作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(151)

 

「いや、いくら綾香だって、さっきぼろぼろだった人間に、さらに追い打ちをかけてくるとは思わないだろ?」

「そういう中途半端な態度で綾香と付き合うのは、私から見れば立派な自殺行為だと思うけどねえ」

 浩之の無駄な抗議、何せ抗議を言うべき相手が目の前にいないのだ、無駄以外の何物でもない、を坂下は一応聞いてやる。まあ聞いてはやるが、同意はしない。綾香が危険であるのは坂下にとってみればもう今更の話なのだ。そこで綾香に攻撃するチャンスを与えた浩之が甘い。

 綾香から思わぬKO二連発を食らった浩之だが、浩之としては自分が悪いとは思えない。とは言え、全面的に綾香が悪いというと実際のところは微妙なところだ。これで浩之が空気を読んでいれば、惨事は起きなかった……別の惨事が起きた可能性は非常に高そうであるし、それはそれでそれこそ致命的な、本当に命に関わるぐらいの、ことになっていたかもしれないので、このKOは惨事回避の結果とも言えるだろう。

 一番悪いのが誰なのかは置いておいて、浩之としてはこれ以上のダメージは免れたいところだった。練習に来ているのに、別のことでダメージを溜めていたのではお話にならない。

「そりゃ坂下ならそれでもいいけどな。何度も言うがな、綾香相手に警戒したからってどうこうできる訳ないだろ」

 浩之はぐりぐりと野菜を鉄串に通しながら口をへの字に曲げる。

「うーん、それには色々と私としては反論したいところなんだけどねえ」

 華麗に、とまでは言わないものの、そこそこ慣れた手つきで野菜を切っていく坂下としては、浩之の言い分を完全に認める気はなかった。

 浩之が自分の実力をどう見ているかは知らないが、確かに、浩之の実力は上がって来ている。今回の合宿では綾香の攻撃をほとんど避けられていないような気もするが、あそこまで身体をいじめ抜いている状態でまともに動ける方がどうかしているのだ。KOをうけた御木本と同じぐらいのコンディション、ということは、普通ならばすでに意味のある練習を遙か昔に越えているはずなのだ。オーバーワークはむしろ弱くなる原因なのだ。

 しかし、浩之はそんなオーバーワークを続けて、そして伸びている。いつかどころかすぐにも身体が壊れるのでは、と坂下などは思っていたのだが、順調に、というか明らかにおかしいスピードで成長する浩之を見て、坂下は少なからず危惧するのだ。

 いくら才能があるからって、伸びが速過ぎる。浩之はすでに冗談で綾香の放つ攻撃を、避けられるようになっているのだ。遊び、と言っても綾香は当てる気で放っているのだ。素人が避けられるような冗談じみたものではないのだ。すでに綾香の冗談は、人が冗談として許容する範囲を超えている。威力に関しては手加減が出来るからまだいいが、避けることなどまず無理。それをこの短期間で避けられるようになっているのだ。

 一体、どんな練習をすればこうも成長するのか、坂下としても聞いてみたいものだと思う。しかし、反対に意味もないだろうとも思う。

 浩之の才能は素晴らしいの一言に尽きる。坂下にしてみれば、悔しさ以外の感情が生まれて来ないほどの才能だ。才能のない、どう言われようとも坂下は自分の才能というものは見限っている、自分では同じことをしても伸びはしまい。

 坂下は断言する。浩之は、綾香相手に警戒して、どうこう出来るだけの実力を、すでに手に入れている。

 末恐ろしい、というのはこういうことを言うんだろうねえ。

 それでも、浩之に負ける気がまったく起きないのは、坂下にもプライドがあるからだろうか。まあその点に関して言えば、浩之だって坂下には一生勝てないと認めそうだが。

「まあ、女の子に抱きしめられて気絶できるのですから、殿方としては喜ばしいことなのでは?」

 柔らかい笑顔で呑気に、ただし決して穏便ではないことを、初鹿は浩之と同じく鉄串に野菜を刺しながら言う。

「いや勘弁してくれよ、初鹿さん。気絶する身にもなって欲しいんだが」

 綾香の胸は素晴らしい。他ももちろん素晴らしい。ただ抱きしめられるだけならば、浩之だって一も二もなく喜ぶだろう。が、あんな痛い思いまでしてはその感触を楽しむことは出来ない。触っている感触よりも痛みの方が遙かに上回っては意味がない。

「ふふふ、すみません。さすがにそれは一方的な言い分ですね」

 柔らかく笑う初鹿は、まあこれだけ見れば上品なお嬢様、という感じだし、慣れない手つきでバーベキューの準備をする姿も、それはそれで微笑ましいとも取れる。

 これで中身、いや外見か? を知らなかったらもっと素直に見れるんだろうけどね。

 マスカレイド、元無敗の一位、チェーンソーの中身がこんな上品なお嬢様だと、誰が思うだろうか。まあむしろこの上品なお嬢様が寺町の姉であることの事実に比べれば、その程度驚くにも値しないか。

 三人で夕食の準備な訳なのだが、一番の戦力である鉢尾は一人でせっせとおにぎりを作っており、戦力外のサクラは「自分が手伝うと食べられるものも食べられなくなる」と言って手伝いを拒否、健介をいじめるもとい健介の勉強を監視する仕事をしている。

 まあ、それならそれで四人でおにぎりを作って、それから四人でバーベキューの準備をすればいいじゃないかとも思うかもしれないが、鉢尾と坂下以外は戦力外通知を受けており、串に材料を通すぐらいしか許されなかったというのが実情だった。いや、小器用な浩之ならば少し練習すればすぐに出来そうなものだが、別に浩之も一生懸命しようとは思っていない。ダメージで練習ができないので、手伝いをしているだけなのだ。

「でも、他に料理が出来る人間がいないのは分かるけどさ、坂下が練習監視しなくていいのか? 先生、あんまり頼りになりそうにないんだが」

 先ほど顧問の先生が帰って来たから坂下が料理を手伝いに来たのは分かる。しかし、見たところ、顧問の先生は積極的に指導をするタイプには見えない。というかそもそも空手をやっていたのかどうかも怪しい。池田と、もう一人先ほど手伝いに来た空手部の先輩が練習を見ているが、正直寺町の相手で精一杯なような気がする。空手部員達は決して不真面目ではないが、監視がないところで延々と続けられるほどの根性はないような気もする。

「あー、まあいい加減集中力切れてるところだろうねえ」

 休憩や試合の観戦などでぶっ続けで練習をしている訳ではないが、それでもけっこう厳しい練習を長い時間続けている。疲労も溜まって来ているだろうから、集中力が切れるのも当然だろう。

「ま、それぐらいで根気を切らせるようなことはないよ。少なくともうちの部員はそうだし、あっちの部員もやる気は高そうだしね」

 あれで、ちゃんと寺町が指導をすれば言うことはないのだが、そんなものを寺町に求める方が間違いなのだろう。

「そんなもんか。俺なんかは監視の目がないとついついさぼっちまうがなあ」

 どの口が、と坂下は思ったが口には出さなかった。そんな中途半端な男が、ここまで身体を酷使する訳がないではないか。むしろ部員に見習わせたいぐらいの集中力だ。

 ……いや、こんなもの見習わせたら、部員がすぐにつぶれちまうね。

 それが出来るのも、浩之だからこそ、だ。一緒にしては駄目だろう。坂下も、部員にはそんな無茶は求めない。自分だってそんなことは出来ないだろう。

 あと、浩之は一応空手部の練習のことも気にかけてくれているようだが、それを言うと、浩之の存在が一番集中力をかき乱す。部員の何人か、少なくともランは集中力が欠如するし、そうでなくとも綾香と葵と浩之の組み合わせは目立つのだ。

 さらに、綾香と葵の集中力もなくなる。まあ、この二人は先ほどからまったく練習に集中していなかったから、今更なのだが。

 夕食の準備、というのはもちろんあるが、坂下がこうやって手伝いをしているのは、浩之をこちらに連れて来るための方便という意味合いが大きかった。ちなみに、初鹿のことは呼んでいないので、初鹿がどういうつもりで手伝いをしているのかは知らない。実際あまり役に立っていない。

 そう、初鹿も自分が役に立つなど思っていない。言わばカモフラージュだ。今夜のことを考えて、何かあると思われるのを避けるため、合宿らしい行動を取っているだけだ。

 いや、実際初鹿はけっこう楽しんでいるのだ。日頃料理などしない初鹿が、みんなとわいわい言いながら料理、それが簡単でもだ、をするのは、案外に楽しいことなのだ。初鹿がひねくれているのは間違いないが、普通に楽しめることまで楽しめない、というほど偏屈ではないのだ。

 そんなことはないだろうが、場合によっては初鹿が合宿に付き合えるのは今夜までの可能性もあるのだ、出来るだけ初鹿も楽しんでおきたいと考えていた。

 今夜まで、と言うのはもちろん負けるという意味ではない。やりすぎて事後処理に終われる可能性があるのだ。マスカレイドは、やるとなればそういうレベルでやるのだ。

 そして、初鹿はそのときに躊躇などしない。

 そんなことは初鹿はおくびにも出さない。そして、出さない以上、坂下だって気付けるものではない。まあ、気付いたところで、気をつけろぐらいしか言わなかっただろうが。坂下は、初鹿ととくに仲良くしている訳ではないが、初鹿を信頼している。

 全力をもって戦い、実力をもって勝ったからこそ、その強さを信頼できるのだ。

「少なくとも、健介が勉強をさぼる以上にさぼる部員はうちにはいないよ」

「いやそれは末期だろ」

 ネタにされた健介には悪いが、坂下達はおかしそうに笑った。そこだけ見れば、実に平和な光景だった。

 今夜、まったくもって平和ではない暴力をもっての話し合いが行われるとは、少なくとも浩之は思ってもいないだろう。そして、今夜のことに関して言えば、浩之も坂下も関わることはない。

 そして、それでも問題など起きる訳もない。チェーンソーの鎖をもってして倒せない相手など、そうはいないのだから。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む