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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(135)

 

「で、ほっぺにキスの件はどうなったんだ?」

 分かっている、浩之はときどきバカなんじゃないだろうかと思うほそ空気は読まない、というか明らかにバカだろうというほど今こそ空気を読んでない発言ではあるが、今はその危険性を十二分に理解した上での発言だ。

 考えてみて欲しい。本人が忘れていて多分本人も驚いたのだろうが、その話題が出るなり命を取られそうになったのだ。いや、浩之でなければ危なかったかもしれない。そういう意味で、浩之の発言は不用意過ぎる。

 しかし、これは切実な話として、綾香と葵のサンドイッチキスを棒に振るような親不孝なことを浩之はやりたくない、いや出来ない。男として、ここで命をかけずに、どこで命をかけると言うのだ!

 いやまあつまりは綾香と葵にチューしてもらえるんだったら身の危険も顧みない浩之は下心の塊なし親不孝とか意味わからないが、勇気と下心が足りれば誰だってそうする。

 で、浩之は(身の危険)<(勇気+下心)となり、めでたく危険な発言をした訳だ。

「え、ええと、それについては……」

 葵も挙動不審できょろきょろと、さっきまで説教していた綾香の背中に助けを求めるような視線を送っている。それも致し方ない、葵はどちらかと言うというか、全面的に被害者だ。綾香が葵の同意も得ずに葵を巻き込んだのだから、葵が覚悟出来ていないのは当たり前だし、むしろこの場合、葵を困らせているのは浩之も同罪なのではないだろうか?

 しかし、顔を赤くした葵はそんなに嫌がっていない、ように見えるのは浩之がつけあがっている所為なのだろうか?

 普通であれば、葵のことは笑って流してやるべきなのだろう。だが、浩之は鬼になると決めた。主に自分の下心の為に。最悪である。

 それに、浩之は葵のことは確かに鬼だが、綾香に対しては怒ってもいい立場だ。まあ、いつものことと思って浩之はまったく綾香の行為を怒っていない、何せ今までが今までなので、投げられるぐらいのことは今更大したことではないと感じているのだ。いや実際浩之が受け身を取らなかった危なかったのだろうが、その程度のこといつものことだ。その程度、と言い切れてしまう辺り、浩之も色んな部分がぶっ壊れているのだろうが、さて、それは一体誰の所為なのか。

 葵からの助けを求める視線に気付いているのか気付いていないのか、綾香にはまったく反応がない。助けが来ないことで、葵もかなりてんぱっているようだった。

「えーと、私は、センパイにご褒美としてはいいかなとか、別に嫌じゃないんですが……」

 てんぱり過ぎて、何か不穏なセリフを葵が言っているような気もしたが、それについては浩之は聞き流すことにした。まあ、葵がこんな状態になって冷静な発言が出来るとは浩之は思っていなかった。そう思う辺り流石は病気とも言える鈍感さである。葵の視線が綾香に助けを求めるものと、ちらちらと浩之の顔色をうかがっているのにまったく気付いていない。

 ちなみに、今の浩之は鼻の穴が広がって、かなり台無しな顔になっている。まあ鼻の下が伸びるのはこれも致し方ない話か。葵の初々しい反応を見て興奮しない男はいまい。どうでもいいが、下心を表す言葉は鼻のつくものが多いようだが、どういう関係なのだろう。

 と、先ほどまで浩之の発言と葵の助けを求める姿勢を無視していた綾香は、いきなりくるりとこちらを向くと軽やかに立ち上がった。

 そして、先ほどまではいじけていたはずなのに、それがまったく見れないニヤニヤ顔で浩之に詰め寄る。

「あら、浩之。そんなに私達にチューして欲しいんだ」

「う……も、もちろんだ。こんなチャンスを逃すのは男じゃねえよ」

 今回で言えば、浩之は綾香に対して負い目を感じる必要はない。変なことを言い出したのは綾香だし、さらに葵まで巻き込んだのだから、原因は全部綾香にあると言っていい。何より、その賭けに勝ったのは浩之なのだ。自分の実力で勝ち取ったのだから賭けとは言えないかもしれない、時の運と賭け事を一緒にしては駄目だ、そこには越えがたい明確な差がある。

 しかし、それでも浩之が気圧されてしまうのは、それはもう日頃の立ち位置の違いだろう。ついでに言えば、こんな綾香がいやらしいニヤニヤ顔をして、一体何度浩之が酷い目に遭ったのかもう数えるのも嫌になるぐらいの過去の経験が生きている。付き合いとしてはそこまで長くないはずなのに、浩之にそこまでのトラウマを植え付けるのだから、綾香は悪魔すら裸足で逃げ出す何かなのだろう。

「ふーん、まあ、だったらほっぺにチューぐらいしてあげてもいいかな〜」

「そう思うなら投げるな」

 流石に浩之も突っ込まざるを得なかった。すでにだいぶ慣れているとは言え、命に危険がありそうな投げを食らって喜ぶほどには浩之も狂っていない。もちろん、色々と狂っている部分はあるだろうが、今回は目をつむる方向で話を進める。

 浩之にせがまれて、葵はさらに顔を赤くしている。

「センパイの……えっち」

 チューぐらいでえっちはないだろうとか言うことはあるのだろうが、葵を赤くして恥ずかしがりながらそんなことを言っては逆効果もいいところだ。いやまあ、葵はお察しの通りそう嫌がっている訳ではないので、恥ずかしがる姿は眼福物である。嫌がる姿もそそるという非紳士の方の意見は無視だ。

「まあ、私も別にいいわよ。がんばったのは本当だし、まわりの人間に見せてやるのが嫌だっただけで」

 だったら最初っからまわりの人間に聞こえるようにそんな約束するなよ、と浩之は思ったが、声には出さなかった。投げられるのはともかく、それをともかくと言ってしまう辺り浩之の非常識さがうかがえるが、こんなチャンスをふいにはしたくなかった。

 よく見ると、綾香のほっぺたもうっすらと赤くなっているし、耳ははっきりと見て分かるぐらいに真っ赤だ。本人は隠しているつもりのようだが、やはり恥ずかしいことは恥ずかしいらしい。まあそれはそうだ。綾香とはそれはごにょごにょだが、慣れるほどにはしていない。まして、葵が一緒となるとそれは未知の領域だ。

 葵に至っては、言うまでもないだろう。ここは日本なので、ほっぺにキスすら日常では行われない。初めてか、したとしても小さなころに家族にしたぐらいだろう。

「ほら、見られると恥ずかしいでしょ、目をつむりなさいよ」

「こうか?」

 浩之は二人の気が変わる前にやってもらおうと、すぐに目を閉じる。綾香の前で目を閉じるなど、自殺行為にも等しいが、今の浩之に怖い物などない。無敵という意味ではなく、無謀という意味で。

「ほら、葵はそっちね。こういうのは勢いが大事だから、すぐにやっちゃうわよ?」

「え、は、はいっ」

 やや緊張した二人の声が横から聞こえた。二人の腕が浩之に触れたかと思うと、全神経をほほに集中させていた浩之のそのほほに、二人の暖かな吐息がかかる。

 ちゅっ

 柔らかい感触が、浩之を挟んだ。

「はい、おしまい。良かったわねえ、浩之。こんな美少女二人にチューしてもらえて」

「あの……いえ、何でもないです」

 浩之が目を開けると、恥ずかしさを隠す為か、口早に言って背を向ける綾香と、下を向いても耳が真っ赤で全然隠せてない葵が目に入った。浩之は、思う。

 我が人生に一片の悔いなし、と。

 色々とあった合宿だが、それを除いても、浩之にとっては良い意味で忘れられない合宿になった。

 ……と思うのは、浩之は気を抜きすぎだろう。まだ、合宿は終わっていないのだから。

 つまりはまあ、少しは悔いろ、ということだ。

 

続く

 

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