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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(155)

 

「よし、みんな飲み物は持ったね」

 ジュウジュウと美味しそうな音を立てるバーベキューの串の前で、部員達プラス数名が坂下を中心にするように立って集まっていた。手にはプラスチックのコップに入れられたジュースやお茶がある。こういう場合の定番の紙コップではない。運動部で飲み物を飲む度に紙コップを使っていたのではどれほど紙コップがあっても足りないだろう。

 見た目は少し寂しいものがあるが、これは致し方ない。予算が豊富にある旅行ではなく、削れる場所は削っても何ら問題ない高校の合宿なのだ。一般的な高校生である部員達は、そんなことを気にする者もいない。もちろん、手にあるのがアルコール類でないのは高校生ならば当然を通り越して論ずる前の話だ。

「今日はお疲れ。明日一日あるけど、明日の午後は自由時間を突からね。がんばりなよ」

 歓声、はあがらなかった。まあそれも当然か。明日半日だけとは言え、多分その練習はこの二日の中でも最も過酷になるのは目に見えているし、その後で遊ぼうなどという体力が残っているとも思えない。だったらせめて午前中に遊ばせてくれと思っているのは一人ではないだろう。

 しかし、思っていても、直に坂下に反論する人間もいない。発言力の大きい部員はそもそもここに遊びに来ているのではないし、その他の部員は、まあ坂下に反論できるほどの度胸はない。

 それでも、皆安堵の顔を浮かべているのは、今日の練習が終わったことと、明日半日を乗り切れば終わりだと思っているからだろう。少なくとも、二日半のほとんどを消化したのは事実なのだ。

 それについては坂下も何も言わない。練習を厳しいと思うことは止められないし、一部の部員を除けば、この合宿を早く終えたいと思うのは致し方ない。

 坂下は決して皆の気持ちが分からないような人間ではないし、ついでに無意味な長話が好きなタイプでもなかった。話は早々に切り上げて、コップを上にかかげる。

「それじゃ、明日に備えて英気を養いなよ。乾杯!」

「「「「乾杯!!」」」」

 疲労が胃に来て、ほとんどの部員が食欲を無くしていたのは前までの話。練習がいくら厳しくても、身体はある程度慣れてくるし、そろそろ疲労がどうこうよりもエネルギー不足で限界になってきていた。つまり今の部員達は欠食児童並に食欲旺盛だった。

 乾杯が済むと、皆待ちかねたとばかりに、バーベキューの串やテーブルに置かれたおにぎりに手を伸ばした。

 バーベキューというのは単に肉や野菜を串に刺して焼いただけのものではある。味付けは塩かせいぜい焼き肉のタレぐらいのものだが、それでもバーベキューという場の雰囲気が思う以上に美味しく感じさせるものだ。おにぎりにしても、ただ形を変えただけであるのに、普通にご飯を食べるよりも沢山お腹に入るものだ。

 厳しい練習を終えて、汗も流して一休憩入れ、やっと落ち着いたからこそ、皆余計にお腹が空いていた。まずは皆しゃべることも忘れて口に運ぶ。

 一般部員でもそうなのだ。結局食欲を無くさなかった者はそれ以上にがっつくようにバーベキューやおにぎりを食べている。まあはっきり言えば寺町と浩之だ。

 寺町はともかく、浩之も大概だった。午後は休憩が多かったはずなのだが、身体を痛めつけた所為なのか、他の部員達よりも食欲旺盛だった。

 お腹はもちろん空いているのだが、他の人間よりは落ち着いて食べている綾香は、外でのバーベキューという形式をいたく気に入っていた。

「んー、安い肉のわりには美味しいわねえ。おにぎりもこういう形で出てくるのは珍しいし」

 けっこう失礼なことを言ってはいるが、綾香としては褒めているつもりだった。

 姉よりはよほど庶民的、とは言っても、綾香は生粋のお嬢様だ。そもそもバーベキューなどすることはない、屋外で何かするのならばそれ専用のコックなりがついてやるのが当然な世界で育って来たのだが、料理が出来ないのもむしろ当然とも言える、こういう庶民的なものがいたく好みなのだ。

「はい、美味しいです」

 葵は綾香とは違って、むしろ庶民の中の庶民、もっと小さいころは、家族連れでバーベキューとかも経験したことがある。そういう意味では一般的な楽しみ方が出来ているのだが、こちらは皆の勢いに乗せられてというか、がっつくほどではないが、食べるのに集中していた。まあ葵が人の話を聞いていないことはままあるので大した問題ではない。

「にしても、私も勢いに押されそうな食欲よねえ。ほら浩之、もっと落ち着いて食べたら? 足りないってことはない……と思いたいところだけど」

 綾香としては最初、作りすぎなのでは、と思ったものだ。バーベキューだけならまだしも、鉢尾が手早く作り上げたおにぎりもかなりの量だった。今までの消費量から見て、残るものと思っていたのだが、この調子ではその心配だけはなさそうだった。というか、足りない可能性すらあるかもしれない。

 浩之は、肉を喉にでも詰まらせたのかどんどん、と自分の胸を叩くと、お茶を飲み干し、ふうっ、と一息ついた。

「いや、ダメージ回復には食べるのが一番、ってのが俺の経験則なんだが」

「どんな経験則よ」

 もちろん意味がないとは言わない。しかし、そこまで必死になって食べる必要が、というか意味があるかと言われると微妙だ。

「でも見てみろよ。寺町も御木本も沢山食べてるだろ。あいつらも経験則か何か知らないけどそう思ってんじゃないのか?」

 修治にやられてKOされた二人が一番がっついているのは事実で、浩之はそれがダメージを回復させるためだと言っているのだ。

 寺町はまあいつでも食欲があるのでともかく、病院で一応の検査を受けて来た御木本、何とか夕ご飯には間に合ったのだ、も日頃ないぐらいにがっついている。綾香にはやけ食いにも見えなくはないが、浩之の持論を補強することも出来ないでもない。

「特に寺町は、そら、バカだけどさ。何か格闘技に意味のないことはしないような、いや違うか、格闘技に意味のあることを無意識にしてる気がするんだが」

「それは……何か否定できないわね」

 寺町は皆満場一致でバカと言われるが、しかし、こと格闘技においては天然の天才とも言えるほど正解を選ぶ。確かに意味もなくがっついていると考えるよりも、ダメージ回復のために栄養を取っていると考える方がしっくりいく。

「で、浩之、ダメージはいいの?」

「んー、まあ駄目と言えば駄目だが、いつものことだろ」

 健介ほど無謀ではなくとも、KOを何度も食らっている浩之としては、それに抵抗を感じなくなっているのも事実だった。正直、KOの一つや二つでどうこうなるものではないとすら思っていた。高い回復力と見ていても分からない根性がそう考えさせているのだが、ダメージについて軽く考える癖がついているのだ。

 綾香は少しまごまごしていた。それは非常に綾香らしくない動きだったが、浩之は気にはなりながらも、食事の方を優先させた。

 バーベキューの串が一本なくなるまで綾香は中途半端な態度で口ごもって、やっと浩之に話しかけた。

「……ねえ、浩之」

「ん? ……何だ?」

 何か改まった話でもあるのか、と浩之は口の中のものを飲み込んでから、綾香に向き直った。

「……ごめんね、ちょっと最後のはやりすぎた」

 浩之は正直、度肝を抜かれた。綾香は悪いと思ったことを悪いと認めないタイプではないが、正直浩之をKOするぐらい悪いと思っていない可能性すらあった。いや、今までの付き合いから、浩之にとってはその程度のこと、だったのだ。

 葵にきつく言われていたのもあったが、綾香も多少なりとも悪かったと思っているのだ。浩之が原因を作ったのは事実だが、それを自分の中で変にこねくりまわした結果、変なテンションになってKOしてしまったことには僅かながらも後ろめたい気持ちがあったのだ。

 言いづらかったのは、KOしてから時間が経っていたかだろう。正直、浩之はそう気にもしていなかったので、そう言うべきかどうか少し迷う。

「さ、あやまったあやまった。これで憂いないわ」

 謝っただけで、綾香は浩之の返答は待っていなかったらしい。まあそれは綾香らしいと言えば綾香らしいし、きっぱりとした、そして自分勝手な対応だった。

「できれば、KOは止めて欲しいもんなんだが」

「んー、保証はできないわねえ。浩之が私にそういうことをさせるってのもあるし」

 ですよねー、と浩之はがっくりと肩を落とした。

 

続く

 

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