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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(165)

 

 ぱちり、と浩之は瞬間に目を覚ました。まどろむ時間もない、気持ちが良いと言えば気持ちの良い目覚めだった。

 まわりを見渡すと、暗闇の中、皆寝静まっている。何時かは知らないが、皆寝静まっていることと、外が暗いことを考えると早朝、下手をすれば深夜であるかもしれない。

 目覚まし時計を見ると、時間は四時過ぎ。もちろん午後ではない。いくら朝練があるとしても起きるにはいくら何でも早過ぎだった。

 だが、一度こうもはっきりと目が覚めてしまっては仕方ない。ついでに言うと、夜にけっこう食べたはずなのに、すでにお腹が空いてきていることも問題だ。そのかわりと言っては何だが、多少だるさは残っているものの、どこか痛い、ということもない。

 ……てか、昨日、いつ寝たんだっけ?

 うっすらと花火をしていたのは覚えているのだが、それもかなりうっすらとだった。はっきり言えば記憶がない。一応布団には入っていたが、ここまで歩いてきた記憶も残ってないのだ。

 うーん、倒れたか、綾香にKOでもされたか?

 一応、綾香にKOされて記憶が前後するようなことは今までなかったが、威力から言えばいつそうなってもおかしくはないはずだ。今までは単に運が良かっただけとも言える。

 いやまあ、多分違うだろ。だったらどっか痛くてもおかしくないもんな。

 何時のことか覚えてはいないが、多分我慢できずに寝てしまったのだろう。夕食を食べたのもそう遅い時間ではなかったはずなので、4時とは言っても8時間近く寝ていたのだろう。良く食べて良く寝れば体力は回復するだろうが、まさか綾香にKOされたダメージがその程度で治るとも思えないから、綾香にやられたわけではないだろう。

 まあ、最初に綾香にKOされた可能性を考えたのはどうだとも言われるかもしれないが、綾香の日頃の行いのせいと言っても綾香以外は否定しないだろう。綾香は否定するかわりに笑って証明しかねないが、だからこそそう思われるのだ。

 ……まあ、起きるか。何か食べるものがあればいいけどな。

 買いに行くとしても、近くのコンビニまで少しある。まあジョギングがてらに行って来るには近い距離だし、身体を慣らすには丁度いいかもしれない。

 まわりを起こさないように浩之は静かに起きると、やはり静かにジャージに着替える。誰かが反応したようだが、声をかけるのも何だったので、浩之はそのままできるだけ音を立てずに部屋を出た。

 さて、まずは軽くストレッチを……

 そう考え外に出ようとしていた浩之は、炊事場に明かりがついているのに気付いた。音もしているので、誰かがすでに起きているようだった。

 すぐに食べられるものもないだろうし、炊事場には用事はないのだが、気付いているのに顔を出さないのもどうかと思い、浩之は炊事場に顔を出してみる。

「よう、おはよう。鉢尾……だったっけ?」

「おはようございます、藤田さん。お早いですね」

 そこで一人、朝ご飯の準備をしていたのは、寺町の後輩、鉢尾だった。正直、浩之とはほとんど関わっていなかったので、名前を覚えているだけでも奇跡と言っていいだろう。何がいいのか、寺町にぞっこんであるから名前を覚える機会があったとも言える。

 対する鉢尾は、普通の礼儀正しい少女だった。ぶっちゃけて言えば寺町には似合わない、正確には寺町にはもったいなさ過ぎるよくできた子だ。一人早くに起きて朝食の準備をしているところを見てもそれはわかる。例えそれが寺町のためだとしても、それができるとできないとでは大きく差がある。浩之の知り合いで似ていると言えば、あかりに似ているだろうか。あれほど犬チックではないが。

 まあ、良い子であろうと悪い子であろうと、これと言って話すこともない相手なのだが、こうもはっきりと顔を合わせたのに何を話すこともなく行くというのも何なので、話しかけてみることにした。

「そういうそっちも早いな。というかみんなの朝ご飯作ってるのか?」

「はい、練習は免除してもらっていますから、これぐらいは役にたたないと」

「いや、これぐらいはどころか、むしろ部員みんな足を向けて眠れないだろ。何せ家事ができる人間が少な過ぎるからな」

 家事ができるのが鉢尾と、せいぜい坂下ぐらいだというのが目も当てられない。まあ、男の中には御木本とか中谷とかできそうなのがいるが、練習している以上、なかなか手伝うというわけにもいくまい。この合宿について来てるだけの浩之としても、感謝してもしたりないぐらいだ。

「まして、こんな朝早くから一人でやってくれてるんだから、大したもんだよ」

 鉢尾は素直に照れながら笑う。

「この程度で寺町先輩のお手伝いができていればいいんですが」

 ……いや、ほんとに何だろうね。あの寺町にこの子はちょっともったいなさ過ぎないか?

 頭の先から足の先まで格闘技のことだけを考えているような男相手に、この献身が報われることはないような気もするが、それこそ大きなお世話かもしれない。利や思考だけで好きになる相手を選べるのなら苦労はない。

 最初から鉢尾に文句をつける気はないし、もちろんナンパする気もない。むしろ浩之としては気が楽だった。それが何故なのか浩之自身には自覚はないが、鉢尾が言ってしまえば人の彼女だからだ。自分になびかないと知っているから気が楽なのだ。今まで自分がもてると思ったことはないが、身体の方はそれなりに今までの面倒を理解しているのだ。

 寺町自身は献身を感謝こそすれ、それで態度を変えるような殊勝な人間ではないと思うが、それをわざわざ言う必要もない。多分、鉢尾はそれを理解している。だから、浩之は気楽に答えることにした。

「寺町も助かってるだろ。あの男が家事できるとも思えないしな」

「むしろ放っておくと餓死しないか心配です」

 一応今まで生きているところを見ると、腹が減ればご飯を食べるぐらいの知恵はまわるようだ。ただ、健康的な食生活を送ってきたとはとても思えない。のわりには何でも平気で食べているところを見ると、食べ物の味自体分かっていないのかもしれない。好き嫌いがないのではなく、頓着していない可能性が高いだろう。

「まあ、なら鉢尾が食べさせてやればいいんじゃないのか?」

「そう……ですね」

 はにかむように笑う鉢尾は、なかなか魅力的だと思った。まあ、だからどうというわけではない。

「そう言えば藤田さん、少しお願いがあるんですが」

「ん? 何か手伝いができることがあるのか?」

 浩之としては手伝うのはかまわないが、あまり役にはたたないと思うのだ。とは言え、鉢尾一人にやらせることを思えば手伝うのはやぶさかではなかった。

 しかし、浩之はいきなり嫌な予感に襲われた。浩之とはあまり親しくもない鉢尾が、どこか親しげに話をして来たことを警戒すべきだと気付け、というのはさすがに無理があるが、それでも動物的勘で気付くあたりは浩之たる所以であろう。

「できれば、今日、寺町先輩と試合をしてあげてくれませんか?」

「断固断る」

 あまり親しくない少女相手でも、浩之は容赦しなかった。それでも、浩之が悪いとは言われないだろう。

 

続く

 

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