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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(173)

 

「何で、羽民さんはエクストリームに出るんだ?」

 責めるつもりはない、ただ単純に疑問に思っただけだ。エクストリームに出る理由は、皆それこそ十人十色であるのはわかる。しかし、自分で総合格闘技は素人という羽民が出る理由が、よくわからない。

 まったく表に出ていないのならばともかく、浩之がたまたま知らなかったと言っても羽民はプロレスラー、しかも小さいながら団体のトップらしい。それなりに築いて来たものがあるはずだ。

 ルールが違う体調が悪い知名度のせいで研究された、色々と理由はつけられるだろうが、それでも、負ければ自分にも団体にも傷がつく。どの団体も、大きければ大きいほど傷つくものは大きくなってくる。

 わかりやすいところで言えば、柔道などはそのもっともたるものだ。金メダルを獲るような、つまり階級制とは言っても、その中では最強、つまり柔道でこれ以上強い人間はいない、そんな人間が別の格闘技に出て、惨敗すればどうなるだろうか?

 やはり柔道は大したことない、と言われるだろう。ルールが違えば、つまり柔道のルールで戦えば圧勝するにしても、別のルールで負けたとき、その言い訳はむなしいだけだ。

 それを恐れた柔道協会が取った手段は、別の格闘技に出た選手の、公式戦一年出場停止。

 卑怯とは、言うまい。というかむしろ当然のことだ。格闘技においては、負け以上に痛いものは、ない。怪我で引退を余儀なくされたって、それまでに築いた勝利は揺るがない。だが、負けてしまえば、過去の栄光など、役にもたたない。

 そんなことはない、と言われるかもしれない。今までの戦果を一回の敗北でないがしろにする方がおかしい、と言われるかもしれない。

 だが、まわりが何と言おうと、本人にとって一番痛いのはやはり負けたことだ。負けることが悔しくない人間が、勝負事にいつまでも関わっているわけがない。

 まあ、本人だけではなく、単にまわりの口さがない人間による誹謗中傷も厳しく、柔道協会のそれは、自己防衛としてはしごく当然の選択だろう。

 柔道がプロレスに変わったとしても、羽民だって、そうだろう。かなりの自信がないと出るべきではないと思うのだ。少なくとも自分を素人と呼ぶうちは、そんなリスクの大きい場所に出るべきではない。

 羽民がどれほど自信過剰なのか、付き合いの短過ぎる浩之にはわからないが、その短い間にでも、羽民がそこそこに物事を理論的に考えられることはわかっていた。羽民であれば、エクストリームに自分が出る、そのリスクも、十分にわかるはずだ。

 羽民は、視線をそらす。

「売名行為、と言ったら、藤田くんは軽蔑するか?」

「……いや、むしろ納得するな」

 そう言われれば、納得もできる。プロレスラーは名を売るのだ。知名度は高ければ高いほどいい。エクストリームは、それにはうってつけだ。大会二回目で、今一番日本で注目されている大会になっている、というのは実は浩之は知らないのだが、多くの人間に見てもらえるのは確かだったので、浩之はその理論に納得する。

「しかし、よく会社が許したなあ」

 羽民の今の会社は、もうつぶれかけ、というか来年には吸収合併するのだから、多少のバクチは問題ないだろうが、彩子の方の会社がよく許したものである。少なくとも、由香と姫立は、聞く限り一線級の選手ではない。そのあたりならば、負けてもそう痛くもないはずだ。

 だが、羽民は違う。少なくとも、一線級の選手が手加減がいらないほどの実力があるというのだから、そんな人間が、下手に負ければ、彩子の団体も多少なりとも痛いのではないだろうか。

「そんなのもちろん、もめたに決まってるさ」

「おいおい」

 羽民は一応、吸収される方の社員である。何事も穏便に済ませた方がいいような気もするのだが。

 口調や、ぶっきらぼうで攻撃的な姿が絵になるとしても、羽民には常識も計算も通じそうだ。しゃべった感想で言えば、地に足がついている、わざわざ新しい職場で波を荒立てるタイプには見えないのだが。

「何か羽民さんのイメージと違うな。羽民さんって、常識的な人間に見えるんだけどな」

 プロレスラーのイメージは、破天荒、というのがしっくりいく。姫立は別にしても、由香はそうだし彩子にいたっては言うまでもないし、先ほど話したそれなりに強そうな女性も、やはり破天荒という言葉が似合うと思える。

 だが、羽民はそうではない。それなのに、羽民は自信のないエクストリームに出るというのだ。

「……ま、プロレスラーとしては、常識なんて、ものの役にもたたないよ。むしろ邪魔かもしれないね。人の驚くことができないようじゃあ、プロレスラーとしてはしょっぱいもんさ」

「いや、悪い意味で言ったんじゃなくて……」

 ふふっ、と羽民は笑った。攻撃的な姿が似合うとしても、こうやってどこか無邪気に笑みを浮かべる顔も、なかなかかわいい。表情もそうだが、いちいち動きに華がある。受け答えも打てば響くようで、正直、プロレスラーではなく、芸能人とかになった方がいいのではないだろうかと思う。少なくとも、十把一絡げの芸人よりは長い人気を保てるような気がする。

「わかってるって。そう、私一人なら、エクストリームには出なかっただろうね」

 でも、と羽民は続ける。その顔には、はっきりと覚悟が見て取れた。

「それじゃ駄目なんだ。うちは、最初から立場が弱いからね。あたしががんばらないと、みんなに響く。ちょっとでも、待遇はいい方がいいしな」

 ああ、なるほど。と、浩之は羽民の考えが、すとんっ、と腑に落ちた。

 それは、羽民の責任感から来るものだったのだろう。であれば、分の悪い勝負に出るのも、納得できる。

 吸収される方の団体の選手が、どれほどの待遇をされるにすれ、羽民にしてみれば、良ければ良いほどいいのだ。自分には、自信があるのかもしれない。しかし、その自分の待遇を多少悪くしても、仲間がよくなることを願ったのだ。

 しかし、気持ちはわかる、が。

「由香とか姫立と当たったらどうするんだよ。プロレスならともかく、総合格闘技では微妙なんだろ?」

 いつもは余裕の相手に負けるのは、痛いでは済まない。まあ、その程度のこと、羽民がリスクとして考えていないことはないだろう。

「あたったら、嬉しい話さ。一回勝ちを譲ってもらえるんだからな」

 しかし、羽民はそれについては気楽そうだった。

「え、でも羽民さん、自分で総合格闘技は素人だって言って……」

 まさか、エクストリームで八百長、言葉が悪かろうが実際そうだ、でもするつもりなのだろうか。確かに、どちらの団体にしても、由香や姫立が勝つよりも、羽民が勝つ方がいい。ライバルが強い方が、より試合は盛り上がる。

「簡単さ、当たったら、プロレスを仕掛けるんだからな」

「……ああ、なるほど」

「まさか、プロレスを仕掛けられて、乗らないわけがないしな。姫立はもちろん、あの島田だって、プロレスをやると言われたら断れないよ」

 何せ、あたしらはプロレスラーだからね。その言葉には、誇りが感じられる。

 姫立は知らないが、由香は平気で総合格闘技を仕掛けてきそうな気がするのだが、それは浩之がプロレスラーでないからそう思うだけなのだろうか?

「さて、あたしの話はいいよ。もう言えるようなことは言ったしな。それよりも、今度は藤田くんがあたしに教えてくれる番じゃないのか?」

 はにかむように笑う羽民を、かわいいと思うのは浩之だけではないはずだ。プロレスラーにしておくのはおしいのか、それとも、プロレスラーこそが天職なのか。

「ん、いいけど、綾香の弱点とかは知らないぜ。というか俺が教えて欲しいよ」

 浩之も、おどけるような口調で聞く。ただし、弱点があるのなら教えて欲しいのは本心だ。喉から手が出るほど欲しい情報だ。

「まったく、そんな無粋なこと聞かないさ。と言っても、別にこれと言って聞きたいこともないんだけどね。せっかくだから、何か聞いておこうか」

 そう言うと、羽民は、思い付いたように、マイクを浩之に向ける真似をして、笑いながら調子良くまるでリポーターのように、聞く。

 羽民に悪気はない。ただちょっと思い付いただけだ。

「藤田選手は、何故エクストリームに出場したのですか?」

 しかし、致命傷というものは、そういう何気ない言葉でこそ、起こるものなのだ。

 その言葉を聞いて、浩之は、しかし、何も答えられなかった。

 

続く

 

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