作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(181)

 

 もとより理由など関係なく始まる戦いは多いが、今、葵の目の前で始められようとしている戦いも、まったく必然のないものだった。むしろ考えれば考えるほど、戦っては駄目なのではとしか思えなかった。

 片やエクストリーム高校の部の優勝者、片やエクストリーム大学の部の優勝者。エクストリームが若年の試合を一つにまとめ、ナックルプリンセスが作られた以上、その本戦では本命とも言える二人なのだ。その二人の戦いは、ナックルプリンセスのメインイベントの一つとなるのは疑うべくもない。

 カレンの試合を見たことがないので、どれほどの実力を持っているのかは今のところ最初のハイキックだけで判断するしかないが、エクストリームの優勝者が弱いはずもなく、綾香の実力が何の疑問もない以上、この二人の戦いは高確率で起こるはずである。

 ただし、それはエクストリームをお互いに勝ち上がって、運によっては勝ち上がる必要もなく、対戦すべきことではあって、こんな朝っぱらの場末の海水浴場で行われていいものではない。

 何より、これで誰もいなければまだ、とも言えるが、ここには少なからず人の目もある。朝の散歩をしているカップルや老人もいるし、合宿の朝練なのだろう、ランニングをしている一団もある。街中と比べればそれは遙かに少ないが、こんな人目の多い場所でおおっぴらにケンカなど行えば、綾香もカレンも交番でお説教で済むとは思えない。

 何より、このレベルの二人が本気で戦いだしたら、まわりの一般人が巻き込まれて怪我をする可能性も高い。カレンのことはわからなくとも、綾香が人の皮をかぶった台風とかそういう類のものであることを、葵も重々承知している。

 しかし、葵に止められるかと言われると、それも難しい。正直、葵に二人を止める自信はないし、やるとなればそれこそまわりのことなどかまっている余裕などなくなるだろう。

 そわそわしている葵が何を考えているのか察したのか、カレンは酷く明るい笑顔を浮かべて葵の不安を解消する。

「心配いりまセン、アオイ。これはケンカではなく、手合わせデス。格闘家デスから、練習として手合わせをスルのはまったく問題ありまセン!」

 そうなんでしょうか、という意味を込めて綾香を見ると、綾香は非常に嫌そうな顔をして首を横に振った。問題ないわけがない、とはっきりと告げている。

 葵の不安はまったく解消しないセリフと綾香の態度だった。いや、もちろんその言い訳が絶対に通用しない、とまでは言わないが、それにしたって綾香のジャージとシャツの格好ならばともかく、カレンの水着姿は明らかに練習を行おうとする者の格好ではなく、例え百歩譲っても組み手をする者の格好ではない。

 もう一つ問題なのは、綾香が珍しく快くカレンの挑戦を承諾していないことだ。実のところ、これが一番綾香を不安にさせる。

 綾香は、戦うことを楽しめる人間だ。でなければ、エクストリームに出ようなどとは思わなかっただろうし、まして優勝など決してできなかっただろう。格闘家としては、その性癖はかなり有益であり、しかし一般的に言えば危険なものでもある。綾香ほどの人外の実力を持っていればなおさらだ。基本刃物も銃器もない社会では、綾香の身体は飛び抜けた凶器だ。その凶器を振るうことに躊躇いを覚えないどころか、喜んでするとなれば、危険さは語るまでもない。

 どこかの格闘バカほどではないにしろ、綾香は戦いを挑まれれば、よほど期待外れの相手でもない限り、喜々として快諾するだろう。それはエクストリームの本戦まであまり時間のない今日このときであっても変わりはない。そして今、綾香の前にいる相手は、綾香が戦うに十分な実力を持っている。

 綾香とすれば、断る理由がない相手であるというのに、乗り気ではない。それどころか、嫌がってすらいるのだ。これは葵が不安になるのも仕方なかった。

 日頃から常識的な人間が取る非常識な行動は、それはまわりを驚かせはするだろうが、日頃から非常識な人間が取る常識的な行動というのは、それはもう人を不安にさせるものなのだ。

 綾香の常識的な対応など、浩之だったら泣いて逃げるところだ。そして捕まって色々と酷い目に遭うところだろう。

「私としては遠慮したいんだけど、かなり本気で」

 そう言いながらも、綾香は構えを解かない。それはやる気があってそうしているというよりは、カレンを警戒して構えを解けないようだった。綾香でも、警戒が必要な相手ということだ。猛る獣の前で銃を下ろす猟師はいない。この二人では、どっちが獣でどっちが猟師かはわからないが。

「ニッポン人はつつましいデス! エンリョなんていりまセン!」

「いやわかっていってるだろうけど遠慮じゃなくて嫌なのよ」

「ニッポン語難しくてよくわかりまセーン!」

 こういう会話を聞いているだけならば、二人とも非常に楽しそうに思えるのだが、実際けっこう洒落にならない状況である。綾香は乗り気ではなくとも、構えは解かないし、カレンはカレンでやる気満々で、止める気配など片鱗もない。そして、葵とはいうと、二人を止めるべき決定的な理由がなかった。普通の綾香であれば、ここは戦うところなのだから、葵の制止は邪魔以外の何物でもない。これは葵の常識が悪いのではなく、いつもの綾香の行いが悪いとしか言い様がない。

 そうしているうちに我慢できなくなったように、トーントーンと軽やかなステップをカレンが刻み出す。砂の上で飛んでいるというのに、まるでリングの上にいるようなステップだ。アウトボクサースタイル、とでも言うのか、軽く半身に構えられた身体は、大きいのにまったく鈍重そうな感じがしない。今にも羽が生えて飛んでいきそうなほどに軽やかにステップを踏んでいる。

 ステップを踏むだけでも、さすが、エクストリームで優勝するだけの選手の動きではあるが、その構えは酷く一般的であり、だからこそ使う格闘技の種類が見えて来ない。

 先ほどまでは二人の戦いを止めるべきなのかと考えていたのだが、カレンの動きを見て、すぐに格闘技のことに気を取られるのは、一般人的には微妙なものがあるが、格闘家としては正しい。深くは考えていないが、カレンは葵とも戦うことになるかもしれないのだ。

 そもそも、葵はカレンがどんな格闘技を使うのか知らないのだ。いや、一度だけ、前に聞いたことがあったはずなのだが、カレンの名前すら覚えていなかったのだから、覚えていないのも当然だった。

 しかし、葵は頭を一生懸命ひねって、それを思い出す。あまり記憶力の良い方ではないが、格闘技に関係あることなので、他のことと比べればまだましだったのだろう、何とか思いだした。

「えーと……確か、ジークンドーでしたっけ?」

「Noデス!」

 しかし、一生懸命思い出した葵の記憶を、カレンは横から綾香からまったく視線をそらさずに切って捨てるのだった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む