「武原の団体に、うちの団体は吸収されるんだからね」
黙っている浩之とは対照的に、羽民は饒舌に話し出した。とは言っても、まくし立てるわけでもなく、本当に淡々と、今日の天気について言及しているような気楽さであった。
「そもそも、今の時代、プロレスはもう流行らないんだよ。今でこそまだ新人もいるけど、すぐに入らなくなるだろうね。やってるあたしらからすればもちろんやめるつもりはないけど、一般的に求められてないのはどうしようもないしな」
それに、色々な思いはあるのだろうが、それが外に出て来ない。それは我慢しているとかそういうものではなく、大人というものはそういうものなのだ、というのがまだ若い浩之には理解できない。浩之は、羽民が強がっているのではない、と感じる程度だ。羽民だって決して歳がいっているわけではないが、それでもそれなりに長い間働いているだけ、大人なのだ。
「だからって、こっちが何も手を打たなかったわけじゃないけどな。エクストリームだけじゃない、名が売れるようなイベントには積極的に出て行くし、テレビやラジオに出れるように営業だってする。ある意味、売れない芸人に近いのかねえ」
まあ、食べていくことだけはまだこまってないけどな、と羽民はシニカルな笑みを浮かべる。
「手をこまねいていたわけじゃない。でも、会社が苦しくてね。変な事業に手を出して借金を作るなんてことはなくても、プロレスの事業として会社が倒産の危機ってわけさ。武原のところに吸収されるのは、むしろ喜ばしいことだろうね」
「……羽民さんは、それについては反対しないんだな」
「ん? ああ、そりゃもちろんさ。うちの団体がなくなるのは、それは愛着があるから寂しいけどな。そういうものだけじゃ食べていけないのもよく知ってるし、プロレスでおまんま食えるんだから、あたしにとっては、不幸ってほどのことじゃないね。少なくとも、あたしが営業とかよりはよっぽどましだと思うね、ほんと」
確かに、この口調で、多少は取り繕うことができるのだとしても、営業はないだろう。
「まあ、そういうわけで、今は武原のところと抗争中なんだよ」
「……は?」
羽民がにこやかに言う言葉の意味が、浩之にはいまいち理解できない。何がそういうわけなのか、さきほどの会話から導き出すことができなかったのだ。
「ん? ……ああ、説明足らずだね。今のところ、武原の団体と一緒に興行してるんだよ。うちの団体と武原のところの団体との抗争ってことで」
「え、一緒に興行してるのに抗争って……というか『ってことで』ってのは何なんだよ」
「だから、そういう演出さ。知らないのかい? プロレスでは普通何個か組を分けて抗争をしてる演出が多いんだよ」
言われてみれば、昔見たプロレスは、ベビーフェイス(善役)とヒール(悪役)にわかれていた。考えるときは善役と悪役のように、「役」という言葉をつけているのに、羽民に説明されて違和感を感じるのはどういうことだろうか。
「それってやらせじゃないのか?」
最初からプロレスはそういうもの、とわかっているつもりでも、プロレスラー自身から言われると少し考えさせられてしまう。
「それはちょっと腹の立つ言い方だね」
羽民はむっとするが、表情は本気で怒っている様子ではない。羽民は口調に比べて、決してケンカッ早い方ではなさそうだし、そもそも、その程度のことは言われ慣れているのだ。
「プロレスはショーなんだよ。ドラマがシナリオのある話だからって、人を感動させられないわけじゃないだろ? それと一緒さ。いや、プロレスの技も強さも本物なんだから、感動しないわけがないじゃないか」
だいたい、ほんとにあんないがみ合ってたら一緒に仕事なんてできないだろ? いや、いがみ合ってても仕事はするんだけどな、と羽民は肩をすくめる。
「武原のところとうちが合併、実際のところは吸収だけどね、されることになったから、これ幸いと、『負けた方が軍門に下る』って抗争が作れたんだし、不幸中の幸いだね。いつにない本気度に盛り上がってるよ。武原のところも本気みたいで、メインのときはテレビ放送もしてるしな」
「……いや、したたかと言うか何というか」
浩之が思う以上に、羽民は、というか羽民達はしたたかなようだった。座して負けるつもりはない、ということか。ただ、少し気になることもある。
「しかし、ってことは最終的には羽民さん達が負けないといけないのか?」
さすがに、それには少々羽民も嫌な顔をしたが、答えてくれる。
「最終的には、そうさ。言いにくいけど、今回に限らず、会社の戦略として、勝敗が決まってる試合もあるよ」
「あるのか……」
わかっていても、少し寂しい話である。
「だた、今回はそうでもしないと、一方的にうちが負けちまうからね」
「へ?」
「武原のところと比べると、層が違い過ぎるんだよ。正直、武原始めトップクラスには、あたし以外相手にならないよ。あたしでも、武原と後二人、本当のトップにはガチでやって勝ったことないからね」
「由香とか、姫立だったっけ、とかは……」
「由香? 島田由香かい? うちのやつらだとちょっときついよ。また嫌らしい戦い方してくるしな。ただまあ、あたしと比べると全然だね。プロレスラーとしての格が違うよ」
由香が自分と比べれば全然だ、はっきりと、羽民は言い切った。葵といい勝負ができそうな由香を相手取って、全然とは、例え自信過剰にしても言い過ぎではないだろうか。いや、言い過ぎではないとすれば、羽民はそれだけ強いということになる。
……てか、彩子さんの少し下、と思うと実力、推して知るべしだな。
出会いからしてしまらなかったこともあって、浩之は羽民の実力を今まで想像しようとすらしなかったが、考えてみると、彩子がそこまで羽民を下に扱っていなかったような気がする。それだけでも評価は非常に高いとも言える。
「ただ、姫立はね……」
「姫立はそこまで面識ないけど、やっぱり強いのか?」
まあ、彩子が直接修治に教えさせようとするだけの素材ではあるのだ。それにどんな意味があるかまではさすがにわからないが。
「誤解しないで欲しいから、最初に言っておくよ」
いつになく真剣に、というか先ほどまでだって真剣でなかったわけではないのだが、それは綾香や修治が自分の実力について口にするときのような、本当の意味での本気が僅かなりもと含まれた口調だった。
「プロレスラーとして、姫立はあたしの足下にも及ばないよ。はっきり言ってあんなザコ、あたしが相手するまでもない」
「……えー」
今までの考察を覆す羽民の言葉に、浩之の口からは、自然とまどいの声が漏れた。
続く