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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(169)

 

「知り合いも何も、知ってて当然だろ? 羽民は別の団体だけどプロレスラーだからね」

 そこで、ふと彩子は思い付いたように首をかしげる。

「何だ、羽民。自分がプロレスラーだってこと、言ってなかったのかい?」

「あ、いや、黙ってたわけじゃなくて、言い出す機会がなかったというか……」

 驚くべきところなのかもしれない。しかし、浩之はその言葉に、ああなるほど、という結論に達しただけだった。むしろ驚きなのは、たまたま合宿先で出会った女性が、エクストリームに出る選手であったことだろう。いやそれすら、ここに合宿に来る競技者が多いことを考えれば不思議でもないとも言える。

 だから、まるで知られてはいけない秘密を知られたような顔をしている羽民の気持ちが、正直まったくわからなかった。多少のことで、多少のことでなくとも驚くには、浩之も刺激的な生活に慣れすぎていた。少なくとも、羽民がプロレスラーと聞いても、納得こそすれ疑問に思うことも驚くこともない。まあ、疑う意味は少なくともなさそうだった。

 確かに、羽民の後ろに控える、おそらくは同じ団体のプロレスラーなのだろうが、その態度が、この中では羽民がリーダーだと言っている。つまり、浩之が嘘をつかれたわけではないのだから、疑う意味はないだろう。

「とは言え、そういうことに藤田が疎そうだとしても、格闘技やる人間に顔を覚えてもらっていなかったってのは人ごとながらにプロレスラーとしてショックかね」

 その一言で、羽民がむっと顔をしかめる。羽民にそういう不機嫌そうな顔や怒った顔が似合っているというのも、なかなかかわいそうな話だ。ただ、人というのは望んで外見を手に入れるわけではないのだから仕方ないのか。

 しかし、プロレスラーとしてはそっちの方が絵になるのか?

 職業的に言えば戦うお仕事だ。それは見た目でもはったりが効いた方がいい。まして、目立つことが至上とも言えるプロレスラーとしてはなおのことだ。リングで顔を怒らせて仁王立ちしている姿は、羽民が望んでいるかどうかは置いておいても、非常にさまになっていると浩之は思うのだ。

「あー、それは確かに俺が悪いな。何せ格闘技自体、この春から始めたばっかりだしな」

 プロレスを見ることもごくたまにはあったが、テレビ中継しているのをごくたまに見る程度だし、テレビでは男子プロレスしか見たことがない。生で見るとなると、葵と由香を見に行ったのが初めてなのだ。

 浩之の言葉を聞いて、彩子と羽民の後ろにいた、そのごつかさから見ても、中にはごつくない女性もいるが、プロレスラーだろう女性達は、一斉に苦笑した。

 何で苦笑されたかわからない浩之は首をかしげる。自分が何かおかしなことを言っただろうか? 知らず知らずのうちに、羽民に失礼なことを言った可能性は、正直否定できない。自分が人を怒らせる才能があるのを浩之は疑っていない。浩之にそれで勝てるのは格闘バカの寺町か同級生の志保ぐらいなものだろう。

「えっと、俺、何か変なこと言いました?」

 とは言え、何が悪いのかわからないのでは謝りようがない。彩子や羽民ではらちがあかないと思ったので、彩子の後ろにいる自分よりは明らかに年上の女性に話しかける。

「……ああ、由香が連れて来た子じゃない」

「……あ、その折はどうも。由香がご迷惑をおかけしました。と言っても俺の管轄じゃないですが」

「確かに、あっちはうちの管轄だね。別にあいつの調節の管理者じゃないけどあやまっておくよ」

 それは、由香の試合を見に行った日に、由香がリングを使わせろと無茶を言った由香の先輩だった。直接の管轄ではないそうだ。

「由香は食事係だから来てないけど……丁度いいんだろうねえ」

 浩之は無言で頷く。正直、由香のことは苦手なのだ。天敵とも言っていい。由香との間に愛がはぐくまれることもないし、そもそも関わり合いになりたくない。絶対迷惑を被ることが決まっているからだ。

 普通に日常会話をしている二人に、彩子が口を挟む。

「駄目だよ、修治の弟弟子につばつけちゃ」

「はっ、お前はその適当な言動どうにかしな」

 一応彩子が前に出ていたようだが、別に先輩後輩の間柄ではないようだった。

 確かに彩子は適当な言動が目立つ。深く考えずに場をひっくり返すのは、どこか由香に似ていた。いや、違う、由香はどこか計算が見え隠れするが、彩子の方はどうでもいいのにいいかげんなことを言っているように見える。どちらにしろたちが悪い。

 師匠、まずは孫の教育からどうにかした方がいいのでは?

 修治のことも大概だとは思うが、彩子はそれに輪をかけて、というかはっきり言ってそれ以上にたちが悪い。ちょっと話しただけではむしろ社交性が高いと見えるのが余計にたちが悪い。

「で、俺何か変なこといいましたか?」

「ああ……正直、同じプロレスラーとして羽民がちょっとかわいそうだね。知らないにしても、もっといい言い訳があるだろ」

 声を落として、まあそれでもまわりには聞こえるので気遣いをしているという態度しか見えないわけだが、その女性は浩之の言動をしたためる。

「いくら何でも、この春から格闘技を始めて、エクストリームの本戦に出れるわけないじゃないか。いくら修治の弟弟子だって、無理なものは無理だろ」

「……えーと、嘘じゃないんですが」

 それはもういいから、と女性にもう一度たしなめられる。というか、もう一回言ったら殴られそうだ。さすがはプロレスラーというかそういう集団というか、行動が短絡的だ。それでも綾香よりも理性的に見えるのもどうかと思うが。

「いいんだよ、藤田くん。知られてなかったのは、自分らの活動がまだまだだったってことだしね」

 羽民にまで申し訳ない顔をされて、浩之はどうしたものかと考える。言っても信じてくれないが、このまま放置して羽民に同情したと思われるのも心外だ。

 とは言え、唯一本当のことを知っていて、ここにいる者に説得力のある人間は、口から適当なことを、まるで見透かしているように言う人間災害だけだ。助けを求めるために目を合わせただけで、何かろくでもないことが起きるかとも思って、浩之は努めてそちらに視線を向けないようにする。

「……ぷっ」

 しかし、浩之の心配は、杞憂に終わったようだった。その様子を見ていた彩子が、笑い出したのだ。浩之がとまどう姿が楽しかったのか、羽民がいたたまれないのが笑えたのか、どちらにしろろくでもないことには代わりない。

「はっはっはっは、いや、楽しいねあんたらは。修治の言ったことだから嘘じゃないよ。そこの藤田は、この四月から格闘技を始めたのは本当だよ」

 楽しそうに笑う彩子に、いくら説明されたからと言って、感謝する気持ちにはならない浩之だった。

 そして、一瞬だけ、ぞっとする口で、笑う。

「ほんと、私みたいに、天才ってのはどこにいるかわかったもんじゃないよ」

 

続く

 

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