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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(158)

 

 二つの影が、月明かりの漏れる林の中を疾走していた。ろくに地面も見えないだろうに、その二つの影はまったく速度を落とすことなく、林を抜け、目的の廃工場に向かっている。

 こんな暗い林道を迷わず進むなど、よほど土地勘があるのだろうか? いいや、二人はここを走るのは初めてだ。だが、この程度の林など、それなりの月明かりがあれば十分なのだ。この二人の空間認知能力は、暗闇の仲でも発揮されるのだ。

 ただ、初鹿に言わせれば、もっと近くまで車で近づけばいいではないか、とも思うのだ。そうでなくとも、わざわざ林の中を突っ切る必要もないと思うのだ。演出にしても凝りすぎであり、赤目の演出好きにも困ったものだった。付き合わされる身にもなって欲しいものだ。どうも、綾香に首をへし折られそうになっても、赤目はまったく懲りていないようだ。

 まあ、もちろん一応の理屈は分かる。こんな田舎、まあ本当の田舎と比べればよほど整っているとは思うが、の夜道をこんな二人が走っていたら悪目立ち過ぎるのも分かる。月がもっと暗ければ、光が当たらない限り細かい格好までは分からないから良かったのだろうか。いや、それでも気付かれればむしろ余計に騒ぎになりそうである。

 初鹿の格好は全身を覆うライダースーツにフルフェイスのヘルメットだ。これでバイクにでもまたがっていれば格好もつくのだろうが、そもそも初鹿はバイクの免許を持っていない。少し練習すれば乗れるとは思う、マスカレイドで一位を取る身体能力は何にでも応用が効く、が別に興味もない。興味がないということは初鹿にとっては本当にどうでもいいことである。

 そして初鹿の後ろを走るサクラも大概な格好だ。胸が大きくはだけるような服の癖に、手足は白いスーツで覆われている。というか暗闇の中では逆に目立ちすぎる。何より、その格好に顔を隠すマスクは、どう見たところで女子プロレスラーか芸人だ。

 もしかして、サクラさんがいなかったらもっと隠密行動が楽なのでは……

 その考えも一度や二度目ではない、そんなもの今更だ。しかし、格好が派手なのはむしろ当然かもしれない。ケンカとは言え、路地裏でこそこそとやるのではなく、路地裏で大がかりにやっているマスカレイドには、選手の個性というものは大切だ。異様な格好でも地味なチェーンソーは、むしろ少数派となる。サクラに、いや、イチモンジに地味にしろ、というのがお門違いですらある。

 もっと遅い時間に出ていれば、相対的に人に会う可能性も減って大丈夫とも言えるかもしれないが、深夜にこんな二人が歩いていたのでは通報は免れないような気もする。

 それに、派手であろうが地味であろうが、お互いがお互いに罵り会えないほどに、どちらとも表だって前を歩けないものを手にしている。

 チェーンソーは黒光りする一対の鎖、イチモンジは今時お土産やにすら置いてなさそうな木刀。

 良くてレディースのカチコミぐらいにしか見えない。そして、格好はともかく、そんなぬるいものではないことは、二人から発される殺気から明らかだった。職務質問されるどころか、その場で逮捕されても文句は言えない。時と場合を考えていない格好をした者がいれば、治安維持のために逮捕することも可能なのだ。初鹿もまさか自分が時と場合に合った格好をしているとは思っていない。いや、むしろ問題なのは、それが合うような場所に向かっていることだろう。武器を隠しておけば? バカな、すぐに取り出せない武器に何の意味があると言うのだ。まあそう考えてしまう辺り、自分がおかしいことを初鹿は重々心得ている。

 鎖を鞄の中にしまうぐらいならば、水着で腕に巻いていた方がよほど頼りになる。もちろん、並の相手には素手であろうと遅れは取らない、ただ逃げることだけを考えれば、素手で綾香や坂下とだってやり合える、まあやり合わないわけだが、自信すらあった。そして、あればあったで使うのを躊躇しない。

 浩之のいる目の前で、質の悪いナンパ男達を鎖で防衛とは言えないレベルに痛めつけるのに、何の躊躇も感じない。初鹿はそういう部分を自覚しているし、そのスイッチを誰知ることなく切り替える術を持っていた。

 愚弟愚弟とは言うが、自分が寺町の、弟のことを悪く言う権利はないとも思っている。この弟ありてこの姉ありなのではない。この姉ありてことの弟ありのことを、初鹿はよく知っている。そしてそれを負い目とはまったく感じない。

 格好は異様で能力も異能ではあれど、それはこのスーツとヘルメットで姿を隠しているからではない。それをすることなく、ただただ初鹿は異常なのだ。チェーンソーの格好をして、そのように演技することもできるが、しかし、本質どころか、表皮すら変わりはしないのだ。

 ま、その程度のことは、愚弟ですら分かることですが。

 悩むことでない、ただそうあることに疑問を感じるほど初鹿は暇でもなければ思慮深くもない。ただただ目的のために人を殴ることを躊躇しないし、それを変えようとも思っていないことだ。

 目には目を、歯には歯を。そんな言葉は甘い。バカは同じ痛みでは気付かない。痛いだけで、ただ逆恨みを増やすだけだ。やるならば徹底的に、それこそ顔を見るだけで逃げられるぐらいに、できれば顔を見られる機会すらできないほどに徹底的にやってしまうべきなのだ。

 その目的とすれば、この二人の組み合わせは、いつもならば一番正しい。

 御木本と名乗っているカリュウが、教えてもらうまでもなく一発で分かったし、初鹿にとってみれば御木本は御木本という名を知るよりも遙か以前からカリュウなのだ、坂下の害になるアリゲーターを何の慈悲もなく病院送りにしたのだって、初鹿の目から見れば甘い。案の定、アリゲーターの報復を許すところだった。もっとも、本気になった坂下があの程度の相手に遅れを取るとも思えないが。

 相手を選ばなければならないのだ。アリゲーターのゲス具合は、カリュウの攻撃では甘過ぎる。坂下が壊したようだが、それも坂下だからできることで、誰にでもできることではない。

 だから、チェーンソーとしてやれることは決まっている。抹殺だ。まあ今まで死人は出ていない、運ではない、そう手加減しているのだ、ので殺すというのは嘘だが、まあそう思われるぐらいには、やる。

 武器をマスカレイドの試合としてでなく人に向かって全力で振り切れる人間はマスカレイドですら貴重だ。まあ初鹿だって全力は出していない、全力を出せば指や鼻やその他色々なものが吹き飛ぶ、全身黒ずみになるような内出血とどっちが嬉しいかは知らないが。

 そして、相手にそう思わせるほどに苛烈な攻撃を繰り出すこの二人は、抑止力としては正しい。使わないことこそ抑止力など、甘い。しかしあくまで見せつけるだけの暴力だ。初鹿が殺すべきと考える相手とは、今のところ出会っていない。まあ死んだ方がいいと思う者は多岐に渡るが。

 その頼もしいサクラ、イチモンジであるのだが、正直、今だけではあまり当てにできない。

 やはり、いつもの覇気がありませんよねえ、サクラさん。

 このお昼からサクラの調子がおかしかった。まあ有り体に言ってしまえばそれは浩之の兄弟子を名乗る修治のせいだ。しかし、本当に修治のせいなのか、初鹿にも判断ができない。けっこう間違われることも多いが、初鹿は人の心が読めるわけでもなければ、何でもできる天才でもない。まして、人の機微を測るなんて同年代の女の子と比べてまだましな程度だ。まだましなのを程度と言ってしまう辺りどうかとも思われるが、特別優れているわけではないのは事実だ。

 初鹿には、サクラが何を言っても上の空のようにしか見えないのだ。人当たりがいい、というか誰に対しても馴れ馴れし過ぎるサクラだが、木刀を持って対峙したサクラには、人なつっこさの一つも見つけることができないのだ。

 サクラは言うまでもなく、初鹿とは違う。格好らしい格好をしなければ、まだまだサクラは凶悪とは言えない。まあそれ用の格好、今がそうだ、をすればそれはもうチェーンソーに負けず劣らず苛烈ではあるのだが。

 それが、今はせいぜいカチコミをするレディース程度の殺気しか纏っていない。チェーンソーであれば瞬殺できるぐらいの脅威しか感じないのだ。

 ……まさか、本当に恋煩いとかではないですよね?

 恋煩いではなかったとしても、悩んでいる可能性は否定できない。いや、絶対に何かあるのは間違いない。

 もし、恋煩いであれば、そうした方が話は早いのだ。心に決めた相手でもいない限り、いやいたとしても、サクラの胸に誘惑されて落ちない男はそうはいまい。幸い、そんなにもてる方でもなさそうなので、好きならさっさと落とせばいいのだ、そう考えてしまう辺り、初鹿は機微が分からないと言われても仕方のないことだった。

 しかし、そうでないのならば。

 初鹿が、最初に異能の技を見たときのように、弟が、話のように北条鬼一の拳に魅せられたように、サクラは、あの自分ですら勝てるかどうか分からないような男の強さに何かを見出してしまったのかもしれない。

 それは、それでいいことだ。興味がないよりもあることが多い方がいいに決まっている。それが自分の人生を狂わせるほどのものであればなおさらだ。

 まあ、それはそれとして、ちゃんとお仕事はして欲しいのですが……多分、大丈夫でしょう。

 何の根拠もなく、初鹿はそう思っていた。それは根拠ある自信ではなく、ただ根拠のない話で、サクラが遅れを取っても気にしないということを意味する。

 一人でも仕事はこなせるし、サクラが酷い目に遭ったとしても、初鹿の知ったことではない。お互いに、そう思って来たからこそ、二人は長く付き合えているのだ。これを友人とは、正直、言えば皆が大きく頷くぐらいの厚顔である初鹿であっても、言えなかった。

 まあ、知り合いとして。

 それが人生を揺るがす出会いであったとしても、単なるどこにでもある恋煩いだったとしても、うまくはいってもらいたいものだ、とは思っておくことにした。

 

続く

 

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