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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(156)

 

 私は、もそもそとバーベキューを口にしていた。

 お腹はまあ空いている。他の人と比べれば、遙かに「適した」運動をしていた私は、今までもそう食欲を落とすことはなかったから、皆ほど酷く栄養を欲っしていないというのもある。バーベキューであれば、そもそもまずく作ることが難しいだろう。味付けは焼き肉のタレなので、失敗するなんてありえない。

 一応、これでも人並みには食べているのだ。他の人と比べて食べていない、というだけで、大きいお弁当以上は食べているのだ。

 それでも、その他に食欲がわかない理由を探すのならば、その一つは、分の横で中では三番目ぐらいにがっついている御木本の存在が邪魔だからだろうか。

 病院に行ったまま帰って来なければいいのに、夕食前に帰って来て親の敵のようにバーベキューとおにぎりを消費していく姿は、憎たらしいを通り越して殴り倒したいぐらいだ。というか、今なら自分でも殴り倒せるかも、いや、蹴り倒せるかもしれない。御木本がいくらゴキブリ並の生命力を持っているとしても、今ならばさすがに私の方が強いだろう。まあ、今倒したからと言って息の根を止めない限りは私に平穏など訪れないのだろうが。

 いや、例えそうであっても、私の気分は少しは晴れるだろう。例えば、ここで脇腹にでもつま先蹴りを入れれば、いかな御木本だろうと悶絶は免れないだろう。普通ならそんな隙はないだろうが、今は浩之先輩に負けて健介にとどめを刺された後だ、やってやれないことはない。

 と私が考えていたところに、ピタリ、と食べるのを止めて御木本はこちらを振り向く。

「何だ、ラン。食べないのか?」

 私の殺気に気付いたのだろうか。ありえない話ではない。性格も存在も邪魔でしかない男ではあるが、そうであっても実力は本物なのだ。いや、マスカレイドで戦って来たということは、試合よりもケンカに近いことの方が多かっただろうことを考えると、御木本の不意を突くのはなかなかに難しいのかもしれない。

「食べてますよ。というか話しかけないで下さい」

「おいおい、俺とお前の仲じゃねえか。そんな怖い顔するなよ」

 浩之先輩に負けたくせに、何故かいつもの嫌らしい余裕を取り戻していた。殺してやりたいと思うのはいつものこととは言え、話しかけないで欲しいものだ。

 この男相手に、情けをかける気持ちがまったく沸かなかったので、私はさっさととどめを刺すことにした。

「浩之先輩に負けたくせに」

 一瞬、ぴくり、と御木本は表情が凍るが、しかし、私の予想とは違い、すぐにいつものにやにやとした嫌な笑いを取り戻す。

「……何、頭でもおかしくなった?」

 口調がとげとげしくなったのが自分でも分かったが、それを止めることも出来なかった。私が不機嫌であるのにもかかわらず、御木本がどこか楽しげであったのが余計に腹に来たのだ。ヨシエさんの手前、一応は先輩扱いをしているのだが、まったく敬っていない私は、いくらでも御木本に対しては扱いを雑に出来るのだ。

 ふふん、と御木本は私を鼻で笑う。余計に腹が立つ。本気で殺してやろうかと思った。

「あのなあ、俺が今までどれぐらい勝ったり負けたりして来たと思ってんだ。一回や二回負けたぐらいでいちいちずっとへこんでられるかよ。それとも何か、お前は一回負けた程度で何日もうじうじやってるのか?」

 うっ、と私は言葉に詰まった。御木本に止めを刺すつもりで、私が痛いところを突かれたのだ。マスカレイドでの初めての敗北に、確かに私は何日どころではなく、何週間もうじうじしていた。いや、それを解消しようと努力はしていたが、実を結びはしなかった。正直、浩之先輩と出会わなければ、ヨシエさんの指導があっても、勝てたかどうか怪しいところだ。

 ただ、私としてはむしろ自分が死にたくなることだが、御木本は私に止めを刺すつもりなどまったくなかったようだった。まるで言葉を濁すように話を続ける。

「……ふん、勝ったり負けたりするのは仕方ねえだろ。そもそも、勝って必ず勝てるなんてのは幻想だなんて、強いやつと戦ってりゃすぐに分かるだろ」

 御木本、いや、マスカレイドの生え抜き、カリュウの言葉は、確かに言うだけの重みがあった。

 カリュウは、確かに常勝不敗の男ではない。マスカレイドの生え抜きであり、人気も高くはあったが、結局それはマスカレイドの創成期からいて、ヨシエさんに負ける前の三位が最高ということを考えれば、勝ったり負けたりしてきたのは調べるまでもないことだ。

 それを確実に強くなっていると表現するか、所詮は二流と表現するかは他人の判断に任されるだろうが、私は、悔しいことだが、確実に強くなっていると思った。カリュウのことは選手としてもそんなに好きでもなかったし、御木本にいたってはさっさと死なないかとは思うが、強い弱いで言えば、強いのは認めなくてはいけない。

 長く戦って来た、と言うのならば勝ったり負けたりは致し方ないこと。それこそ、無敗の一位、チェーンソー、初鹿さんが異常であっただけだ。さて、その異常に勝ってしまうヨシエさんは一体どれぐらいだと言う話はあるが……

 しかし、だ。私には理解出来ない。いや、そうやって負けを流すことはそれはそれで強さ、少なくとも私の弱さよりは上なのだろうが、御木本にとってはかなり大きなもの、まあぶっちゃけ勝てばヨシエさんのキスをほっぺにもらえたのだ。御木本にとっては何物にも代え難いご褒美のはずだ。

 浩之先輩に負けたのはそれは悔しいだろうが、ヨシエさんのほっぺキスと比べるとその意味は小さい気がする。それはもう、自分をかんがみるにだ。今ここで御木本を殺せば浩之先輩にほっぺキスしてもらえると思えば私ならやる。

 私のいいたいことを、多分殺すというところまで分かったのだろう、御木本はふんっ、と鼻を鳴らす。今の状態でも私には殺されない、と言っているようでむかっ腹が立つ。

「もちろんそりゃおしいけどだ。好恵の公認の下、あいつを半殺しの目に合わせられなかったのも、まあどうでもいいが悔やまれると言えば悔やまれるな」

 浩之先輩を半殺しとか、こいつ何様のつもりなのだろうか。いや、どうでもいいと言っているのは別に嘘ではなく、単なる私へのあてつけでしかないのだろうが。

「だけどな、頭が冷えて考えてみれば、今回は俺としてはむしろ大収穫だったしな」

「は?」

 浩之先輩に負けて健介にとどめを刺され、好恵さんのほっぺキスを逃したのに、それのどこにいいことがあったのだろうか。頭でも打って余計におかしくなったのだろうか。

「客観的に見て、あの野郎と俺が戦えばどっちが勝つかわからないだろうが」

 戦う前は絶対に勝てると思ってたけどな、と御木本はぼそりと本音をつける。いや、その点に関しては私も悔しいがそう外れていないことを考えていた。今は……万全であっても、正直、どちらが勝つのかは分からない。

「つまり、勝つか負けるか分からない相手と戦って俺が勝つ可能性ぐらいは、好恵がほっぺにキスしてもいいと思ってるんだろ? これが俺にとっての収穫でなくて何だってんだ」

 ……それは、盲点だった。いや考えてみれば確かにそうだ。ヨシエさんがほっぺとは言えキスしてくれる可能性がある、と思えば、確かに今回のことは御木本にとって大収穫だ。

「もちろん、好恵のことがなくても次は負けねえがな」

 その言葉が、御木本の本音だろう。浩之先輩の方にまったく視線を向けないのは、気にしていないとはとても言えない。負けたことを完全に流すには、この男もまた戦いに拘りすぎるのだろう。

「で、俺はいいが、ランは何であの野郎の近くに行かないんだ?」

「……」

 私は、その言葉がもちろん聞こえていたが、無視した。

「まー、あの怪物と張り合うのは骨が折れそうだがな。後輩の葵って子もかわいいしな。俺が女なら絶望してることではなるな」

 こちらの方では、御木本は私に遠慮するつもりはないようだった。私はおもむろに、御木本の脇腹に拳を突き立てた。蹴りを基本とする私にしてみると、威力はともかく、スピードに関しては会心の一撃だった。

 ゴッ!!

「ぐふっ、て、てめえ……」

 御木本が脇腹をおさえてうめいている姿も、私には写っていなかった。

 臆病な私は、自分の感じた怖さを看過できない。しかも、浩之先輩から感じた怖さは、一時的なものではない。そう、怖いと思うほどに、浩之先輩は凄い速さで強くなっているのだ。

 そう、これが単に他の相手であれば、私は恐怖を感じた時点で距離を取る。来栖川綾香に対するようなことは、やむにやまれぬ事情がない限りないのだ。

 そして、私は、やむにやまれぬ事情で、その恐怖を素直に受け入れられない。

 怖い、と思う。しかし、それでも、私は好きなのだ。浩之先輩が。

 

続く

 

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