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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(145)

 

 スパッと風の切れる音がして、綾香と葵の打撃がお互いに空を切った。一応は寸止めを行うつもりで組み手をしているのだが、下手に手加減をしてもお互いに相手を捉えきれないことはわかっているので、周りから見れば当てるつもりで打撃の応酬をしているようにしか見えない。というかむしろ打撃が速過ぎて周りから見れないことも多い。

 空手部員達は、自分達も組み手をしながらも、自分達のことにはまったく集中せずに二人の攻防を見て感嘆の声をあげたりしている。組み手を真面目にしているのは寺町の組ぐらいか。まあ、寺町は何をやるにしても本人はいたって真面目にやっているが、こと格闘技に対する集中力は凄い。だったら綾香達の攻防を見てもよさそうなものだが、その見事な攻防にすら興味がないのは、寺町にとっては戦えない余所の相手よりも、今目の前の自分の相手の方が重要だからなのだろう。

 その寺町は酷いやる気で、空手部の池田と中谷が交互に休みならが相手をしなければならないほどだった。寺町の相手ができるのがもともと坂下、池田、御木本、中谷だけで、それに最近健介が少しぐらい相手できるようになったぐらいなのだ。その中で三人怪我や病院でリタイアしてしまったものだから、池田と中谷の負担は相当なものだ。二人とも体力がない訳ではないが、バカ元気過ぎる寺町の相手をするのには休憩が必要なのは致し方ないだろう。

 まあ、他の部員に相手させる訳にもいかないでしょうけどね。

 綾香は、周りを観察しながらそんなことを考えていた。葵と共に、空手部員達が集中力を切らせて、というかこちらに集中してしまうほどの攻防を繰り返しながら、綾香自身はまったく葵との組み手に集中していなかった。

 ここには、戻って来たサクラを含めて、後二人ほど寺町の相手が出来そうな予備人員がいるようだが、この二人は寺町の相手をする訳にもいくまい。

 二人というのはサクラと初鹿のことだが、初鹿の正体はすでに知れているので実力があるのは今更の話だが、サクラも寺町と戦えるぐらいの実力者であるのは綾香の目には一目瞭然だった。とは言え、サクラは一応坂下の介護という名目で来ており、少なくとも寺町の相手をするつもりはさらさらないようだし、初鹿は初鹿で寺町に対しては効果が在りすぎるというか姉弟の立場により寺町の練習にならないだろう。

 今更だが、綾香だって寺町の姉が初鹿であることを知ったときには驚いたものだ。綾香だってエスパーではないので、分かるものと分からないものがある。寺町と初鹿の姉妹は綾香の想像の遙か斜め別次元だ。

 しっかしこのバカ、修治にKO食らった割には元気過ぎじゃないの?

 寺町は組み手中何が楽しいのか、いや本人は非常に楽しいのだろう、満面の笑みを浮かべており、ただ見ているだけの綾香ですらげんなりするぐらいなのだ。相手をしている池田と中谷はどれほどげんなりしているだろうか。まして、これでただげんなりするだけならともかく、別に試合でもないというのに、あの打ち下ろしの正拳を何の躊躇いもなく使うのだから、相手としては気を抜く訳にもいかない。寺町も一応手加減はしているようだが、それにしたってアレだ。

 北条のクソジジイ……じゃなかった北条のおじ様の弟子……ねえ。

 乙女にあるまじき、何と言われようと綾香は花も恥じらう乙女であり文句は本人を倒してから言って欲しい、ことを考えながら、綾香は葵との距離が大きく開いたのを見て取って、ハイキックを繰り出す。

 重心が安定しているとかそういうレベルの話ではなく、まるで最初からハイキックを打つために作られたかのような高い腰の位置から振り抜くように繰り出されたハイキックを、葵はスウェイしながら避けるが、こうも大きく距離が空いてしまってはハイキックの戻りに合わせて距離を詰めることも出来ない。何より綾香の蹴りの戻りが速過ぎる。ガードでもすれば綾香の動きを遅延させることも出来るのだろうが、ガードするだけでも完全に勢いの乗った綾香のハイキックは危険だ。今のほとんど綾香の意識が向いていないようなハイキックでも、淀みなく繰り出されたハイキックは、十分な距離を持って凶悪な威力になるのだ。

 考え事をして組み手にまったく集中していなくとも、綾香の身体は淀みなく動く。葵の身体も、綾香に合わせるようにそれと同じぐらいは動いていた。

 こうやって集中もせずに寺町など観察しているのは、まかり間違っても寺町に興味がある訳ではない。ただ集中できないから目立つものが目に入ってくるだけだ。

 そう、綾香は寺町になど興味はないが、寺町を見ると、どうしても無視できないものを思い出してしまう。つまりは、北条鬼一のことだ。

 練武館館長、北条鬼一。生ける伝説であり、すでに子供が二十歳であり、若いどころか老いていると言っていいぐらいなのに、今現在でも最強の空手家とまことしやかに囁かれる怪物。

 鬼の拳の異名を持つその天を突き刺すように構えられた両の拳は、今まで幾多の格闘家を倒して来ただろうか。圧倒的な威力、不可解とも感じれる制圧力、そして汎用性などという言葉をあざ笑って覆す驚異的な力技。はっきり言って、人類の枠に収まるとは思えない。

 鬼一というのも、何と本名であり、一体親は何を思って子供の名前に鬼などというあまりおめでたくなさそうな字を入れたのか分からない。まあその点で言えば魔よけや強い子にという意味であり得ないことでもないのだが、実際、鬼の名に恥じぬ怪物なのだ。

 まあ北条鬼一の親はともかく、自分に鬼の名がつくのに子供の名前に桃の字を入れる北条鬼一自身も大概ではある。ただ、鬼の自分を桃太郎のように越えて欲しい、という親バカの気持ちよりは、自分を倒せるぐらいになった方が自分が楽しいだろうという気持ちで付けられたのでは、とも思うのだ。何せ北条鬼一はあらゆる意味で規格外、普通の感覚で北条鬼一のことを考える方が間違っている。と綾香は自分のことを棚にあげて思うのだ。

 浩之を弟子に取りたいと言われたときにはそちらに気を取られてしまったが、後から考えれば、そんなあらゆる意味で規格外の北条鬼一が弟子を取る。これは驚くべきことであった。

 いやちょっと待って欲しい、北条鬼一は練武館館長、つまり一空手団体の長であり、それが弟子を取るのに何の疑問があるのか、と言われるかもしれない。

 しかし、それが驚くべきことと言われるのだ。それもこれも、北条鬼一が規格外であればこそだ。

 

続く

 

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