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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(160)

 

 二人は、音もなく廃工場に入り込んでいく。ただ足音をたてないだけでも凄いが、初鹿にいたっては腕の鎖をジャラリとも鳴らさない。それはバイオリンケースに入れて音もなく持ち運ぶよりも初鹿にとってみればよほど簡単だった。

 廃工場自体は入り組んでいない。というよりも、何部屋か事務所や休憩室に使うような部屋がある以外は、重機を入れることができるほどの高く大きな鉄の扉の中に、部屋が一つだけのはずだ。二人は、何も迷うことなく、それが行われている場所にたどり着いた。というよりも、大きな扉の横にある勝手口から入れば、そこですぐに行われていたのだから、探す必要すらなかった。

 一般人と比べるとかなり恵まれた体躯を持った二人が、常人では目でも追えないほどの速度で拳や脚を繰り出していた。もちろん、ここにいる二人は一般人でも常人でもない。しかし、余裕であの攻防の中に入れるか、と言われると首を振っただろう。

 片方は、190も近かろうという長身の男だった。しかも、身長が高い者に多い愚鈍な動き、体重が増えるので動きが遅くなるのは当然だ、は一片足りともない。せいぜい二十歳ぐらいの年齢だろうか、若さと、生まれ持った天性の才能と身体的ポテンシャルを持って、おそらくは今までケンカでは無敗だったのだろう。怖い者知らず、というか自分が一番強いという、自負ではなく自信が見ているだけで透けて見えそうだった。その体格と、それに見合う以上の実力があれば、腕力で何かを黙らせるぐらい簡単にできるだろう。

 この男は強い。自身戦わなくとも、二人が分かるぐらいなのだ。分かり易い強さとも言う。まあ、赤目がよこした資料にも書かれていたここのリーダー、つまり坂下を狙っている、らしい、本人のようだ。

 今まで、おそらくはケンカで一度も負けたことはないだろう。初鹿の想像だが、成長期がいつ来たか知らないが、中学生、下手をすれば小学生のときですら身体を動かすことでは誰にも負けなかったのだろう。

 マスカレイドに来ても、一発で十位以内に入る、そういう類の怪物だ。多分、本格的に格闘技を習ったことはない、動きを見れば分かる、しかしそれは効率が悪いというわけではない、才能というものは、地力でそれなりの真理にたどり着いてしまうのだ、だろうが、本格的に何かスポーツをしていれば、一角の人物になれたかもしれない。

 だが、その男はここで自分の我が儘の通る世界で満足した、それだけの話なのだろう。いや、もしかするとただ外があることを知らなかっただけかもしれない。しかし、マスカレイドの話がどこから広がったか知らないが、胃の中の蛙が興味を持つには十分な内容だろう。

 十位以内には確実に入る。もしかすると、カリュウぐらいは倒すかもしれない。ただまあ、初鹿は自分が負けるとは一片すら思えなかった。それはサクラも一緒だろう。今まで、どれだけ才能にかまけた相手と戦って来たと思っているのか、それを飛び越えるような怪物はいない。格闘技のかの字ぐらいしか知らない相手であれば、綾香と同じ才能があったとしても、初鹿に負ける要素はなかった。

 まして、どれだけケンカ慣れしていようとも、チェーンソーとイチモンジが同時に攻撃して耐えきれるわけがない。一対一? それこそバカらしい話だ、マスカレイドは質で持っているとは言え、だからと言って数で勝負していけないという法はないだろう。まして、相手はゲスだ、躊躇する理由はこれっぽちも思い付かない。

 まあ、その点で言えば例え相手が好青年であろうとも、必要あらば躊躇などしないのだが……

 それよりも、初鹿が興味を引かれるのはもう一人の方だ。

 初鹿が興味を引く、ということは、それはつまり初鹿の目にかなった、どんなベクトルかはともかく、人物ということになる。初鹿に興味を持たれた、というだけで、その人物のうさんくささは跳ね上がるだろう。

 また困ったことに、今回のターゲットと戦っている相手は、うさんくささで言えば間違いなくうさんくさい。今の初鹿とサクラほどうさんくさい。というか、そのものと言ってすらいい。

 180を越える、日本人離れした長い手足を持つ、女性。束ねられても分かる豊かな金髪、染めているのか地毛なのかはさすがにこの暗闇の中では判断できない、が何とフルフェイスのヘルメットから下に流れている。そして、黒いライダースーツはまさにチェーンソーそのものだった。

 サクラは何か言いたげな目で初鹿の方を見るが、初鹿は首を横に振った。当然だ、いくら格好が似ているとは言っても、フルフェイスのヘルメットとライダースーツを着れば誰でも似たようなものになる。少なくとも、これは初鹿のあずかり知らぬところだ。

 その人物は、女性離れした身長もさることながら、元来は手足が伸びれば針金のようになるか横に大きくなるかのところを、引き締まったままそのリーチを全十に使いこなしている。葵などと比べれば、それはもう小人と巨人ぐらいの差を感じるかもしれない。

 そして、ライダースーツを押し上げる豊かな胸は、サクラのようにただ胸が大きいというわけではなく、身体のバランスに沿うように大きくふくらんでいる。サクラはアンバランスで、その女性がバランスが取れているのは、大きさというよりも、骨格の作りの問題なのかも知れない。

 動きは、洗練された、と言うのが一番だろうか。動き一つ一つが大きいのに、動くと綺麗にまとまって動く。緩慢な動きは一つもなく、きびきびと動くそれに、女性的なものはまったく感じられない。

 下手をすれば、浩之さんの方が女の子っぽいと言われそうですね。

 細いとは言え、ひ弱な印象などない上背のある浩之に対して、それはあんまりにもあんまりだが、初鹿の言葉は嘘でも何でもなかった。

 それでいて、その女性の動きには扇情的なものすら感じる。戦う女性の姿としては、ある意味理想かもしれない。一番近いものをあげるとするならば、それは来栖川綾香という怪物を出すか、話すらしていないプロレスラー、浩之の兄弟子の姉である彩子を持ってくるしかないだろう。

 マスカレイドで十位、などというランクではないですね。これは……私でも勝敗になりますか。

 外見だけではない、実力から見ても、来栖川綾香を持ってきても遜色ない人物だ。戦っている今日のターゲットもがんばっているのは認める、実際今は何とか互角に戦っている、が、いかんせん、これは相手が悪過ぎる。

 一体この人物がどういう過程でここに来て戦っているのか、初鹿にもさっぱり見当はつかない。赤目のどっきり、とも思ったが、さすがにこれほどの駒がいれば、初鹿が今まで知らない方がおかしい。

 しかし、分かっていることは、初鹿とサクラが出なくとも、しばらくすれば勝敗は決するだろうということだ。それまでは手を出さないつもりで、そういうサインを初鹿はサクラに出し、サクラはそれを了承する。アイコンタクトでこれができるのはこの二人ならではだろう。

 実際、そう思っている間に、その戦いは動き出していた。大方は二人の想像通りに。

 

続く

 

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