「何でこんなところにカレンが葵と話しているのよ?」
どこからともなく現れた綾香のぶしつけな言葉に、しかし金髪の女性は気を悪くした風もなく、大げさに両腕を広げると明るい声で綾香に抱きついた。綾香も、いきなりハイキックを放つような非常識な相手のハグを、まったく気にせずに受け止める。
「Hi、アヤカ、お久しぶりデス!」
綾香がそのハグを苦笑しながらも普通に受け止めたのを見て、葵は少なからず驚いていた。日本人が行うスキンシップではないというのもあるが、あれだけ危険な、いや話しただけでは別に危険な感じはしないのだがいきなりハイキックを打ってくる人間を安全とは言えまい、相手を平気で綾香が懐に入らせたことに驚いたのだ。
「はいはい久しぶり久しぶり。で、私は久しぶりとかどうとかじゃなくて、何でカレンがここにいて、しかも葵と一緒にいるのかを聞いてるんだけど?」
あきれた口調で、英語も話せるだろうに、日本語で話す綾香に、カレンと呼ばれた金髪のフレンドリーな女性は、「細かいことは気にしないデス!」と言って綾香をかいぐりかいぐりしている。
かいぐりされる綾香、というのは非常に珍しいのだが、それはそれとして、葵はやっと動かなくなっていた頭を動かし出した。
「あの、綾香さんのお知り合いですか?」
昔はニューヨークに住んでいたこともある綾香だ。外国人の知り合いの一人や二人いるのは当然かもしれないが、その手のお知り合いではないのだろう、と葵はおぼろげながら思った。あのハイキック、綾香と知り合いなだけの一般人が放てるものではない。
綾香は、ちょっとじと目で葵を見る。何が自分が悪いことでもしたのか、と葵は考えたが、思い当たるふしがない。まあ葵は察しの良い方ではないので、考えても出て来ないのは当たり前とも思えるが。
「お知り合いも何も、葵、カレンのこと知らないの? 自分のことがもちろん一番だけど、対戦するかもしれない相手のことぐらいは知っておいても損はないわよ?」
とか言う綾香が一番対戦相手のことを気にしていない、強いかどうかは気にするが対策などの意味では知ろうともしない、と思うのだが、何のことなのかわからない葵には返答のしようがない。
「まあ、紹介するわ。カレン・ホワイト。去年のエクストリーム女子大学の部の優勝者よ」
「え……あ、そうなんですか?!」
言われるまでまったく思いつかなかったというか、名前を聞いたことがあるかすら覚えていない。大学の部の優勝者が外国人であることは知っていた。やはり人種的には日本人は不利なのだなあ、とうっすらと考えたぐらいで、積極的にどれほど強いのか、どんな選手なのかを調べたりはしなかった。興味がなかった、と言えばそれまでだが、それは致し方ない部分もあるだろう。何せ、葵にとっては綾香と戦うこと、綾香を打破することが重要なのであり、それ以外は目の中には入っていなかった。
それをどうにかこうにかしてくれたのが浩之であり、葵としては感謝してもしたりないぐらいだ。ただまあ、最近は浩之や綾香、坂下との練習が楽しくて、まったく情報収集など思い付かなかったので、全部が全部プラスになったとは言いづらいのだが。
綾香に紹介されたカレンは、どうだと言わんばかりに胸を張る。大きな胸が強調されるのも目には入るが、その態度は無邪気で、まるで子供のようだと葵は感じた。
「Hi、アオイ。私はカレンです。あなたは?」
「え、あ、はい、初めまして、カレンさん……でいいんですか? 松原葵、葵です」
確かアメリカの人だったらファーストネームで呼ぶのは親しい間柄の相手だけなんじゃ、とあまり自信のない知識で葵は考えたが、カレンが自分をファーストネームで呼んだ上に、そもそもファーストネームしか名乗られなかったので、そう呼ぶしかなかったのだ。
カレンはそれに気を悪くした風もなかったので、それで良かったのだろう。
定型文でも読むかのような内容なのに酷くフレンドリーなカレンの挨拶と、有名人、エクストリーム優勝者となればそれは有名人と言っていいだろう、なのにわからなかったこともあって恐縮する葵とのギャップの大きさに、この場に浩之がいれば微笑ましい笑みを浮かべていたことだろう。
カレンと違い、葵は無名の選手、というか去年はエクストリームにまったく関わっていなかったのでカレンが知らないのは当たり前の話なのだが、しばらく首をかしげていたカレンは、何かピンと来るものがあったようだった。
「アオイ……もしかして、アヤカの推薦した選手デスカ?」
「あー、予選のは記事にもなってたしねえ。カレンが知っててもおかしくないか」
「記事にならなくテモ、私はプロフェッショナルデスから、アヤカと違って選手のことは調べマスヨ? サイショに知ったのはネットでデスガ」
カレンは腕を広げて肩をすくめるジェスチャーをする。大げさなのはこの人の特徴なのか、文化の違いなのかはわからないが、様にはなっている。そしてカレンのジェスチャー付きの言葉を綾香は平気で無視する。
「じゃあ知っての通り、この子が私のお気に入りの葵よ」
綾香の紹介に、葵は少し顔を赤らめる。やはり、綾香に褒められるのは嬉しいのだ。ただまあ、はたから聞いていて褒めているのかどうか微妙なところの物言いなのだが、少なくとも綾香が葵のことをかっているのは事実だ。
予選で綾香が葵のことを名指ししたことで、葵も多少なりとも知名度を得ているのだ。
いや、多少、などとは謙遜にもほどがあり、事実とかけ離れているとすら言えるだろう。
ナックルプリンセスで一番注目されている選手は賛否両論あったとしても綾香であることは間違いなく、その綾香の推薦となれば、それはもう外の選手にとっては研究して対策を練るべき選手だ。いくら今まで無名の選手であった、ちなみに綾香はエクストリームに出る前から空手で有名な選手だった、とは言え、来栖川綾香というブランドはそんな些細なことを無視させるだけの力がある。
まして、判定であれば綾香の推薦で贔屓が入る余地もあるだろう、もっともそれをあの北条鬼一が許すとは到底思えない、が全試合相手が立ち上がれないようなKOで予選一位となれば誰一人弱いだの八百長だの暴言は吐けないだろう。まして、優勝候補も含まれていたのだから、レベルが低かったとは言わせない。
葵が今のところ取材などの矢面に立っていないのは、気難しい、というよりも度し難いほど難しい評判の綾香の機嫌を損ねることを恐れて、メディアが綾香を通して取材をしているからに過ぎない。そうでなければ、そのかわいい顔と小柄な身体、そして実力によって、メディアに祭り上げられていた可能性すらあった。
「記事で見まシタが、本当に小さい子デスネ!」
ちゃんと調べてると言うカレンは、何がそんなに楽しいのかニコニコしながら、実に友好的な笑顔から、あんまり友好的とは言えない言葉を吐くのだった。
続く