOするつもりでボロボロの御木本を蹴ったのだ。よく意識を保っていられると思うぐらいだった。

 いい気味だ、としか健介は思わなかった。だが、空手部の中の不和というのは健介の望むところではなく、御木本が自分で努力して貶されるポジションを保持して来たのならば、その手助けぐらいはしてやってもいいと思ったのだ。

 何より、性格的にどうしても気に喰わない御木本を蹴りつけれるチャンスだ。やらない理由がない。怪我や勉強で鬱憤が溜まっていたので余計にだ。

 まあ、それだけじゃねえんだけどよ。

 健介は、健介なりの理由があって、御木本を黙らせたのだ。まあもちろん、それ以外の付加価値も嬉しいことは否定しないが。

 一つの騒動を健介の足刀蹴りという思わぬ方向から決着を見たが、もう一つ健介が介入せざるを得ないことが、向こうの方でも起きようとしていた。

 

続く

 

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