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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(149)

 

 実りのあるようでなかった散歩を終え、浩之は合宿所に帰ろうとしていた。と言っても大して遠くまで来た訳でもない、せいぜいゆっくり十分もあるけば着くだろう。

 修治と合ったせいで、思ったよりは距離が離れたが、海水浴場自体はそんなに広くはないのだ。長い砂浜とか歩道の設備が整っているので、ジョギングをするスポーツマンや部活の人間はいるが、海水浴場から浩之は少しだけ離れていたのだ。もちろん修治を人が多い場所に置いておけなかったからなのだが。

 その修治は、不機嫌さはさすがに消しきれなかったが、浩之と話して少しは気が紛れたのだろう。目が合ったら殺すという状態から目が合ったら殴るぐらいの程度に落ち着いてから帰っていった。いやそれを落ち着いている、と感じてしまう辺り、浩之が悪いのか、先ほどの修治の状態が酷すぎたのか。

 ……いや、確かに俺もどっかおかしくなっていってるなあ。

 目が合ったら殴る、など普通の感覚ではおかしいを通り越して、さっさと警察に通報するレベルの話だ。最近は、マスカレイドにも関わってしまったのもあって、そういうものに抵抗を感じなくなってきているのだ。いや、もちろん浩之はそんなことはしない。しないが、相手が腕力にものを言わせて来たときに、躊躇をすることはないだろう。

 腕力にものを言わせる相手が悪い、と言われればそうなのだが、この平和な日本で生活していれば、殴る殴られること自体がまれなはずなのだ。

 坂下が悪漢に狙われているとか、ほんとここは日本かよ。

 そう思ってはいるが、ただのつっこみであり、異常だとは思わない。それが日常に近くなっているのだ。

 どこから狂った、とは思わない。それでも、もし狂った最初の瞬間があるとしたら、それは綾香と初めて会ったときだろう。

 人間には見えない、か。

 修治の強さは本物だ。今まで浩之が見た中でも、ほとんど一二を争う強さだ。浩之から見れば、修治と雄三は戦いの結果で雄三の方が強いことは分かるものの、それがなければ二人の強さの違いなど分からない。

 浩之は、他人からどう言われたところで一般人だ。何かのスポーツをやっても大成などはしない、と当たり前のように考えている。それについては、色々と反論したい人間もまわりには多いのだが、浩之の認識はそうだ。

 修治や雄三に関して言えば、人間じゃない、と実際に思う。そもそも、人間が鍛えただけであそこまで行くことの方がおかしい。人は簡単に跳ね飛んだりしないし、人の身体はあんな風に動けたりはしないと思うのだ。

 ああいうものを見せられれば、確かにあの二人は人間じゃないと思う。まあ二人は二人とも自分のことを普通と主張するが、そんな訳がない。実に分かり易い、見て分かる「強さ」だ。

 その修治が、人間には見えないと言い切る。

 それに比べれば、浩之の一番近くにいる、一番危険なそれは、目立たなかったのだろうか?

 初めて綾香と会話したときのことも、もちろん覚えている。しかし、あのときは、そんな怖いとは思わなかった。危険度で言えば最悪と言っていい綾香からは、親しみぐらいしか感じなかったのだ。

 まあ、最初から物凄い可愛いとは思ってたけどな。

 あの出会いがなければ、いや、そもそも出会ってですら、どこかでボタンを掛け違えていれば……違う、ボタンを正しくはめていれば、こんな場所で散歩していることもなかったはずなのだ。浩之が自分一人でエクストリームに出たいと思うことなどなかっただろう。

 そういう意味では、一体俺はどこで間違えたんだろうなあ。

 最初に狂ったのは綾香に会った瞬間だが、その後のこととなると、綾香一人に責任を押しつけるのはいささか心苦しい。浩之だって、自分から積極的に動いている自覚はある。

 その最大の原因が綾香にあるとしても、目指しているのは、浩之本人なのだ。

 そして、今なら分かる。確かに、綾香は人間ではない。生物上は人間だろうが、すでにその枠でははめきれなくなっている。

 いや、と浩之は自分のことながら苦笑した。

 その怪物相手に、勝ちたいと思っている自分は何なのだろうか、と。

 それを、恋、というのは異常だと思う。いや、情はある。おそらく、今浩之が何を除いても一番心揺さぶられるのは綾香だ。しかし、それに愛や恋という名前をつけるのは、間違っている気がするのだ。

 ただ、間違ってはいけない。確かに、愛や恋と一緒にするのは間違っていると思うが、綾香が人間には見えないとは言わない。特に見事な胸とか素晴らしいふとももとか綺麗な唇か、そういうのはどう見たって単なる美少女だ。

 ……いやいや、それでもあの場面はさすがに、なあ。

 逃げ出した浩之が言うのも何だが、もったいなかったとは思うのだ。あれが一人ずつであったのなら、いくら相手が怖いとしても、健全な男の子である自分が耐えられたとは思っていない。

 浩之は色々な部分で才能に恵まれているが、男女間での危機管理の部分はちょいと怪しい。その浩之をもってあの状況はまずいと思ったのだから、確実に死亡フラフだっただろう。

 危機を察知した浩之が逃げたのはいい。だが、それで危機を乗り切ったと思うのは、いささか甘いようにも思える。

 物思いにふけっている間に、浩之は合宿所にたどり着いていた。今のところ練習が出来るほどには回復していないので、別にこのまま部屋に戻って休んでもいいのだが、道場の方に顔を出しておいた方がいいだろう、と考えたのが間違いの元だった。

 試合場に顔を出すと、組み手の練習中だった。綾香と葵も組み手をしていたが、それに声をかけるまでもなく、浩之は道場に入ると、指導というか見学している坂下に近づこうとして。

 いきなり、場の空気が凍った。

 何事か、と坂下の方を見ると、坂下は苦笑している。坂下が苦笑しているということは、何か自分が悪いことをしたのではない、と浩之としては思いたいところなのだが、背筋に寒気が走っているおは何故なのだろうか。

 その答えは、苦笑する坂下の視線の先にいた。

「おかえり、浩之」

 そこには、汗のしたたる顔にとろけそうな笑顔を浮かべた綾香がいた。ただし、外見だけならばともかく、まわりの空気が凍るぐらいの圧力が内から出ているのはいかがなものかと。

「あ、ああ、ただいま」

 いつもの綾香だ。それはもう、いつもの怖い綾香だった。先ほど逃げたのを、かなり根に持っているのかもしれない。

 そして、綾香は有無を言わさなかった。

 浩之が躊躇というか次の行動を決める前に、浩之を胸に抱き寄せたのだ。

 汗の匂いと、汗でしめった道着の感触と、恐ろしいほどに柔らかい感触を感じて、うれしかったのはそこまでだった。

 ギリギリギリギリッ

「いだだだだだだだだっ!!」

「駄目じゃない、ダメージが残ってるんだから、歩き回っちゃあ」

「いやそれは綾香だってさっき納得してたってか痛い、まじで痛い!!」

 技ではない、力まかせに浩之の顔をつぶそうとしているのだ。胸の感触とか言ってられるような状況ではない。というか痛みで意識が飛びそうだった。何か特殊な締め方とかあるのだろうか?

 あ、まじで意識が……

「大丈夫、動けなくしてからちゃんと看病してあげるから」

 さすが綾香、マッチポンプのやり方が酷すぎだった。

 日頃の綾香ならば、殴ったり締め上げたりすることはしても、ここまではしない。浩之がいいタイミングで逃げたのが悪いのだ。悶々とした気持ちのまま色々と考えていた結果、変なテンションになってしまったのだ。

 役得とも言えないでもないが、まあ多くは、自業自得だった。

 でも、これって俺が悪い訳じゃない……と最後まで心では抵抗しながら、浩之の意識は遠のいていった。

 

続く

 

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