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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(176)

 

 その金髪の女性のハイキックは、ハイキックを得意技としている葵ですらうなるほどのものだった。葵よりも遙かに高い腰の位置からひねり出されるように繰り出されたそれは、長いコンパスも相まって、すでに人間の五体のみで生み出したものではないとすら感じるほどだった。

 しかし、葵はその素晴らしいとすら言えるハイキックを「空振りさせた」。実際の攻防であれば、コンパスが大きい分一度動いてしまうと隙の大きくなってしまうそのハイキックだろうが、葵には当たり前だが攻撃する意志はない。というか、そもそもハイキックを打たれる意味がわからない。反射的に手が出る、というには、今の状況には葵にも余裕があった。

 そして、そのハイキックを、葵に不意打ちのように放った金髪の女性の方は、ハイキックをすかった体勢で葵と目があったが、まるで避けられたことをわかっていないかのように、きょとんとした顔をしていた。人種が違うのでわからなかったが、その表情だけ見れば、けっこう若いのかもしれない。まるで子供のような表情だった。

 警戒は、していない。自然体に、葵は相手の動きを待っていた。実戦すら想定に入れた坂下や、規格外の綾香ならともかく、試合で戦うことをメインとする葵が、こうもいきなり襲ってくる悪漢に対して自然に反応するのは、むしろそちらの方が不自然だろうか。

 いや、まあ相手はどう見ても女性なので、悪漢というのは語弊があるのかもしれないが。悪女ではかなりニュアンスが違う気がする。

 どちらにしろ、いきなりハイキックを打たれたことに対する疑問を、葵はひとまず置いておいた。天然なところがある葵だが浩之には常識的と見られていても、けっこう長い間綾香と一緒にいれば、この程度のことでは慌てなくなるのかもしれない。この程度、と言っていい内容かどうかも、この際置いておくのだろう。この程度とは、非常に便利な言葉だ。

 空ぶった脚を下ろした金髪の女性は、数秒ほどぽけっとして葵の顔をまじまじと見つめて、おもむろに顔に笑みを浮かべた。それは綾香がたまに浮かべる、絶対友好ではなく威嚇の意味だろという牙を見せるそれではなく、本当に子供が感動したような邪気のない、なさすぎる笑みだった。

 そして、その女性は感極まったように、葵の手を握った。殺気というか、そもそも攻撃するような動きではなかったので、葵もそれには反応できなかった。

「fantastic!」

「え、え?!」

 純日本人である葵は、多分英語であろう言葉でしゃべりかけられて、戸惑いを隠せなかった。いきなり英会話ができるような日本人は多くない。実際のところ簡単な単語と身振り手振りで簡単な意思疎通は可能なのだが、いきなり話しかけられたそこまですぐに反応できるわけもない。ハイキックをいきなり打たれた方が冷静に対処できるのもどうかと思うが。

「オォゥ、すみマセン」

 葵が困っているのを見てとったのか、ニコニコと、非常に友好的な笑みを浮かべた金髪の女性は、けっこう流暢なな日本語で葵に話しかけてきた。

「先ほどのあれは、何デスカ? あれがニンジュツ?」

「え? えーと、あの……」

 その女性の言っていることの意味がすぐに理解できずに、葵はおろおろとするばかりだ。さきほどの不意打ちのハイキックをさばいた様子など、ここからは微塵も感じられない。こと格闘技のことになればともかく、それ以外は微妙なのは、綾香や浩之よりも修治に似ているのかもしれない。まあ修治に似るというのはそれはそれで脅威ではあるが。

「Is made to kick. キックさせられマシタ! あれは何だったのデスカ?」

「えっと、蹴るつもりはなかった、ということですか?」

「ハイ、知らない人にキックをするなんてしマセン。気がついたらキックしていまシタ!」

 いや、綾香さんを見ていると一概にそうも言えないんですが、と葵は声に出さずに思った。綾香を基準にするのは確実に間違っているとは思うが、いきなりハイキックを打たれたのは事実だ。

 そして、この女性にはまったく反省している様子はなかった。だが、いちゃもんをつけてうやむやにしようとしている風もない。本気で蹴る気がなかったような態度だった。

「あの、私だからよかったですけど、普通の人にあれが当たったら冗談じゃ済みませんよ」

 正直、責めるつもりはまったくない、日頃から非常識な世界で戦っている葵としてはこの程度に目くじらをたてていては普通に生活するのも無理なのでどうということはないのだが、これが一般人相手であれば、大惨事になっていたのは間違いないだろう。あのハイキックは、人間を破壊するには十分な威力がある。そんなもの受けなくてもわかる。何か知らないけれど、蹴ってしまった、では通じないというかそれこそ惨事が起きる。

「わかりマス! やっぱりあなたは格闘家なのデスネ!」

 しかし、その女性はさっぱり反省した様子はなかった。いや、それも気になる、葵だってこれ以上非常識な知り合いを持ちたいとは思っていないのだ、のだが、それよりも、格闘家、という言葉が出てきたのが葵にはひっかかった。

「格闘家……ですか?」

「ハイ、全力ではないデスが、私のハイキックを回避するのは素人にはできマセン」

 その素人に回避できないハイキックを放ったというのに、まったく悪びれることがないのもどうかと思うのだが、ニコニコと邪気のない笑みを浮かべる女性に対して、何か言おうかと考えていた葵は、しばらくして、ため息をついてあきらめた。

 この手の相手は、何を言っても無駄なことを葵は実感として理解していた。ちなみに、葵本人も浩之に多少そう思われていることの自覚はない。葵も大概なのだ。

 忠告をあきらめた葵は、まったく関係ないことを言うことにした。

「あの、日本語うまいですね」

「モチロンデス。ニッポンには来ることも多いデスし、仕事でも覚えていないと困りマス」

「仕事、ですか?」

 まあ、日本に来ているのが観光でないというのなら、日本語を覚えておいて困ることはないだろう。仕事が何か知らないが、むしろ必須なのかもしれない。

「はい、私はプロフェッショナルデスから、言葉を覚えるのは基本デス!」

「プロ……もしかして、格闘技をやられているんですか?」

 そこで、その女性は微妙な表情を作った。見慣れていない外国人の表情が、何を意味するのか、葵にはわからなかった。

「……あなたからは、同じものを感じマス。NO、これは……」

 すんすん、と、その女性は本当に葵の匂いをかいできた。いきなりのことに葵が固まっていると、その女性はしばらく葵の匂いをかいで、納得するように頷いた。

「あなたは、アヤカの匂いがします」

「え……」

 考えていなかった、というかむしろ必然たる名前がその女性の口から出て来る。

 と、それをまるで測っていたかのように、よく聞いた声が、葵の耳に届いた。

「何でこんなところにカレンが葵と話しているのよ?」

 綾香が、いぶかしげな顔で金髪の女性の名前を呼んでいた。

 

続く

 

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