作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(154)

 

 来栖川綾香も松原さんもかなり早めにお風呂から出てしまったので、出遅れた、と思っていたのだが、チャンスは案外簡単に私の手に転がりこんで来た。いや、チャンスと言っても、単に二人で話る時間が取れそうなだけなのだが、私にとっては何物にもかえがたい時間だ。

 外に出ると、浩之先輩が一人でそなえつけのかまど(もちろん薪か木炭を使用するタイプ)に薪をつんでいたのだ。

「浩之先輩、一人でやっているんですか?」

「お、ランか。練習終わったのか?」

「はい、お風呂もいただきました」

「ん、じゃあもうちょっとでバーベキューの準備出来るから、待っておいてくれよ」

 今日の夜は外でバーベキューらしい。まあ照明器具もあるし、暑くはあるだろうけれど、外で食べるバーベキューというのは美味しいだろう。しかし、私は待つつもりはなかった。それは急かすとかそういう意味ではなく、浩之先輩の手伝いをすることだった。

「浩之先輩、手伝います」

「いいっていいって、練習で疲れてるだろ、休んでおけよ」

「……浩之先輩がそれを言うのはむしろどうかと思いますが」

 身体が壊れるのでは、と思うような練習、それは私がヨシエさんから受けた練習の比ではない、をした後で、ふざけてはいても実力はある御木本と試合をして、さらにその後で来栖川綾香から二回もKOを食らったのだ。空手部の中では比較的練習が楽だった私と比べて、私の方が疲れている、ということはないだろう。

「むしろ浩之先輩が休んでいて下さい。というか、他に手伝ってくれる人はいなかったんですか?」

「いや、空手部の練習が終わってるの知らなかったし、みんな疲れてるだろ? 坂下に手伝わせる訳にもいかないしな」

「ヨシエさんはそうですが……」

 来栖川綾香との死闘で大怪我をしたヨシエさんに手伝わせるのは確かに間違っている。その点に関しては私も同意だった。むしろヨシエさんは、あんな大怪我をして普通に動いて大丈夫なのかと思うぐらいだ。普通なら未だ入院しているレベルだと思うのだが。

「健介とかに手伝わせたら良かったんじゃないですか?」

「いや、健介はサクラさんの指導の下お勉強だ。俺もそっちの方がいいと思う。健介の名誉の為に胃っておくと、喜んで手伝おうとはしていたぞ」

「それはむしろそちらの方が不名誉な気が……」

 健介はとにかく勉強がしたくないだけだろう。まああれで色々と何でも出来る小器用なところがあるので、手伝えばそれなりに戦力になっただろうが。私も決して頭は良くない方だが、健介は頭のめぐりは私よりも遙かに良さそうなのに、どうしてあんなに勉強が出来ないのか分からない。

「とにかく、休む休まないなら、浩之先輩が休んで下さい。私は別にKOもされていませんし、いたって元気ですから」

 私には、浩之先輩一人に働かせて休ませるなんて選択肢はない。例え自分がきつくてもそうなのに、完璧に浩之先輩の方がきつい状況で自分が働かないほど、私は横着ではない。ただ、浩之先輩も女の子を、自分をそれの範疇に入れるのはいささか躊躇するものがあるが、働かせて自分が休むなんて出来ない人だ。

「まあ、そういうんなら、手伝ってはもらおうかな」

 案の定、浩之先輩は間を取ることにしたようだった。浩之先輩が半分とは言えすぐに折れたのは、私も言い出したら聞かない人間だと思われているのかもしれない。まあ、それは自分でも間違ってはいないと思う。度胸はないのに頑固なんて、どこにも美点はないけれど、私の性格が簡単に変えられるとも思っていない。

 しかし、先輩に気を遣ってもらって悪いけれど、私は手伝いたいのだ。もっと言えば、浩之先輩と話しながら仕事をするなんて、むしろ私にとってはそれ自体が報酬だった。

 私は置いてあった軍手をはめると、浩之先輩の手伝いを始めた。まあ、私にとっては悪い話だが、薪を組むなんてそう時間のかかる仕事ではない。すぐに済んでしまうだろうことが悔やまれる。私はこの降って沸いた幸運の時間を、少しでも楽しむことにした。つまり、何でもない話をすることにしたのだ。

「でも、浩之先輩本当に強いですね。御木本……先輩はあんなのですが、実力は本物ですよ?」

 話が終始格闘技の話になるのは、話せる共通の内容がそれぐらいしかないからだ。いや、そもそも私に話題の幅なんてないのだが。

 最初に浩之先輩を狙ったのでも分かるように、私の実力では、エクストリームの予選を抜けるような選手には歯がたたないだろう。ヨシエさんに鍛えられた今でも、多分無理だ。地の利を生かして戦えば何とか、とも思わないでもないが、強者にはそんな小手先の技が効果はないだろう。

 しかし、御木本、カリュウならばその限りではないだろう。普通に顔を隠さずに試合に出て、その実力を隠さずに出せば、運が悪くない限り、エクストリームには来栖川綾香のような怪物がいるとも知れないからだ、予選通過出来るだろう。

 浩之先輩は強い、というのは私がまったく相手にならないというレベルで強いが、御木本の方が、悔しいが強いと思っていた。しかし、ダメージがあったとは言え、御木本は浩之先輩に倒された。

 負けた上に健介に止めを刺された御木本に、ざまあみろ、と思うのはさすがに酷だ。負けることの悔しさを、私は良く知っている。ヨシエさんのキスがかかっていなかったとしても、浩之先輩に負けることが、御木本にとってどれだけ悔しかったなど、考えるまでもない。

「いやー、俺もまさか勝てるとは思ってなかったんだけどな。まあ、修治にKO食らってたみたいだしなあ」

 浩之先輩は、お互いがベストコンディションであれば勝てなかった、というニュアンスで言っているようだった。しかし、試合内容と結果、そして私の見立てでは、お互いがベストコンディションでもそう違った結果にはならなかったのでは、とすら思うのだ。

 練習でも戦った経験から言えば、御木本>浩之先輩だった。それが、どうしてこんなことになったのだろう。

「私としては色々と複雑な気分なんですが……」

 御木本はヨシエさんのキスで張り切っていたようだが、浩之先輩は来栖川綾香と松原さんにほっぺにキスしてもらえるからと張り切っていたのだ。いや、張り切っていた様子は出さなかったけれど、張り切っていたに決まっているのだ。

「え、あー、いや、ほら、結局殴られてうやむやになったしな」

「……どうだか」

 似合わない、と自分でも思う女の勘が浩之先輩が嘘をついていると言っている。じと目になるのが自分でも分かる。かわいくない顔が余計にかわいくなくなるとは思っても、止められるものでもない。

 別に浩之先輩を責める権利は私にはないのだけれど、これは権利とかそういう問題ではないのだ。しかし、こんな話をしていても、嬉しくないのは事実だ。いくら来栖川綾香がはっちゃけても、松原さんが止めてくれたと信じよう。

「……まあ、いいですけど。でも、浩之先輩はほんとに強くなってますね、うらやましいです」

「んー、俺としてはもっともっと強くなりたいんだけどな」

 来栖川綾香を目標に、いや、標的としている浩之先輩には、止まる暇などないのだろう。来栖川綾香に勝つには、私のような弱者の常識などにとらわれていてはおぼつかない。

 そうやって、浩之先輩は、際限なく進んで、際限なく強くなっていくのだろうか?

 そして、いつか来栖川綾香と戦えるまでになるのか。あの怪物のように。

「それはさすがに我が儘だと思うんですが」

 私は笑いながら、一瞬、背筋が凍った。際限なく強くなる浩之先輩の未来に、空恐ろしいものを感じたのもあるが。

 この楽しい時間を、一瞬忘れてしまうぐらいに、初めて浩之先輩を、怖く感じたのだ。

 それは一瞬のことだった。次の瞬間には、いつものやる気なさげだけれど優しい浩之先輩の姿しか見えない。そもそも、怖いと感じたこと自体、単なる私の妄想でしかなかった。

 しかし、それは私の頭にこびりつき、この楽しい時間を、素直に楽しめなくさせていた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む