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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(157)

 

 パチパチパチッ、と小さく弾けるような音と、部員達の笑い声が夏の夜に響いていた。合宿所の辺りには民家はなく、多少騒いだところで近所迷惑にはならないだろう。もっとも、坂下が目を光らせるまでもなく、空手部員達はらんちき騒ぎを好むような人間はまずいないので、騒いでいると言ってもたかが知れている。

 もちろん、大きな打ち上げ花火のような派手なものではなく、家族で楽しむような花火セットであるので、人に向かって打ち込んだりでもしない限り、騒ぎにもなったりはしないだろう。というかここで人にロケット花火でも打ち込もうものなら、かわりに顔面に拳を入れられること間違いなし、そんな命知らずはここにはいない。

 夕食を終わらせ、片づけを終えてから、花火を楽しんでいるのだ。これだけ見れば、夏の風物詩であり、微笑ましいぐらいだ。これが日中は厳しい練習をしていたのだから分からない。

 まあ、何が一番分からないかと言えば、この花火セット、買って持って来たのは坂下だというのが一番分からないところだろう。坂下に花火、と聞くとこんな平和な光景は考えられない。坂下に花火と言って似合いそうなのは、せいぜい夏祭りで花火をバックに柄の悪い連中をはり倒すような場面ぐらいだろう。

 坂下は練習は厳しいが、別に遊びが駄目と言っているわけではない。楽しむところは楽しむべきとすら思っている。花火も、その一環だ。夏の夜に皆と一緒と言って花火を思い付くあたり、少し古くさい気もする。このご時世ではゴミや火気の問題で自由に花火をできる場所も限られるし、ここでやってちゃんと後かたづけをする限りは、ベターな選択肢であることは確かだが。もちろん、ゴミの処理はちゃんとするし、当たり前のことだがバケツも用意してある。

 ただまあ、明日の自由時間に遊べるような体力は皆残っていないだろう、という坂下の心遣いであることに気付いた者も、数人いたりもする。まあそれに気付けるのはそれなりに余裕がある、他の部員と比べればだが、人間に限られるので、他人事と言えば他人事だ。

 とにもかくにも、綾香がいきなり浜辺に柄の悪い連中を探しに行ったりもしないし、寺町も空気を読んで、というかそもそも寺町は花火にまったく興味を抱かなかったらしく、すでに部屋で休んでいる。非常に面倒な人間が一人と、それについて行っている鉢尾以外は、部員は皆参加していた。まあ、こういうときに遊びに参加しない、というのは明らかな社会不適応者としか言い様がない。多少興味がなくとも参加するのが集団行動というものだし、何より仲間とこうやってどうでもないことをワイワイと楽しむのは、やっていることが何であれ、それはそれで楽しいものなのだ。

 何事も起こらず、暴走した綾香の次に面倒な寺町がおらず、部員達や顧問の子供達が笑いながら楽しむ花火は、実に和やかなものだった。

 だが、浩之はそんな最近とんと離れてしまった平和な光景を見て、平和だなあ、という感想を持つことができなかった。浩之はそれに参加しているわけではなかったし、むしろ正確には見てもいなかった。いや、目には写っているかもしれないが、頭には入っていなかった。

 綾香と葵が左に座り、右には非常に頑張ってランが座っていた。多少ぎこちなくはなっているものの、それはまあ別に何がなくともランが気さくに話を振るというのは想像つかないので問題はないだろう。しかし、綾香や葵の言葉も、ランが努力して話しかけている言葉も、浩之の耳にはほとんど届いていなかった。

 浩之は、合宿所の壁に据え付けてある長椅子に腰を下ろして、うとうとと船をこぎ始めていた。まだ寝てはいないものの、眠ってしまうのは時間の問題だった。こうなっては多少まわりが騒がしくとも、子守歌のようなものだった。

 それも仕方のないことだろう。この合宿では、浩之にとってもきつい練習が続いたし、御木本との試合はともかく、綾香の攻撃はその疲労した身体には厳しすぎた。疲労とダメージは浩之の限界ぎりぎりまでなみなみとつがれているのだ。むしろ坂下の言ではないが、溢れかえって浩之が壊れないのがおかしいぐらいなのだ。

 こんな状態でお腹一杯に詰め込めば、眠くならない理由がない。まだ寝る時間どころか、場合によっては家にすらたどり着いていない時間だが、身体は休憩を欲している。花火に興味がなかった寺町ではないが、あきらめて部屋に戻って寝るべきだったのだろう。しかし、浩之は寺町よりはよほど、それこそ一緒にするのが浩之に失礼なぐらいに、社交的だ。多少の無茶だと思っても、付き合いはいい。

 ありていに言えば、さっさと寝ろ、ということだ。今浩之に必要なのは休息以外の何物でもない。

 まあ、それで眠りこけてしまっては意味もないかもしれないが、浩之には意味がなくとも、他の人間には意味がないとは言わない。少なくとも、綾香や葵にとっては楽しいことであるし、ランにとってはこれだけでも忘れられない思い出になるだろう。

 浩之が眠そうなのを見て、ランも葵も声をかけなくなっていた。綾香は気にせずに声をかけていたが、浩之の返事は曖昧を通り越してすでに意味があるようには聞こえなかった。まあ、綾香が声をかけているのも、ここで寝るわけにいかない以上、浩之を起こすためにやっているのだから、嫌がらせ目的ではない。

 それに、綾香は綾香で皮算用もあったのだ。

 二人で夜の砂浜とか、少しはロマンチックなシチュエーションもあるかと思ったのに……これじゃどっちにしても無理ね。

 まあ半分とは言わないまでも三割以上は綾香のせいではあるのだが、綾香の皮算用がご破算になったのは事実だった。ここまで疲労している浩之を、一人だけ起こして夜の散歩するのは無理だろう。綾香だって殴って起こすという手まで使う気はない。それに眠いときは、殴られようが何されようが眠さは消えないものだ。何より、それでも目が覚めるぐらいの一撃を入れると、多分気絶する。

 そもそも、合宿で二人きりになろうとすること自体難しいのに、遅ればせながらやっと綾香も気付いていた。気付くのが遅すぎるだろう。合宿は基本的に団体行動なのだから、二人きりで行動などしないのだ。空手部と別行動を取ったとしても、葵がいる以上、三人で行動するのは当然だった。

 そんなに期待していたわけじゃないけど……

 と考えながらも、綾香は不満だった。この合宿が終われば、頻繁に浩之に会うことはできなくなる。浩之は遊ぶどころか、他のことを全て置いてでも練習をしなければならないだろうし、綾香だってエクストリームにむけて本格的な練習、一日フルに使うほどの、をしなくてはならない。二人の時間を合わせるのもかなり難しくなるだろう。どちらかの都合を無視すればいいが、綾香だって浩之の邪魔をしたくはない。自分の練習を削って? それこそ論外だ。勝つための努力を怠るなど、それはもう綾香ではない。

 浩之が悪いわけではないが、それでも隠しきれない恨めしそうな目を浩之に向けるが、鈍感さは一流としても危機管理能力で言えば非常に高い浩之も、ここまで眠気に支配されてしまってはその勘もさび付いてしまって、まったく機能していない。

 そのとき、ささやかだが、誰にとってかは別にして致命的な事件が起きた。

 浩之が、とうとう眠気に負けて眠ってしまったのだ。

 いや、それだけならばよかっただろう。暑い夏の夜だ、多分風邪をひくこともないだろうし、せいぜい蚊にさされてこまるぐらいだ。他に人もいるので、そのまま放置されることもないだろうから、心配は何もない。

 問題は、眠ってしまった浩之の身体が、右側に傾いたことだった。そこには、努力して浩之にそこそこ近づいて座っていたランの肩があった。

 浩之にもたれかかられて、ランは一瞬びくりと動いたが、その後は動かなくなった。訂正、顔は動いている。いつも不機嫌そうな顔が、分かり易いぐらい浮かれている。本人もそれに気付いているのか、何とか表情を変えないようにしようとしているが、それが成功しているようには見えなかった。

 綾香はそれにすぐに気付いた。さらに横に座っている葵はまだ気付いていなかったが、それも時間の問題だろう。

 何が問題と言えば、さすがの綾香も、疲労とダメージで眠りこけてしまった浩之を起こそうとは思わなかったが、しかし、ランの肩に浩之の頭があることを看過できなかったことだ。まあ簡単な言葉にすると嫉妬していた。

 やっと気付いた葵も、ちらちらと見るだけで、浩之を起こそうということは思いつきもしない。疲れて眠ったセンパイを起こそうとなど、葵が考えるわけもない。唯一救いなのは、葵は綾香と違って、こういうときに浩之にあたったりしないことだろうか。つまり綾香はあたったりするわけなのだが。

 ほんの十分程度の時間ではあったが、それは何よりも浩之にとっては致命的な時間だった。明日、綾香の態度がどうなるか分かったものではなかった。

 ただ、こうでもなければ、浩之ならば気付いたはずだった。その類い希なる危機管理能力と、天性の女ったらしぶりが見逃すほどに疲労していたのだ。

 この場に、初鹿とサクラがいなかったことを。

 

続く

 

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