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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(170)

 

 一瞬ぞっとする笑いをした彩子だったが、すぐにあっけらかんとした笑い顔に戻る。内にこもる狂気は、確かにこの凶器たる女性には似合わない。しかし、凶器であることを考えると、危険度はさっぱり下がっていない気もする。

「いや、ほんとに楽しいよ、あんたらは。まあ羽民、こうなっちゃちょっと角突っつき合うのも何だろ?」

 暴露された上に笑われた羽民はむすっとした顔をしていたが、ちらりと浩之に視線を送ると、しぶしぶと言った風に彩子の言葉を受け入れる。

「……まあ、あたしは別に最初からケンカなんかするつもりはないよ」

「ははっ、言うじゃないか。私は楽しけりゃぶつかるのも好きだけどね、売ってきたのはそっちじゃないか」

 責めているというか、ただからかっている彩子の言葉に、羽民は顔をしかめただけで言い返さなかった。不毛なことになるのは目に見えていたし、何よりやめようと言いながらケンカを売る彩子にこれ以上真面目に対処した方がバカだと思ったのかもしれない。

「さ、練習に戻るよ。こうゆっくりできる時間なんてそうないんだからね」

 彩子はそう言うとさっさと走り出した。ランニングがゆっくりできる時間のような気はしないのだが、何と言ってもここにいるのは全員プロレスラーだろう。戦いを仕事にしている人間達だ、浩之の想像できないような練習量をこなしており、ランニング程度は休んでいるようなものなのかもしれない。

 まあ、そんなことは絶対ないだろうけっこうな速度のランニングでその集団が離れていくのを、羽民とそちらの集団は睨んだまま動かない。ここからケンカに移行することはもうないとは思うが、決して和解したようには見えなかった。

 岩場の影に入って彩子達が見えなくなってから、羽民は大きく息を吐く。今までよほど緊張していたのだろうか、というのも無理からぬ話だろう。武原彩子は、危険過ぎる。正常な認識ならば、ケンカを売るべき相手ではない。彩子が手を出さないとしても、そういう次元で安心できる相手ではないのだ。その祖父と弟を知っており、あの二人よりも危険だろうと思うと、浩之だって話しかけるのを躊躇うほどだ。

「……すまん、藤田くん。あたしらのいざこざに付き合わせる格好になって」

「いや、別にいいんだが……」

 どこか大人ぶった、というのも変な話だが、作ったような少し大人しい言い方よりも、今のどこかぶっきらぼうで乱暴な言い方の方が羽民には似合っていた。

 まあ最初から口調とかを気にしない浩之の方はどちらでも良く、羽民にため口をきいたとたんに後ろの女性達、多分こちらもプロレスラーなのだろう、に睨まれたことの方が問題だ。

 しかし、それに目敏く気付いた羽民が、その女性達に向かって声を荒げる。

「ほらあんたら、何高校生にガンつけてんだよ。合宿所までダッシュしな!」

「う、うっす!!」

 羽民が少し声を荒げただけで、慌てて女性達は浩之から視線を外して羽民の方に向き直る。

 まるで上下関係に厳しい体育会系の部活を見るようだったが、考えてみればそんな甘いものではないのだろう。理不尽はもしかすれば減っているかもしれないが、職業である限り、場合によっては無茶でもやるしかなくなるのだ。

「あたしはちょっと藤田くんの話を聞いて帰るよ。さあ、ダッシュだ!」

「おすっ!!」

 元気のよいと言うよりはどすの効いた声で返事を返すと、女性達は一斉に走り出した。明らかに短距離の速度で走っていく女性達を、浩之はややあきれたように見ていた。というか、ただ単純についていけていなかった。

 皆が見えなくなってから、ごほんっ、と羽民は咳をすると、浩之と目を合わせた。

「さて……改めて、自己紹介させて。樋口羽民、リングネームはフェニックスUTAMI、東日本女子プロレスに所属するプロレスラーだ」

「そう言われれば聞いたことある団体だな」

 確か、地方のプロレス団体だ。テレビ中継などはされないので、浩之が知らないのも当然とも言える。そもそも、やっていたとしても、最近は深夜放送の時間に起きていることなどない。

「まあ、地方のプロレス団体で、知名度も武原のところと比べると雲泥の差だけどな」

「あー、知らなかった俺が言えることはないんだよなあ」

「いいって、気にしてないなんてとても言えないけどな。それは藤田くんを責めてるんじゃなくて、あたしらがこういう状況になる前にどうにかできなかったってことだからね」

 人気商売である以上、知名度は重要だ。知られていないというのは、気分が沈むとかそういうレベルの話ではなく、商売として死活問題のはずだ。

「羽民さんがプロレスラーだって言い出せなかったのは、俺が羽民さんんことを知らなかったからか?」

「それもあるけど、ちょっとあのときはあたしも滅入ってたから、気晴らしがしたかった、てのもあるんだよ。プロレスから離れたい、と思ってたと言ってもいいかもな」

 まあ、離れられるわけなんてないんだけどな、と羽民は苦々しく、しかしどこか楽しそうに笑う。まあ、好きでもなければそんな仕事はやっていられないだろう。

「しかし、俺としては彩子さんとケンカする方が驚きなんだけどな。いや心臓に悪いというか」

 言ったように、浩之は羽民がプロレスラーだったことぐらいではあまり驚いていない。言い出せなかったとか言葉が足りなかったとかその程度としか思っていないのだ。彩子とケンカすることを思えば、気にしている様子の羽民には悪いが、些細なことだ。

「何だ、藤田くんはあたしが武原に負けるとでも思ったのか?」

 少しからかうように言う羽民は、彩子の強さを知っているのか知らないのか、余裕すら見える。

「いや、勝ち負けとかそういう問題じゃなくて、どう見てもケンカ売るべき相手じゃないだろ。というか、普通のプロレスラーは他団体とは仲が悪いのか?」

 彩子と羽民がいがみ合うだけであれば、それは二人の関係なだけだが、先ほどは団体としていがみ合っていたように見えたのだ。

「……ああ、ちょっと言いにくいけど、普通はそんなことはないさ。プロレスラーは同じ穴の狢だからね。できることなら、仲良くやるべきだ。交流戦とかはお客の入りもいいしな」

 だったら、仲良くすべき相手ではないのか、と浩之は思った。いや、羽民もそう思っているのだろう、少し表情に陰りが見える。正直、陰りのある表情は、羽民には似合わない。

「でも、今回ばっかりはそういうわけにはいかないんだよ」

 羽民は、平坦な声で、決して吐き捨ているようなそんな荒い態度ではなく、すでに終わったことのように、それをまるで自分が何も感じていないかのように、言う。

「武原の団体に、うちの団体は吸収されるんだからね」

 

続く

 

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