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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(180)

 

 カレンと話しても、葵は楽しい人だなあ、と思うだけであった。自分が蹴られたことぐらい、当たらなかったのだからまあ問題ないだろうと考えてしまうあたり、綾香や坂下は、先輩として葵に悪影響を与えているのは間違いなかった。

 それにしても、いくらエクストリームの本戦まではまだ時間があるにしても、決して暇ではないだろう。いや、年齢的には大学生、アメリカの学校がどうなっているのかわからないが、多分まだ学生でもおかしくない年齢だろうに、綾香に会いに来るためだけにここに来たというのだろうか。いや、もしかしてアメリカの学校にも夏休みがあるのかも、と思ったが、おそらく季節は違うので、やはりよく分からない。

「だいたい、私がここにいるの誰に聞いたのよ。私がここにいるのはトップシークレットのはずよ?」

 綾香は日本格闘界の至宝と言ってもいいぐらいの存在だ。マスコミが祭り上げないのは、綾香自身がそれをさせないためだが、それでもたまにはスクープを狙って沸いてくる記者もいる。学校であれば色々と取材する方にも遠慮が、女子校に近づくのはそれだけでも世間的には責められかねないのだ、生まれるが、プライベートであれば学校にいるよりは狙われやすい。まして、旅行ともなれば目をつけられてもおかしくない。

 もちろん、そういうものをシャットアウトするだけの力はあるが、わざわざ自分から火だねをまく必要もない。実際、この合宿に来ることは綾香自身が教えない限り、知られることはなかったのだ。綾香が参加することは坂下が管理しており、空手部の顧問はもちろん知っているが言いふらすわけもなく、綾香が来ることを知っている者はほとんどいないはずであった。

「Mr.ナガセがココロヨク教えてくれまシタヨ?」

 長瀬はセバスチャンの本名だ。というか、綾香の行く先をそう簡単に教えてもいいものなのだろうか。

「あのじじい……てかカレン、もしかしてわざわざ家まで来たの? 私が海外に旅行とかいってたらどうするつもりなのよ。最初から私に電話かければいいじゃない」

 もっともな話だ。夏休みに海外に旅行に行くなど綾香にとってみれば何も珍しい話ではないだろう。

「オー、そんなことしたら逃げられてしまいマス! Mr.ナガセにも言わずに逃げられたら見つけることが難しくなりマス!」

「そりゃカレンが来るって聞けば逃げるわよ」

 逃げるらしいし、それを見越していきなり家に行ったらしい。綾香が戦略的撤退を最初から選ぶのだから、それだけでも特記すべきことだろう。

「それに、旅行に行かない確信がありまシタ! この大事な時期に綾香が旅行なんてありえまセン!」

 エクストリームの本戦までもうそう期間がない。遊ぶなら今しかないと言えるし、そもそもすでに遊んでいる余裕はないとも言える。カレンの言うことはもっともであった。まあ綾香はこの合宿に半分ぐらいは遊びに来ているような気もするのだが。

「丁度この近くに用事があったノデ、会いに来ました!」

「用事……ねえ」

 綾香がカレンの言葉に、うさんくさいものを見るような目つきをする。正直、葵もカレンがこんな場所に一体何の用事があったのか、まったく想像できなかった。綾香に会いに来ただけの方がまだ納得できるというものだ。

 それにしても、と葵はいまいち何を考えているのかわからないカレン、まあ初対面だから仕方ない部分もあるだろう、のことは置いておいて、綾香の反応にも多少違和感を感じた。どうしてか綾香はカレンの訪問を喜んでいるようには見えない。仲が悪いのならば何も不思議ではないが、カレン自身はフレンドリーであるし、綾香も仲の悪い相手と話しているような雰囲気ではない。一応それなりの態度を取ることもできる綾香ではあるが、少なくとも友達の関係であれば、本当に綾香が嫌っているならば、まったく相手にしないはずだ。

「じゃあそっちの用事とやらを先に済ましたらどう?」

「それは昨日済ませまシタ! だから、今日はアヤカを探しに来たのデス! Mr.ナガセから合宿と聞いたので、きっと起きていると思ってまシタ!」

 確かに、一般的には活動するには早過ぎる時間だ。だが、綾香がいる合宿所の場所がわかっているのならば、さすがに綾香も合宿所の住所はセバスチャンに教えている、そう問題もないし、この時間であれば合宿所にいる可能性も高い。せいぜいランニングに出ているぐらいだろう。

「ふーん、まあ、悪い予感しかしないんだけどね」

 と言いながら、綾香は自然な動きで身体を反らしていた。

 シュバッ!

 風を切る音と共に、カレンの腕はストレートの動きなのに、手首の動きは引き込むような動きをする不可思議な打撃が食うを切った。おそらくは、あごに引っかけて相手を効率良く脳震盪にするための打撃であろう。通常の打撃よりも明らかに難易度が高く、打撃精度が低いと自分の手首を痛めそうだが、ハイキックの精度を見る限り、その程度の問題を、カレンが起こすとも思えなかった。

 丁寧に相手の脳震盪を起こさせようとしたパンチを、綾香は事前に察知していたようだった。葵でも、自分がやられていたら受けていた可能性があるような速度なのに、さすがは綾香である。

 二、三歩、綾香はたたらを踏むのではなく軽やかにカレンから距離を取った。完全戦闘態勢、というには距離があるが、それでも三歩も下がれば綾香ならばどんな打撃にすら反応できるだろう。

 綾香の動きはさすがであるが、カレンの動きに反応したというよりは、最初から警戒していたようだった。それが証拠に、いきなり殴りかかられたのに、まったく怒っている様子がない。ただまあ、楽しんでいる様子もない。どちらかというとあきれている様子だった。綾香の反応としては、けっこう珍しいものだ。

「どういうつもりよ……とか聞く意味ないわよねえ」

「モチロンデス! アヤカと私が出会えばやることは一つデス!」

 そう言うと、カレンはおもむろに構えを取る。先ほどまでの不意打ちではない、攻撃する意志を見せているカレンに、綾香は大きくため息をついた。

「カレン、私は別にあなたのことは嫌いじゃないし、話していて楽しい相手だと思うけど、正直毎回これってのは面倒なのよね」

「気にしたら負けデス! それにデスネ」

 構えるだけでその体躯と迫力で、まるで大型の肉食獣を思わせるカレンは、綾香に向かって人なつっこい笑みを浮かべたまま、拳を突き出した。

「楽しまなければソンですよ!」

 葵がぽかんとする前で、まさかのエクストリーム優勝者同士の戦いが、切って落とされたのだった。

 

続く

 

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